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「長崎スタジアムシティ」という新機軸(前編)。ジャパネットグループの新たな実験とは?

2024.02.08

なぜ、新プロジェクトが続々発表?サッカースタジアムの未来#3

Jリーグ30周年の次のフェーズとして、「スタジアム」は最重要課題の1つ。進捗中の国内の個別プロジェクトを掘り下げると同時に海外事例も紹介し、建設の背景から活用法まで幅広く考察する。

第3回は、総工費900億円超、100年に一度規模の巨大プロジェクトと言われ、長崎という街全体の命運を握るといっていい「長崎スタジアムシティ」について考えてみたい。

 想像以上の巨大プロジェクトである。

 JR長崎駅から徒歩10分内という好立地に用意された敷地面積は東京ドーム1.5個分の7.5ヘクタール。そこにサッカースタジアム、アリーナ、ホテル、商業施設、オフィスが林立し、総合コンサルティングを展開する『EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社』の算出では、建設時の経済効果は約1,436億円。開業後も13,000人の雇用により963億円が推計され、年間利用者850万人が想定されている。

 このプロジェクトの名は「長崎スタジアムシティプロジェクト」。

 文字どおり、長崎というローカル地域にスタジアムを中心としたシティ(City:都市)を創り出そうという大事業である。

スタジアムシティはいかに進捗してきたか?

 この巨大プロジェクトが動き出したのは2017年。経営危機やコンプライス問題に揺れるV・ファーレン長崎を救済する形で、長崎県佐世保市を拠点とする通販大手のジャパネットグループがクラブをグループ会社化した年に始まる。

 この年の1月、三菱重工業株式会社が工場再編にともない長崎造船所幸町工場の移転を決定。長崎市中心部の超一等地とも言える工場跡地の活用事業者の募集を開始していた。

 市街地のおよそ7割を斜面地が占める長崎市に、市内中心部で7.5ヘクタールもの平地が売りに出されるなど通常はありえない。以前からスポーツ・スタジアムビジネスに興味を持っていたジャパネットグループトップの髙田旭人社長にとって、6月にサッカークラブをグループ化した年に、最高の立地を持つ土地が存在したのは「幸運としか言えない(旭人社長)」ことだった。

Photo: Hirohisa Fujihara

 7月に同地を視察した旭人社長は、即座に事業計画への応募を決定。急ピッチでプランを練り上げ、翌年2月には正式に入札参加を発表。建設費総額500億円超をジャパネットグループが負担し、サッカー専用スタジアムを中心に商業施設、ホテル、オフィス、アリーナ、マンションを併設する複合施設の建設構想を打ち出し、4月に跡地活用事業の優先交渉権者となる基本協定を三菱重工との間で締結した。

 ここからのジャパネットの動きは実にダイナミックだ。10月に不動産売買契約を締結すると、それまでの「通信販売事業」に加えて「スポーツ・地域創生事業」をもう1つの柱として掲げ、スポーツ・スタジアムビジネス事業に注力する方針を発表。半年後の2019年6月には、民間主導の地域創生モデル確立を目指すとして、スタジアムシティの管理運営を行うグループ会社「株式会社リージョナルクリエーション長崎」を設立する。

 さらに年末には、長崎市西方に位置し夜景スポットとして知られる「稲佐山(いなさやま)」の山頂と市街地を結ぶ「長崎ロープウェイ」の共同指定管理者を受託。ロープウェイを500メートルほど延伸させてスタジアムシティと連結させる可能性を検討するとともに、公共施設の管理運用ノウハウを蓄積。同時に国内外のスタジアム視察を続けて、スタジアムシティの施設内容やコンセプトを修正した。

 その結果、当初予定されていた300室規模のマンション計画は見直し、当初は検討段階だったアリーナについては、プロバスケットチーム「長崎ヴェルカ」の創立をへて、ヴェルカのホームとして6,000人収容のアリーナを建設することが決定した。

 23,000人収容としたサッカースタジアムは約20,000人収容に落ち着いたが、髙田旭人氏が強く希望した「規定に沿った中で日本一ピッチと観客席が近いものにしたい」という意向は反映され、あらゆる設備で最新の技術が投入されることになっている。……

Profile

藤原 裕久

カテゴリーや年代を問わず、長崎県のサッカーを中心に取材、執筆し、各専門誌へ寄稿中。特に地元クラブのV・ファーレン長崎については、発足時から現在に至るまで全てのシーズンを知る唯一のライターとして、2012年にはJ2昇格記念誌を発行し、2015年にはクラブ創設10周年メモリアルOB戦の企画を務めた。