FEATURE

「日本代表=組織力」はいつ、どこで生まれたのか。『日本らしさ』を作った言説の歴史

2026.08.29

【特集】北中米W杯総括。日本代表が向き合うべき「壁」の正体#4

日本代表が世界の頂点を目指して戦った北中米W杯。グループステージを突破し、歴代最多得点を記録するなど確かな成長を示した一方で、決勝トーナメントでは初戦のラウンド32でブラジルに敗れ、目標として掲げた“最高の景色”には届かなかった。

では、日本代表を阻んだものは何だったのか。個の力か、戦術か、育成か。それとも私たちが信じ続けてきた「日本らしさ」なのか。北中米W杯は、日本サッカーが次の4年へ進むために向き合うべき「壁」の存在を浮かび上がらせた。本特集では、強化、育成、そして「日本らしさ」をめぐる言説まで含め、その正体を多角的に検証する。

第4、5回は『サッカー報道とナショナリズム:「日本らしい」プレーとは何か』(青弓社)の著者、スポーツ社会学者の笹生心太氏にインタビュー。「日本らしい」サッカーとは何なのか。そして、そのイメージはいつ、どのように作られたのか。1981年から2014年までの『サッカーマガジン』を読み解きながら、日本代表を巡る言説の変遷を追った意欲作である同書を題材に、代表報道の裏側に潜む「平凡なナショナリズム」、そして「組織力」「団結力」が日本らしさとして定着していく過程について話を聞いた。

着目したのは「平凡なナショナリズム」

――笹生さんの新刊『サッカー報道とナショナリズム:「日本らしい」プレーとは何か』は、代表チームの報道、特に日本代表の取り扱われ方に「その国らしさ」といった概念がどんな形で現れているかを分析した本です。このテーマを掘り下げるにあたって、『サッカーマガジン』の過去の記事をひたすら読み込んでいくというアプローチを採っていますね。

 「はい。1981年から2014年までの『サッカーマガジン』について、大げさでなく1号残らず目を通しました。この作業を通して視力が落ちてしまいました(笑)。いろいろな事情で刊行時期が執筆期間と少しずれてしまったこともあり、直近の情報までは拾えていないのですが、日本サッカーの動向と日本代表を取り巻く言葉遣いの変遷について大きな流れはつかめたと思っています」

――この研究を始めたきっかけについて教えてください。

 「私はこれまでスポーツ社会学と呼ばれる領域で研究を進めていて、ボウリングが社会におけるコミュニティ形成に与える影響や、仙台に赴任していた際に被災した経験から復興五輪についての検証などを発表してきました(『ボウリングの社会学』(青弓社)、『「復興五輪」とはなんだったのか』(大修館書店))。一方で、自分が昔から好きだったサッカーに関する研究をまとめたいという気持ちもずっと持っていたんです。それでいざサッカーと向き合えるタイミングになった時に、じゃあどんな切り口でサッカーを論じればいいのかと考え、以前から興味のあったナショナリズムを絡めるとこれまでにはなかったことが見えてくるのではないか、というアイディアに思い至りました」

――本のタイトルに関わるところですが、国を代表するチームが戦うという構造上、サッカーとナショナリズムは密接に結びついています。

 「そうですね。サッカーとナショナリズムというテーマで語れることは多種多様だと思いますが、自分が着目したのは『平凡なナショナリズム』という概念です」

――ナショナリズムの中にもタイプがあるわけですね。

 「これはイギリスの社会学者のビリッグの提唱したもので、戦争中などではない平時に醸成されていくナショナリズムのあり方についての考え方です。今回の本の話に引き付けると、日本代表を応援するためにスタジアムで旗を振っている人たちは、スタジアムに来て突如として日本を応援する気持ちに目覚めるわけではないですよね。代表を応援したい気持ちがあるからスタジアムに集まって旗を振るという順番なわけですが、じゃあその代表を応援したい気持ちはどこで作られているのか。おそらく日々の暮らしの中で『日本を応援する』という行動様式が徐々に形成されていっているはずで、そこにはサッカーに限らずいろいろな要素が影響していると思います。その例として、新聞が国内欄と国際欄で厳格に区切られていたり、ニュースの天気予報で日本地図だけが載っていたりといった実践が指摘されています」

――確かにそういう些細なことから「日本と日本以外」という区分けを意識するようになりますよね。

 「そんな考え方に立った時に、報道を通じて日本代表がどう語られているかを読み解くことで、サッカー日本代表における『平凡なナショナリズム』の発動のあり方が見えてくるのではないか、という問いがこの本の着想の根幹にあります」

――日本サッカーのここ数十年の歴史は日本代表が世界の中での立ち位置を確認していく歴史でもあるので、サッカー日本代表というコンテンツ自体が「平凡なナショナリズム」との距離が近いとも言えそうです。

 「そう思います。ここは研究者としてだけでなくサッカーファンとしての実感も含んだ話になりますが、私が高校生の時にフランスW杯の最終予選があって、多くの人があの時初めてホーム&アウェイで長期間続く予選を体験したことで、日常生活において代表について考える時間が増えたのではないかと思います。当時はホームの試合を4試合とも見に行って、自力突破のなくなったUAE戦のあとはどうやって帰ってきたか記憶がないくらいの状況だったのですが、代表を通じてそういうジェットコースターに乗っているような感覚になっていた人は自分だけではなかったはずです。その手前にはドーハの悲劇があって、フランスW杯の後には日韓共催のW杯があるなど、この時期にサッカーを通じて日本という枠組みそのものについて考える材料が一気に増えました。昨今のメディアにおける代表の語られ方についても、今の状況だけで考えるのではなく、こういった積み重ねの中でなぜそうなっているのかを捉えるべきだと思います」

オフトで発露し、オシムが言語化した「日本らしさ」

――本書のサブタイトルにある“「日本らしい」プレーとは何か”という問いかけについて、この本では実際のプレーそのものではなく、報道の内容から何をもって「日本らしい」と言われているかを分析しています。本の中では、日本らしさの語られ方にいくつかのターニングポイントがあったと結論づけています。

……

残り:2,108文字/全文:4,718文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

Profile

レジー

1981年生まれ。一般企業に勤めつつ、音楽ブロガー・ライターとして日本の音楽シーンに関する論考を各種媒体で発信。最近では「ファスト教養」論など社会・カルチャー全般に関する寄稿も展開。著書に『夏フェス革命-音楽が変わる、社会が変わる-』『日本代表とMr.Children』(宇野維正との共著)。

RANKING