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エンドリッキ(ブラジル):「謙虚さこそが大事な一歩だよ」努力を怠らない“神童”の真の姿、「幸せ」を求めた10代最後の挑戦

2026.06.24

【特集】北中米W杯で輝く次世代スターの軌跡 #7
エンドリッキ(ブラジル代表)

エンドリッキ(ブラジル)、アルダ・ギュレル(トルコ)、アレクサンダル・パブロビッチ(ドイツ)、ビクトル・ムニョス(スペイン)、ラヤン・シェルキ(フランス)、ジュリアーノ・シメオネ(アルゼンチン)、エリオット・アンダーソン(イングランド)――ロシア大会で数々の記録を塗り替えながら、当時19歳でフランスの20年ぶり優勝を牽引したキリアン・ムバッペのように、初出場のW杯で主役の座へと駆け上がり、次のサッカー界を背負っていくU-23の新星は誰か? そして彼らの世界を驚かせる才能は、一体どのような「環境」と「育成」で磨かれてきたのか? 北中米大会で輝くであろう、次世代スターたちの軌跡をたどる。

7回は、若くして数々の試練を乗り越えながら、数々の史上最年少記録を塗り替えてきた、「ブラジル代表の“今後”を担う」(カルロ・アンチェロッティ監督)19歳の真の姿を伝えたい。

 「決めたー! 運命に愛された少年!」「驚異の神童!」「彼はやっぱり“持っている”よ」

 W杯2026を目前に控えた最後の親善試合、6月6日ブラジル対エジプト戦。1-1で迎えた後半から出場していたエンドリッキがゴールを決めた時のこと。現地から生中継をしている実況アナウンサーたちが、口々に叫んだ言葉だ。ブラジルらしい軽快な称賛ではあるが、報道陣やスタンドの観客が一気に沸いたことも合わせて、エンドリッキが愛され、期待されていることの表れだ。

 W杯前の雰囲気を盛り上げる上でも重要な決勝点を決めた彼は、確かに“持っている”のかもしれない。173cmと小柄で重心が低く、フィジカルの強さを活かした爆発的なスピードや、強く鋭いシュートが持ち味。恐れることなく仕掛けていくメンタリティは、本人が先日「何がなんでも突破しようと仕掛けていくんじゃなくて、状況に応じて判断し、即興的にプレーすることも大事だと学んだ」と語っていた通り、成熟度が増した。シュートの決定力もある。

 しかし、“神童”はその人生において、ピッチの内外で、若くして数々の試練を乗り越えてきた選手でもある。

「心配しないで。僕がサッカーで、もっと良い生活ができるようにするから」

 ブラジルの首都ブラジリアの衛星都市の一つ、タグァチンガという街で生まれ、その後ゴイアス州バウパライーゾ市にある、丘の上の貧しい地区で育った。近所の年上の子供たちと一緒に、路上でのサッカーに明け暮れた幼少時代。そこでは、トラップし損ねたり、シュートを外すと、すぐにボールがふもとのスラムに転がり落ちてしまい、危険を冒しても拾いに行くことになる。それを避けるためにも、技術が磨かれ、ボールに追いつく体力が身についたと言う。

 同時に4歳から地域のチームにも所属。当初から指導者に「並外れた素質がある」と言われた彼のプレーのビデオを、父がYouTubeにアップし始めた。それがパルメイラスの目に留まったのが、エンドリッキの成功への第一歩。父もかつてはサッカー選手を目指し、入団テストを受けるために、ブラジリアからサンパウロまで1000キロの道のりを、徒歩とヒッチハイクで1週間かけて旅した経験の持ち主だった。

 エンドリッキは「食べるものがない、ということはなかった」と語るが、生活は苦しかった。ある日、父がひっそりと泣いているのを見てしまった彼は「心配しないで。僕がサッカーで、もっと良い生活ができるようにするから」と父に約束した。父は息子がパルメイラスのU-11に入ると、そのクラブのホームスタジアムの清掃員として仕事をし、支え続けた。

 こうしたエピソードから、父の存在は早くから有名になったが、彼は母への感謝も決して忘れない。ブラジルA代表に初めて招集され、記者会見に出席した際、母とのエピソードを聞かれると「母について話す機会をくれてありがとう」とお礼を言ったほどだ。

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Profile

藤原 清美

2001年、リオデジャネイロに拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特にサッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のTV・執筆等で成果を発表している。W杯6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。

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