「長崎から世界へ」松澤海斗のベルギー移籍が、古巣広報帯同の“幸せな旅立ち”になった理由
【特集】旅立ちの時。夏の海外移籍#1
松澤海斗(V・ファーレン長崎→シント=トロイデンVV)
欧州サッカーがシーズンオフとなる夏は、Jリーグからの海外移籍が佳境となる季節だ。ベルギー、オランダ、ポルトガル、デンマーク、チャンピオンシップ(英国2部)に渡った逸材たちが高確率で活躍することで、近年日本人選手への評価がさらに高まっている。この夏、Jリーグ経由で新たに羽ばたく挑戦者たちにフォーカスする。
第1回は、V・ファーレン長崎からベルギー1部のシント=トロイデンVVに完全移籍した松澤海斗。古巣広報がベルギーまで密着するという異例の待遇となった移籍劇の背景に迫る。
ネイマールに憧れた少年
少年はネイマールのようになりたかった。
華麗な足技で相手を翻弄し、見ている人を魅了する。そんなネイマールの姿に憧れ、自分もそうなりたいという一心から、公園で何度も何度もドリブルを練習した。ドリブルで相手を抜くと、自分が楽しいだけでなく見ている人も喜んでくれた。それが嬉しくて、ますますドリブルに磨きをかけた。ひたすらに足下のボールだけと向き合い、夢中になってネイマールの姿を追いかけていた。全国の舞台で活躍することなんて考えてもいなかった。
名古屋経済大学1年の時、初めてU-19全日本大学選抜に選出されて合宿へと参加した。それまで自分には無縁だと思っていた同年代トップの世界に立ち、それまで見つめ続けていた足下から視線を外して周囲を見回すと、当たり前のようにプロを意識している選手ばかりだった。だが、その中に入ってもなお、自分よりドリブルが上手い選手はいなかった。
「あれ? 俺、プロになれるかもしれない」
その時、初めて彼はプロの世界を意識した。その日から足下のボールだけを見つめていた視線が少しずつ上を向き始める。
「プロになって活躍して、次は海外に行きたい。そこでネイマールみたいに、みんなを驚かせたい」
そう思ってから6年。大学時代の2度のケガ、リハビリ、大学卒業後の練習参加からのプロ入りや相次ぐ監督の交代。そしてこれまであまり取り組んでこなかった戦術や守備というプロの壁。多くの苦難を乗り越えて出場機会を増やし、ドリブルを武器に存在をアピールし、彼の夢はようやく1つの区切りを迎えた。
松澤海斗、シント=トロイデンVV(ベルギー1部)移籍。
海を渡り、斗う日がようやく訪れたのである。
実は、昨夏にも海外移籍のチャンスはあった
2023年にプロ入りしてから2年半。左ウイングを主戦場にドリブルでの鋭い仕掛けと強力な縦の推進力でインパクトを残してきた松澤海斗。そんな彼の下に初めて海外移籍の話が舞い込んだのは、途中出場中心ながらコンスタントに試合出場を重ね攻撃のアクセントとして活躍していた昨夏のことだった。
長崎というクラブは「長崎から世界へ」を理念の1つと掲げており、髙田旭人オーナーの意向としても、正統なオファーであり、本人の希望があるのであれば無理な引き留めをせずに夢を後押ししようというスタンスがある。しかもこの時、松澤側に相手クラブが提示した条件は移籍金・年俸も含めてなかなかの好条件だったという。クラブ関係者は、元から海外志向の強い松澤がこのオファーを受けることを覚悟していたそうだが、この話は結局成立しなかった。

そこには当時、長崎がJ2で快進撃を続けておりJ1昇格へ向けてチームの状態が良かったこともあるが、より欧州のトップリーグへステップアップしやすいチームや、クラブへの移籍を松澤側が希望したことも大きかったとされる。その中で相手方クラブは日本でのシーズン終了後に再オファーする旨を伝えてきたというが、長崎がJ1昇格に失敗したシーズン終了後、松澤の下に正式な再オファーはなし。松澤は再びJ1昇格を目指す戦いへ舵を切ることとしたのだが、クラブを取り巻く状況の変化とシント=トロイデンからのオファーが状況を一変させる。
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Profile
藤原 裕久
カテゴリーや年代を問わず、長崎県のサッカーを中心に取材、執筆し、各専門誌へ寄稿中。特に地元クラブのV・ファーレン長崎については、発足時から現在に至るまで全てのシーズンを知る唯一のライターとして、2012年にはJ2昇格記念誌を発行し、2015年にはクラブ創設10周年メモリアルOB戦の企画を務めた。
