エバートン視点で読む名古屋グランパスとの戦略的提携(前編)。MCOにも新時代をもたらすThe Friedkin Groupとは何者か?
【特集】Jクラブの新たなる海外戦略#2
J1の主力はもちろん、J2から即海外というルートも目立つようになった昨今の移籍市場。環境の変化に適応するように、Jクラブの海外戦略にも新しい動きが出てきている。激変の時代に求められるのは、明確なビジョンと実行力。その成否はこれからかもしれないが、各クラブの興味深いチャレンジを掘り下げてみたい。
第2&3回では、8月21日に発表された名古屋グランパスとエバートンFCの戦略的パートナーシップに注目。基盤となるThe Friedkin Group(TFG)の国際戦略から生まれていく相乗効果を、エバートンFC公認サポーターズクラブ「エバートンジャパン」で代表を務めるBF氏が、前後編に分けて考察する。
タイムラインに衝撃が走った。SNSに投稿された写真を見たエバトニアン(エバートンサポーターの愛称)の筆者は、その意味を理解すると興奮で鳥肌がしばらくおさまらなかった。愛するロイヤルブルーのシャツと、日頃はライバルクラブのカラーとして認識する赤いシャツが横並びになり、2人の代表者の前で掲げられている。互いにユニフォームを交換し和やかな表情で写っているのが印象的だ。
ブルーのシャツはエバートン、レッドは同じマージーサイドのクラブ、リバプール……ではない。日本の赤鯱軍団、名古屋だ。2025年8月21日、プレミアリーグのエバートンFCと、J1リーグの名古屋グランパスが『戦略的パートナーシップの締結』を発表したのである。うれしさの込み上げるニュースには、今後のエバートンが日本のクラブと手を組むことでどのような関係を築き、シナジーを生み出すか、漠然とした期待が寄せられる。なぜ、エバートンとグランパスなのか?
その背景には、仄暗い海底で泳ぎ方を忘れたクラブが、海面から差し込む一筋の光を頼りに踠(もが)き続けた紆余曲折がある。水面から顔を出して光を浴び、息苦しさから解き放たれた安堵感。差し伸べられた手をつかみ、エバートンの大いなる野心と挑戦の物語が始まった。
自ら招いた低迷の一途、エバートンの経営史
エバートンは今、新たな時代を迎えている。2024-25シーズン、130年以上の歴史を誇る本拠、グディソンパークに別れを告げた。世代を超えて愛された“グランド・オールド・レディ”の、侘しくも晴れやかな最後だった。リバプールの港湾地区、マージー川の畔に位置するブラムリー・ムーア・ドックに建設された新スタジアムへと移転を完了し、2025-26シーズンより新たな本拠地を舞台に、強豪ひしめくプレミアリーグでさらなる野心を標榜する。
エバートンはイングランドフットボール界の名門クラブとして位置づけられていると言って差し支えないだろう。1878年のクラブ発足以来、9つのリーグタイトル、5度のFAカップ制覇、ヨーロピアンカップ・ウィナーズカップの獲得。 1992年のプレミアリーグ設立後、一度も降格を経験したことがない“オリジナルクラブ”としてトップリーグで戦い続けてきた。いわゆる古豪と称される歴史あるクラブの1つだ。しかし、近年はその立場が危ぶまれる時間を過ごしてきた。
時を遡れば2016年、エバートンの大株主として旗を揚げた前オーナー、イラン人投資家ファルハド・モシリの存在がある。莫大な資金注入でクラブの強化を図り、新スタジアム構想を立ち上げるとともに、ハリウッド的な人事を次々と敢行。ロナルド・クーマンや、カルロ・アンチェロッティといった知名度や実績ある監督の招へい、クラブ体制初となるフットボールディレクター(Director of football)を新設し、本格的にヨーロッパへの進出を目指して、糸目をつけず多額の資金を費やしてきた。その度にビッグ6の牙城を崩す筆頭候補として注目を浴びたものの、そびえ立つ壁は依然高く期待とは裏腹に後塵を拝する結果が続いてしまう。当然、目標に届かない野心の行き場は混迷に陥り、のちに大きな代償として現れた。

プレミアリーグが各クラブの損失額を規定し、財務の健全化とリーグ全体の持続可能性を目的としたルール=PSR「Profit and Sustainability Rules(収益性と持続可能性に関する規則)」に抵触し、同リーグ初となる、同ルール抵触による勝ち点剥奪の処分を受けたのである。費やした資金に対し成績が奮わなかった要因に加え、当時ロシア系のスポンサーから大きな援助を受けていたエバートンは、現在も続く戦禍の煽りを受けたことで制裁を受け、大きく依存した収入の軸を失うことに。
渦中の2021-22シーズン夏、青天の霹靂となるアンチェロッティのレアル・マドリー電撃復帰は悪夢の序章として刻まれている。後任として、ライバルのリバプールで成功を収めたラファエル・ベニテスが採用されるも状況が一変。サポーターからの反発にとどまらず、財政的なバックアップが瓦解したことで補強にリソースを割けなくなり、主軸の選手を放出。ケガ人続出や連敗で残留争いの厳しい情勢に巻き込まれてしまう。
同シーズンでは奇跡の残留を果たし、ほっと胸を撫で下ろしたが、再起を図ったフランク・ランパードやショーン・ダイチといった指揮官に代わっても、険しい環境と緊縮財政から抜け出せないまま、クラブは暗礁に乗り上げた。高給取りが集まるも、結果を残せなくなったチームはルールに対する帳尻合わせのため、有望株を手放すしか手段がなく、リシャーリソン(現トッテナム)、アンソニー・ゴードン(現ニューカッスル)、アレックス・イウォビ(現フルアム)といった中核を失い、アカデミーで頭角を表した才能ある若手たちを日の目を見る前に換金するといったケースも頻発した。
サポーターたちはクラブ首脳陣へ抗議の声をあげ、オーナーや上層部の退陣を求める動きが活発になる。反旗を翻す声はCEOや幹部たちを退任に追い込んだが同年10月、路頭に迷う経緯の最中、2000年代からクラブの顔としてあり続けた象徴であり会長を務めたビル・ケンライトが、病の悪化によって逝去する。クラブやサポーターが悲しみに覆われて偲ぶ一方、エバートンはリーダー不在の窮地に晒される。すでにケンライトの生前からクラブの売却を検討していたモシリだったが、新スタジアムの資金調達が間に合っておらず、運転資金の確保も火の車だった。ビジネスの香りを嗅ぎつけた資産家たちを呼び込み、数多の噂が飛び交った。混沌とした財政難に陥った情勢で、手を差し伸べて独占交渉を勝ち取ったのは当時イタリアのジェノアやベルギーのスタンダール・リエージュを傘下に収めた投資家グループである「777partners」だ。
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Profile
BF
1990年生まれ。愛知県在住。高校時代、ミケル・アルテタのプレーに心を奪われたことがきっかけでエバートンのファンに。WEBメディア『ディアハト』の編集部に所属し、魅力を発信するためnoteやSNSを中心に活動中。3代目エバートンジャパン代表として観戦会なども企画・運営する。
