スキッベとガウルをつなぐ共通項。去り行くドイツの名将が広島に遺してくれた「無形の財産」
【特集】去り行く監督たちのポリシー#4
ミヒャエル・スキッベ監督(サンフレッチェ広島)
2025シーズンのJリーグも閉幕し、惜しまれつつチームから去っていく監督たちがいる。長期政権を築き上げた者、サイクルの終わりを迎えた者……賛否両論ある去り行く指揮官たちのポリシーをめぐる功罪を、彼らの挑戦を見守ってきた番記者が振り返る。
第4回は、サンフレッチェ広島での4シーズンで2度のルヴァンカップのタイトルをもたらしたミヒャエル・スキッベ。ドイツの名将が貫いたルールで縛らない「勇敢なサッカー」と巧みなマネジメント、そしてピッチ外でも選手たちに影響を与えた人生観について伝えたい。
広島の新監督であるバルトシュ・ガウルは、ドイツで著名な育成指導者であるノルベルト・エルガルトの愛弟子である。2012〜15年の3年間、ガウルはエルガルトの下でシャルケのU-19チームを指導。レロイ・サネ(ガラタサライ)やティロ・ケーラー(モナコ)といったドイツ代表の名選手たちをも育てている。
彼のことを調べていると、『キッカー』誌が2021年7月1日に行ったエルガルトのロングインタビューを発見することができた。その中で、ミヒャエル・スキッベの想いとの「共通項」を見つけた気持ちになった。
以下、引用してご紹介しよう。
「私は常に、サッカー選手の背後にいる人間性を最優先に考えています。その上で、特に大切にしていることが2つあります。
1つ目は、誰もが個として認められたいという欲求を持っている、ということです。誰もが自分の強みや個性を発揮したいし、発揮していい。サッカー選手を過度に制限し、規律で縛りすぎると、直感や創造性を奪ってしまいます。もちろんチームのためにプレーすることは必要ですが、時には“クレイジー”なことに挑戦する勇気も持たなければならない。ドリブラーからドリブルを取り上げてしまったら、それは最大の武器を奪うことであり、致命的な過ちです。
2つ目は共同体としての意識です。私たちは皆、人の中で生きる人間です。誰しも、自分がより大きな何かの一部でありたいと願っています。それは家族である場合もあれば、サッカーチームである場合もあるのです」
「勇敢なサッカー」を求めたが、ルールで縛らない
このうち、ミヒャエル・スキッベが広島で実践してきたのは、主として「1つ目」である。
彼は自身の戦術によって、選手たちを縛ることは、ほとんどなかった。
「前からプレスに行け」
「守備の局面でも下がらず、前に出ろ」
「相手陣内でプレーしろ」
「ボールを奪ったら、できるだけ速く、前に運べ」
「常に裏を狙って行け」
彼はミーティングで、これらの言葉ばかりを繰り返す。そして、これらのコンセプトを一言で「勇敢なサッカー」と表現していた。

だが、これらを実践することについて、選手たちに対して過度に「ルール」を押しつけることはない。広島のドリブル回数はJ1で11位と決して多くはないが、それは指揮官が「ドリブルは控えろ」と言っているわけではない。クロス総数はリーグ2位だが、スキッベが「中ではなく外から攻めろ」とルールづけしているわけでもない。実際、トレーニングでは狭いところをパスで通して打開するメニューもやっている。
彼は選手たちの能力に合わせて、時には任せて、戦い方を変化させるタイプである。
思い出すのは、就任当初のことだ。
2022年3月、国際Aマッチデーによるリーグ中断期に、スキッベ監督は4バックでトレーニングを行った。新型コロナウイルスの水際対策によって来日が遅れ、キャンプに参加できなかった彼は、この期を利用して新しい形を模索しようとしたわけだ。
だが、4バック導入に疑問をもった佐々木翔と塩谷司は、スキッベ監督と話し合いの場を持ち、3バック堅持を訴えた。すると指揮官は「選手たちがやりやすい方法で」と4バックを取り下げ、3バックに戻した。
2023年のトルコキャンプでも、指揮官はもう1度、4バックを実験しているが、開幕は3バック。チームが3連敗するなど苦境に立った夏場に2試合ほど4バックでスタートしたが、以降は封印した。指揮官にとってフォーメーションは絶対ではなく、戦術は選手たちの能力を縛るものであってはならない。あくまでもプレーヤー・オリエンテッド、選手たちが主体なのである。
満田誠はなぜ、スキッベの下で覚醒したのか?
スキッベ監督に初めてインタビューしたのは、就任が決まった直後の2021年12月。当時はドイツに在住していた彼に対して、オンラインで話を聞いた。その時、彼はこんな言葉を発している。
「2002年の日韓W杯で、私はドイツ代表の戦術担当コーチでした。その時、ルディ・フェラー監督とともに考えたのは、チームのスタイルのこと。当時のドイツ代表には、ミヒャエル・バラックという素晴らしい10番がいたのですが、他の選手たちの質を考えると、どうしても守備的に考えざるを得なかった。攻撃はバラック中心にやるしかなかったし、彼の能力を十二分に発揮させるためにも、ドイツ伝統のマンツーマンディフェンスではなく、ゾーンディフェンスの要素を注入しないといけなかったんです」
スキッベ監督が導入した守備的なサッカーが奏功し、前評判の低かったドイツ代表は決勝進出。ファイナルではブラジル代表に敗れはしたものの、当時のチーム状況からすれば健闘と言ってよかった。
また2015年から監督に就任したギリシャ代表でも、彼はあえて守備的なシステムを導入した。
「重要なのは、選手個々のクオリティだ。そこをしっかりと把握した上で、どの部分を伸ばしていけばいいのか、もっといい選択肢はないのか。そこを考えるのは、監督の重要な仕事だと思っています。
なので、ドイツ代表やギリシャ代表では、守備的に闘うことが可能性を大きくした。一方で、レバークーゼンやフランクフルトでは、より攻撃的なサッカーを導入した方がいいと考えたんです。そしてサンフレッチェ広島のタレントを見た時、まず守備のクオリティは高い。そこに、前に行く姿勢を植えつけることができれば、可能性は高まると思います」
彼が考える「選手たちの能力を最大限発揮させる」スタイルは、個々の能力を大きく伸ばした。
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Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。
