「桜のワンダーボーイ」、第1章完結。北野颯太がレッドブル・ザルツブルクから欧州で紡ぐ新章への期待
【特集】旅立ちの時。夏の海外移籍#3
北野颯太(セレッソ大阪→レッドブル・ザルツブルク)
欧州サッカーがシーズンオフとなる夏は、Jリーグからの海外移籍が佳境となる季節だ。ベルギー、オランダ、ポルトガル、デンマーク、チャンピオンシップ(英国2部)に渡った逸材たちが高確率で活躍することで、近年日本人選手への評価がさらに高まっている。この夏、Jリーグ経由で新たに羽ばたく挑戦者たちにフォーカスする。
第3回は、セレッソ大阪からオーストリアの強豪、FCレッドブル・ザルツブルクへと完全移籍した北野颯太。スクールに加入した小学生時代からセレッソで育った俊英の今までを、小田尚史が改めて振り返る。
ズバ抜けていた才能。セレッソ大阪スクールにスカウトされる
6月1日。リーグ前半戦ラストとなったJ1リーグ第19節・清水エスパルス戦の試合後、センターサークル付近に置かれたマイクの前に立った北野颯太は、これまでの歩みを感謝の気持ちとともに述べて挨拶。時折、目には涙も浮かべながら懸命に言葉を紡ぐ姿にスタジアムからは大きな拍手が送られた。その後、Mr.Childrenの「終わりなき旅」をバックに場内を一周。サポーターに別れを告げて、小学生時代から過ごした愛すべきクラブから旅立ちの時を迎えた。
8日後の6月9日、現地でのメディカルチェックを終えて、正式にオーストリア1部、FC レッドブル・ザルツブルクへ完全移籍することがC大阪から発表された。新シーズンのスタートを前に少し早い合流となったのは、ザルツブルク側の「FIFAクラブワールドカップに間に合わせたい」という意向から。実際、1次リーグ第2戦のアル・ヒラル戦でデビュー。後半20分からピッチに立ち、新天地での第1歩を踏み出した。
2004年8月13日、和歌山県出身の北野。プレーヤーでもあった父、3歳年上の兄の影響で幼少期からボールを蹴り始めると、兄も入っていたクラブチームに5歳で加入。「サッカーの基礎から点を取る部分まで色々教わった」(北野)“最初の指導者”である父との自主練も毎日のように行い、この時期はフットサルもプレーしながら足元の技術を磨くと、小学4年生のタイミングで和歌山県内にある少年サッカーチーム、アルテリーヴォ湯浅へ“移籍”。さらに、アルテリーヴォに移った小4の夏に行われた和歌山の県大会でセレッソ大阪スクールのエリートクラスにスカウトされたことがきっかけで、アルテリーヴォ湯浅での活動と並行してセレッソでもプレーすることになった。
「すごい選手がいる」という評判を聞きつけて小5の北野のプレーを初めて見た時、「この子はプロになるやろうな、と思いました。それぐらいズバ抜けていました」と語るのは、後にC大阪U-15でコーチとして指導し、北野にとって恩師となる金晃正(現・C大阪U-18監督)だ。「6年生になってすぐ、U-15の練習に参加してもらい、オファーを出しました。練習参加に来た時も、とにかくセンスが凄かった。中1に混ぜてもいいプレーをしていました。体が小さかったので潰されるシーンはあったのですが、そんなことは問題ありませんでした」と当時を振り返る。
「置き土産」はU-15時代から磨いてきた技術の賜物
U-15での活動は地元の和歌山から通うのではなく、家族で大阪へ引っ越し。「父だけ仕事の関係で和歌山に残ったのですが、同じタイミングで兄も大阪の高校へ進学が決まっていたので、母と3人で大阪に移りました」(北野)。家族の支えも力に変えて、サッカーに取り組んだU-15時代。徹底的に磨いたのが、「ファーストタッチと動き出し」(北野)だ。小柄な彼はフィジカルで劣る分、「トラップした瞬間のボールの置きどころや、相手に触られずに止めてターンして前を向く」(北野)技術にこだわった。
「当時からスピードはあったのですが、体が小さかった。だからこそ、相手に触られない技術はずっとアプローチしていました。それに彼の特長は動きながらプレーできること。動きながら周りを見て、次のことを考えてプレーにつなげる能力も非凡でした」(金晃正)
「小学生時代からパワーではなくスピードや技術で勝負するタイプでしたし、技術にはそれなりに自信もありました。中学に入ると、さらに自分より大きな選手は当たり前にいて、フィジカルの差は大きいと感じました。ただ、当時の金コーチからは、『小さかったら技術を身につければいい』という指導を受けて、それが今につながっています」(北野)
両者の意見が一致し、中学時代に磨いた技術が「現在のベースになっている」と北野は語る。ボールを受けて前を向くターン、周りを見てワンタッチで次のプレーに移る連続性。その長所が遺憾なく発揮されたのが、冒頭で記したC大阪での“ラストマッチ”、清水戦だった。
2-1で迎えた後半、北野は2つのアシストを記録したが、畠中槙之輔の縦パスを受けた後、相手DFを巧みなタッチで交わしてスルーパスを送り、ラファエル・ハットンのゴールにつなげた3点目。喜田陽のパスを受けてファーストタッチで前を向き、ドリブルして前方のルーカス・フェルナンデスへ付けて決まった4点目。この2アシストは、まさに培ってきた技術が凝縮されたプレーだった。
「自分の特長が出たシーンだったので、そのプレーだけを見れば満足はできるかなと思います」と北野。前半にPKを外しているだけに試合後は満面の笑みとはいかなかったが、アカデミー時代から彼に関わってきた多くの指導者や関係者に見守られた中で、そうした人たちも唸らせる置き土産をしっかりと残してみせた。
クラブ史上最年少の16歳2ヶ月12日でJリーグ公式戦デビュー
記憶とともに、彼が残した記録はいくつもあるが、Jの公式戦にクラブ史上最年少でデビューしたことは彼の才能を物語る大きなトピックだ。C大阪U-18に昇格した高校1年生の2020年。トップチームに2種登録された北野は同年10月、C大阪U-23の一員としてJ3リーグ第23節・ガンバ大阪U-23戦に途中出場。それまで瀬古歩夢が保持していた記録を更新する、クラブ史上最年少の16歳2ヶ月12日でJリーグの公式戦デビューを果たした。
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Profile
小田 尚史
2009シーズンより、サッカー専門紙『EL GOLAZO』にてセレッソ大阪と徳島ヴォルティスを担当。2014シーズンより、セレッソ大阪専属となる。現在は、セレッソ大阪のオフィシャルライターとしてMDPなどでも執筆中。
