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バドン監督死去。名伯楽がブラジル女子サッカー界に残したもの

2020.06.02

 5月25日、バドン監督が肝臓癌のため亡くなった。享年63歳。年明けから闘病が伝えられていたものの、その訃報はブラジルサッカー界に衝撃を与えた。

2度に渡り女子代表を指揮

 カカーやリバウドなど、バドンに指導され、チャンスをもらったことでプロへの道をつかんだ選手も多い。そうした多くの人々が、彼への感謝を自身のSNSなどで語り、この1週間、テレビ各局や様々なサイトでも彼のサッカー人生をつづる特集が組まれた。

 2014年4月から2016年11月、そして2017年9月から2019年7月と、バドンは2度に渡ってブラジル女子代表を指揮した。

 それまで女子サッカーに縁がなかったため、招聘された時は自分でも「なぜ私が?」と不思議に思ったそうだが、いったん引き受けると決めたら猛勉強に取り組んだ。

 選手のチェックや各国代表チームの研究はもちろん、世界やブラジルでの女子サッカーの歴史と現状、社会的・スポーツ文化的な位置づけなど、すべてを知ろうとした。

「常駐セレソン」システムを導入

 バドンがブラジル女子代表で初めて採用したのが「常駐セレソン」という強化方法だった。

 彼が招集した27人をベースに、基本的には選手を入れ替えることなく、合宿生活を送りながら練習や親善試合を行う。

 選手たちはクラブに所属せず、ブラジルサッカー連盟(CBF)から給料を受け取る。そして大会や試合によって、マルタのように外国でプレーする数人が直前に合流し、最終的な準備を行う。

 この方式が2015年1月から1年8カ月の間、続けられた。もともとバドンの使命は2016年リオ五輪での金メダル獲得だったため、チームを短期間で集中的に強化する狙いもあったが、彼が常駐セレソンを強く押し進めたのは、ブラジルでの女子サッカーの現状からだった。

 クラブの施設や設備は不十分。選手はサッカーだけで暮らしていける給料がもらえない。国単位の選手権やカップ戦はあっても、州や地域単位で整った大会がないため、実戦の機会が少ない。

 当時のインタビューで、いつもは落ち着いた雰囲気のバドンが、熱い口調で語ってくれたことがある。

インタビューで穏やかな表情を見せるバドン監督(Photo: Kiyomi Fujiwara)

 「ブラジルの女子サッカー界では、選手たちが多くの困難を抱えている。だからなんとかしたいと思い始めたんだ。プロとしての側面を少し脇に置いてでも、彼女たちが感じているすべてのことを私も感じようとした。問題や偏見、この競技に必要なコンディションが得られないことなどを乗り越えるためにね」

 「ブラジルの女子サッカーの将来が心配なんだ。日本は女子サッカーを始めて、あっという間にW杯で優勝した。ところが、ブラジルはこれだけサッカーの伝統がありながら、まだ優勝できていない。他の国は急速に成長しているのに、我われは立ち止まったままだ」

 「連邦政府や州政府、市政が一丸となって取り組むこと、学校でも奨励されること、そういうサポートが、この競技の強化に必要なんだ。そのために、我われは戦うすべての試合でより良いアピールをしたいと思っている」

女子サッカー界に残した大きな功績

 練習中に選手を呼び止め、または呼び止められて一人ひとりと会話をし、丁寧に指導する様子が印象的だった。若い選手からは「パイゾン(ビッグ・パパ)」と呼ばれ、ベテラン、例えばマルタからは、クラブの休暇で故郷に帰省している際に自宅に招待されるほど信頼されていた。

マルタ(右)と話し込むバドン監督。選手からの信頼は厚かった(Photo: Kiyomi Fujiwara)

 最大の使命だったリオ五輪は4位に終わったが、2度に渡る女子ブラジル代表の指揮で、コパ・アメリカ(2014年、2018年)、北中南米のオリンピックであるパンアメリカーノ(2015年)、国際女子サッカートーナメント(2014,2015年)など、数々のタイトルにも導いた。

 さらに、当初は外国でプレーする選手が2,3人しかいなかったが、こうした強化を経て20人を超えるようになった。スウェーデン人のピア・スンドハーゲ監督が率いる現在の女子代表チームは、男子と同じく大半が海外組だ。

 2度目の指揮の際、2018年コパ・アメリカ優勝後から勝ち星に恵まれなくなり、2019年7月に解任となった。

 ただ、後任のピア監督がブラジルに到着した際には、CBF会長に要請されて引き継ぎも行った。自分の築いてきたものを次の監督に渡し、2人で語り合ったのだ。

 バドンは「それぞれの監督に見方があるのだから、私の見方では、ということを伝えたに過ぎないんだけど、CBFへの感謝の気持ちもあるからね」と振り返った。非常に律儀な性格の彼らしいエピソードだ。

 代表チームを離れてすぐに就任を打診してきたクラブもあったそうだが、心身ともにハードな代表での疲れを癒すため、年内は家族とゆっくり過ごし、年明けからどこかのクラブで男子チームを指揮するための準備に取り掛かるつもりだった。

 「70歳までは監督として現場で指揮を執るつもりだ」と語っていた通り、穏やかな雰囲気の中に情熱を燃やし、選手たちに対する愛情を抱いて尽力したバドン監督。ブラジルサッカーが失ったものは大きい。


Photos: Kiyomi Fujiwara, Getty Images

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Profile

藤原 清美

2001年、リオデジャネイロに拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特にサッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のTV・執筆等で成果を発表している。W杯6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。