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“助っ人”らしからぬ誠実さと謙虚さ。ランゲラックが名古屋の背番号1に刻んだ新たな伝説

2024.09.12

【特集】Jで活躍する外国籍選手の条件#3
ミッチェル・ランゲラック(名古屋グランパス)

若手を中心に海外移籍が加速し、選手編成の流動性が増している近年のJリーグだが、外国籍選手の国籍もヨーロッパや南米だけでなく、アジア(+オセアニア)、中東、アフリカなど多様化している。様々なバックボーンを持つ“助っ人たち”が日本に渡ってくる中で、Jリーグで活躍できるのはどんな選手なのだろうか? 各ケーススタディを掘り下げつつ、通訳や代理人の考察も交えて迫ってみたい。

第3回で取り上げるのはJ1・名古屋グランパスのミッチェル・ランゲラック。退団発表後初のホームゲーム、J1第26節東京ヴェルディ戦で「LEGEND」のコレオも掲げられた絶対的守護神が、在籍7年間で伝説となった理由である“助っ人”らしからぬ誠実さと謙虚さを、番記者の今井雄一朗氏が伝える。

 誠実で謙虚。“ミッチ”の愛称で親しまれるミッチェル・ランゲラックがなぜ日本で成功したかといえば、一番に思いつくのは彼のキャラクターあってのことだと断言できる。

 シュツットガルトやドルトムントでプレーし、オーストラリア代表でも常連だったことからGKとしての実力は折り紙付きで、しかしそれが日本でも活躍できる証明書とはならないことは、過去の助っ人外国籍選手たちの“失敗例”を見るまでもない。世界的に見てもやや特殊なところのあるJリーグのサッカーに馴染むためには、そして欧米や南米とはメンタリティが大きく異なる生活にアジャストするためには、やはり個々のパーソナリティに依るところは大きく、ランゲラックはその点においてまずは成功例だったと言える。

 7月30日に行なわれた今季限りでの退団を告げる会見の席上で、彼は感謝の言葉とともにこう言った。「名古屋に来た初日からこのクラブ、そしてこの街の人々も全員が大好きになったんだ」。海外に移籍する日本人選手も同様だが、環境に馴染めるかどうかは成功の秘訣として欠かせない。オープンマインドかつ思慮深いランゲラックの人間性は、その点において大きな力となった。

片道350kmを送迎!母親への感謝に表れる生来の人間性

 2018年に名古屋グランパスに加入するとクラブレジェンドである楢﨑正剛からポジションを奪い、以降の7シーズンで絶対的な地位を築き上げてきた。翌年には引退した楢﨑から背番号1を受け継ぎ、昨年5月にはあのドラガン・ストイコビッチを上回る、クラブの外国籍選手で最多となるリーグ185試合出場を達成。現在その数は230試合を超え、今後も破られることはまず考えにくい数字となっている。

 そもそも外国籍選手が同じクラブに7シーズンも在籍すること自体が珍しいケースで、名古屋ではストイコビッチの7年半に次ぐ、そしてウェズレイやジョシュア・ケネディ、ダニルソンの6年を超える在籍年数は、それだけでランゲラックをクラブのレジェンドとして位置づけるに十分だ。さらに彼を中心とした守備陣は2021年シーズンに9試合連続無失点、823分連続無失点、1シーズンのクリーンシート数21試合と守りに関するリーグ記録を次々と打ち立てており、数字だけでなく実績でもまさに伝説級のプレーヤーとして君臨する。

 歴代のチームメイトの誰からも慕われたナイスガイであるランゲラックだが、その人間性は生来のもののようだ。以前に幼少期のことを聞いた時、母親への敬意をとてもストレートに表したことがあった。彼女の影響で水泳を始めたミッチ少年はコーチがサッカーも愛する人物だったことから“転向”し、さらにはGKをやることに。「GKグローブは子どもには高価なものだったけど、母は買ってくれた。最初は汚したくなかったから、ボールを捕りたくなかったよ」という台詞には、12歳の時分から彼が謙虚な男だったことを感じ取ることができる。

 やがて年代別のオーストラリア代表に選ばれるようになる我が子を母親は片道350kmの道のりを送り迎えし、並行してプレーしていたクリケットの試合にも片道2時間かけてプレーさせていたという。これはさすがに「当時はそれが普通と思っていたけど」と苦笑いしたランゲラックだったが、「違うよね。本当に感謝してもしきれない」とうなずいた。彼は13歳の頃に一度、サッカーのために親元を離れて生活することになるのだが、これもすぐに両親が引っ越してきてくれたという。

 今回、15年ぶりとなるオーストラリアへの帰還を決意した彼には、その大きな理由に「子どもたちにオーストラリアの教育を受けさせたい。母国で成長させたい」という思いがあった。かつて両親が自分に注いでくれた愛情を、名古屋で生まれた3人の子どもに今度は自分が、という温かい気持ちが、そこには強く感じられる。

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Profile

今井 雄一朗

1979年生まれ、雑誌「ぴあ中部版」編集スポーツ担当を経て2015年にフリーランスに。以来、名古屋グランパスの取材を中心に活動し、タグマ!「赤鯱新報」を中心にグランパスの情報を発信する日々。