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親の七光りではない…バイエルンU-23を3部優勝に導いた“ヘーネス”(前編)

2020.07.21

 バイエルンのセカンドチーム(U-23)を3部リーグ優勝に導いたセバスティアン・ヘーネス監督。ブンデスリーガのクラブのセカンドチームは、運営がストップしたり、4部からなかなか昇格できずに苦しんだりしているところも多い。そういった状況の中でこの結果は快挙と言っていい。

 38歳のヘーネス監督は、名前からも分かるようにウリ・ヘーネス元会長の甥である。父親のディーター・ヘーネスはウリの弟で、バイエルンで200試合以上に出場している生粋のバイエルンファミリーの1人だ。

「自分の仕事に名前は関係ない」

 しかし、セバスティアン・ヘーネス自身のキャリアは、バイエルンとはあまり関係がなかった。

 育成年代はシュツットガルトで過ごし、プロ選手としては当時3部のホッフェンハイムにいた1シーズンを除き、ヘルタ・ベルリンのセカンドチームで約10年を過ごした。ドイツメディア『SPOX』の中で「キャリアの後半は選手でありながら若手が多いチームの面倒見ることも多かった」と語っており、この時の経験が現在の“育成のスペシャリスト”としての仕事に役立っているそうだ。

 指導者としてのキャリアは、育成に定評があるベルリンのヘルタ・ツェーレンドルフのU-19から始まる。2011年から2シーズンを過ごし、RBライプツィヒで4年間を過ごした後、2017年にバイエルンにやって来た。

 これまでの経歴を詳しく知らないバイエルンのウルトラからは大きな反発を受けた。当時、率いていたU-19の試合では「名前よりも能力が重要だ」といった横断幕を試合中に掲げられるなど、自クラブのファンからのプレッシャーも受けた。

 「“ヘーネス”という名前によって優位になることを望んではいないが、それが仕事の妨げになることも望んではいない」と自身の考えを『シュポルトビルト』に話している。

ラングニックが見込んだ指導者の能力

 2013年夏にRBライプツィヒに移ったのは、新しいプロジェクトを進めていたラルフ・ラングニックからの誘いがあったからだ。ヘーネスがホッフェンハイムでプレーした時、ラングニックは同クラブで指揮を執っていた。

 選手として出場する機会は多くなかったものの、チーム内での振る舞いが評価されたヘーネスは、ラングニックと定期的に連絡を取り合う関係になっていた。約10年後にRBライプツィヒで育成機関の整備を進める際、ラングニックは仕事ぶりを確認するためにベルリン・ツェーレンドルフヘとスカウトを派遣。手腕を確認し、正式にオファーを出した。

 「ラングニックは私がツェーレンドルフのU-19で監督をしていることを知っていた。私に知られないようにスカウトを派遣し、私のトレーニングや監督として指揮する能力を観察していたんだ。そしてライプツィヒでプロジェクトを進めることが本格的に決まった時、私にオファーをくれたのさ」

 ヘーネスはU-17チームをブンデスリーガ東北部で2位に導くなど、その手腕を証明。4年間をライプツィヒで過ごした後、長年バイエルンでアシスタントコーチとして働くヘルマン・ゲアラントの推薦でバイエルンに行くことになった。

 結果で自身の能力を示してみせたセバスティアン・ヘーネス。これまで指導してきたU-19までの育成年代と違い、セカンドチームのマネジメントには独特の難しさがあったという。次回はバイエルンのセカンドチームを率いた彼の経験を見ていこう。


Photo: Getty Images

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Profile

鈴木 達朗

宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。