REGULAR

J1復帰への鼓動。ヴェルディを高みへ導いた、「反骨の人」城福浩の賭け

2024.03.31

泥まみれの栄光
東京ヴェルディ、絶望の淵からJ1に返り咲いた16年の軌跡
#1

2024年、東京ヴェルディが16年ぶりにJ1に返り咲いたかつてJリーグ初代王者に輝き、栄華を誇った東京ヴェルディは、2000年代に入ると低迷。J2降格後の2009年に親会社の日本テレビが撤退すると経営危機に陥った。その後、クラブが右往左往する歴史は、地域密着を理念に掲げるJリーグの裏面史とも言える。東京ヴェルディはなぜこれほどまでに低迷したのか。そして、いかに復活を遂げたのか。その歴史を見つめてきたライター海江田哲朗が現場の内実を書き綴る。

第1回は、2022年6月にヴェルディの指揮官に就任した城福浩監督が示した濃厚なビジョン、それに密接に関わるアカデミーの生え抜き、キャプテン森田晃樹の成長を振り返る。

 せっかくのハレの日だというのに、あいにくの雨。気温5.6℃の寒さである。国立競技場は5万3000人を超える大入りだった。悪天候のなか駆けつけた大勢の観衆が、この一戦の持つ価値を物語っていた。

 2024年2月25日、16年ぶりのJ1昇格を果たした東京Vの新たな船出に用意されたのは、横浜F・マリノスとの伝統の一戦だった。1993年5月15日、華々しくスタートしたJリーグ開幕戦と同じ対戦カードだ。

 東京Vは、敗れた。前半、山田楓喜の鮮やかな直接フリーキックで先制し、終盤までリードを保っていた。しかし、横浜FMが逃げ切りを許さない。PKを獲得し、アンデルソン・ロペスが決めて同点。アディショナルタイム、松原健の左足のシュートがゴールに突き刺さる。1‐2とされ、終了のホイッスル。31年前と同じ逆転負け、同スコアだったことが少しばかりニュースの味付けとなった。

 起きたことをかいつまんで言えば、そういうことになる。だが、この日に至るまでは多くの人々の尽力が込められ、無量に近い汗が流れている。

国立競技場で行われたJ1・第1節東京ヴェルディ対横浜F・マリノスのハイライト

反骨の人、城福浩がもたらした栄光

 遡ること2ヵ月半前、私は国立競技場記者席の同じ場所に座り、東京Vの歴史的瞬間を見届けている。

 2023年12月2日、J1昇格プレーオフ決勝。レギュラーシーズン3位の東京Vは、同4位の清水エスパルスと対戦した。相手はJ1クラスの戦力を有し、ホーム、アウェーとも苦杯を喫した難敵である。

 前半は両者得点なく、後半になってゲームは動いた。キャプテンの森田晃樹がペナルティエリアでハンドの反則。清水にPKが与えられる。チアゴ・サンタナはマテウスの動きの逆を突き、ネットを揺らした。

 東京Vには年間順位上位のアドバンテージがあった。引き分けは勝利を意味する。だが、その1点が遠い。90分を経過し、アディショナルタイムは8分と掲示される。

 谷口栄斗がボールを奪い、中原輝が縦に蹴る。染野唯月が裏に抜け出した。ボックスに入ったところで高橋祐治のタックルを受けて転倒。池内明彦主審はすぐさま笛を吹き、ペナルティスポットを指差した。

 染野がボールをセットし、助走を取る。東京Vのベンチでは、深澤大輝に「肩を組もうぜ」の声。ベテランの奈良輪雄太だった。固く身を寄せ合ってなお、深澤は顔を上げられない。そして、地鳴りのような歓声を聞く。ピッチを疾走する染野をその目で見た。……

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Profile

海江田哲朗

1972年、福岡県生まれ。大学卒業後、フリーライターとして活動し、東京ヴェルディを中心に日本サッカーを追っている。著書に、東京Vの育成組織を描いたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。2016年初春、東京V周辺のウェブマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を開設した。

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