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PKも劇場に変えるイングランド代表GKジョーダン・ピックフォード。ただの「カンニング」ではない、ウォーターボトル戦略の合理性

2026.03.30

【特集】“もう一つのサッカー”PK戦の深層#5

90分で決着がつかなくても、試合は終わらない――2026年の百年構想リーグでJリーグは、リーグ戦としては異例のPK戦導入に踏み切った。W杯過去2大会で日本のベスト8を阻んだ壁。それがPK戦だった。Jリーグの日常に新たな景色が加わったこのタイミングで、“もう一つのサッカー”とも言えるPK戦の深層を多角的に考える。

第5回は、PKキッカーの傾向をまとめたシールをゴール脇のウォーターボトルに貼り付け、本番直前に復習する様子が度々注目を集めてきたPKストッパーのジョーダン・ピックフォードについて。ただの「カンニング」ではない、イングランド代表とエバートンの“劇場型”守護神が徹底する準備の合理性とは?

 “What is on Jordan Pickford’s water bottle?”――「ジョーダン・ピックフォードのウォーターボトルには何が描かれているのか?」

 2026年3月7日、英『Sky Sports』はイングランド代表、そしてエバートンのゴールマウスを守るGK、ジョーダン・ピックフォードへのインタビュー企画を各種SNSで公開した。

 古き良きロングフィードを実現するキック力、時に味方のDF陣を怒鳴り散らす激しい気性。良くも悪くも“劇場型”とたとえられ、大一番でのビッグセーブを魅せる一方、大味な素振りで唐突なミスを招くシーンも珍しくない。それでも、近年は下位に沈んできたエバートンと落胆の多かったサポーターとって、ピックフォードの爆発的なアジリティに幾度も救われてきたことは間違いない。185cmという、この世界では決して大きくない体躯を補って余りあるセービングを武器に、クラブと代表の両守護神としてピッチに君臨し続けている。現代のサッカー界において彼を特別な存在にたらしめているのは、情熱的な振る舞いの裏に隠された、極めて冷徹でロジカルな「準備」も大きなエレメントである。

 その象徴が、ゴールネットの脇に置かれた1本のウォーターボトルだ。

心理学も生みの親。ロシアW杯で産声を上げた「魔法のボトル」

 ピックフォードのユニークな戦略が世界に衝撃を与えたのは、2018年ロシアW杯ラウンド16のコロンビア戦だった。イングランドにとって22年間も勝てなかったW杯の「PK戦」は、長年苦しめられてきた呪縛のようなもの。その呪いを解いた秘密道具が、一見何の変哲もないウォーターボトルである。

 モスクワの地でイングランドがベスト8への駒を進めた瞬間、現代の高精細なカメラや映像によって、ベールに包まれた秘密道具の正体が明らかになった。PK戦における相手キッカーの傾向がびっしりと記されたボトルは多くのサッカーファンを驚かせ、SNSで瞬く間に拡散される。それまでもGKがメモをタオルに隠したり、ソックスに入れたりすることはあったが、「データを記したシールを直接ボトルに貼り付ける」という手法がこれほど組織的に実践されたのは、トップ・オブ・トップの舞台では稀有な事象だった。

 そもそも、この作戦が生まれたのはピックフォード1人の突発的なアイディアではなく、当時のイングランド代表GKコーチ、マーティン・マーゲットソンと分析チームによる共同作業が発端とされている。また、2018年当時にイングランド代表スタッフとして在籍していた心理学者であるピッパ・グランジ氏の役割も話題となった。彼女の存在は、ガレス・サウスゲート監督率いるイングランド代表のマインドセットを変えたことで広く知られている。PK戦の極限状態では「メモを取り出して読む」という動作すらストレスになると考え、「水を飲むふりをして、自然に視界に入る場所にデータを置く」という合理的な結論を導き、「結果ではなくプロセス(準備)を信じる」という概念を植えつけた。

 この戦略は功を奏し、チームとともにピックフォードは長きにわたる国際大会のジンクスを覆した。コロンビアとのPK戦、カルロス・バッカの放ったシュートを弾き出した瞬間に、それは単なる「勘」や「運」にとどまらない、「データサイエンス」と心理的枠組みを書き換える「学問」の勝利へと昇華した。現在もピックフォードは心理学の重要性をインタビューで口にするなど、自身のパフォーマンスに欠かせないものとして取り入れている。歓喜と絶望、一発勝負のトーナメントで露わになったプラスチック容器と準備への執念。のちに“魔法のボトル”と呼ばれる伝説の幕開けとなったのである。

プレミアリーグ残留を導いたPKセーブの裏にある心理戦

  「頭の中に叩き込んではいるけれど、いざPKの瞬間になると、心拍数が上がって冷静さを失うこともある。あのボトルを見ることで、『よし、プランはこれだ』と自分を落ち着かせるための精神安定剤のような役割も果たしているんだ」

 初めて世界にお披露目されたピックフォードのボトル戦略は、W杯後のクラブレベルでも導入され、エバートンの分析チームも同様の試みを採用した。当時はボトルを用意していても本番で頼ることなく挑むケースもあったが、年を追うごとに勝負へのこだわりは洗練されていった。

 その到達点の1つが、ピックフォードのお気に入りPKモーメント、2023年5月のプレミアリーグ第34節、レスター・シティとの対決だ。残留争いの渦中にあった19位エバートンとピックフォードが、絶体絶命のピンチで対峙したジェイムズ・マディソン(現:トッテナム)との心理戦を振り返る。

 この試合はシーズン残り4試合という土壇場での言わば“裏・天王山”。レスターも18位と両チームとも降格圏に沈んでおり、負けたほうが降格に大きく近づくという極限のプレッシャー下での戦いだった。エバートンは幸先よく先制するも前半のうちに同点弾を浴び、その直後にはジェイミー・バーディに逆転弾を許した。レスターが勢いに乗る中、さらに前半アディショナルタイムに事件が起きる。エバートンのCB、マイケル・キーンがペナルティエリア内でハンドを犯し、レスターにPKが与えられたのだ。

 失点すれば3-1と大きな点差、雌雄を決する可能性もあった状況下で、ピックフォードはいつものようにゴール脇のウォーターボトルを手に取った。そこには、レスターの主要キッカーの特徴が記されていた。ペナルティエリアに立ったのはピックフォードと代表のチームメイトでもあるマディソン。カメラはボトルに書かれた文字を捉えた。

……

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Profile

BF

1990年生まれ。愛知県在住。高校時代、ミケル・アルテタのプレーに心を奪われたことがきっかけでエバートンのファンに。WEBメディア『ディアハト』の編集部に所属し、魅力を発信するためnoteやSNSを中心に活動中。3代目エバートンジャパン代表として観戦会なども企画・運営する。

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