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若き青赤の10番から日本の10番へ。成長を止めない佐藤龍之介が突き進むのは世界の主役へと続く道

2023.11.09

U-17W杯から占う日本の未来 #6

コロナ禍を経て2019年以来の開催となるU-17W杯が、11月10日にインドネシアでいよいよ幕を上げる。前回王者ブラジルをはじめとする24カ国が17歳以下の世界一を争うFIFA主催国際大会の最年少カテゴリーは、アンドレス・イニエスタからフィル・フォデンまでのちのワールドクラスが頭角を現してきた若手見本市。AFC U17アジアカップ優勝チームとして森山佳郎監督が招集した全員国内組の“06ジャパン”にとっては、18歳から解禁される国際移籍も見据えてその才能をビッグクラブにまで知らしめる格好の舞台でもある。逸材集団の登竜門への挑戦を見届けながら、彼らが背負う日本の未来を占っていこう。第6回はU-17日本代表の注目選手として佐藤龍之介(FC東京U-18)にフォーカスする

 それは0-4と勝利するためには絶望的な点差を付けられていた、後半の終盤近い時間帯だった。右サイドの角度のない位置から、やや無謀に思えるシュートを放つと、軌道はゴールを大きく外れ、チームメイトからも𠮟責の声が飛ぶ。その直後だ。「中、誰も入ってねえじゃん……」。苛立ちを隠せない呟きが聞こえてきたことで、彼がまだ高校2年生だったことを思い出す。

 9月のある試合で目撃した、そのシーンが強く印象に残っている。呟きの主は、名前を佐藤龍之介という。その1か月前には16歳にしてFC東京とのプロ契約締結が発表された、将来を嘱望されている期待の新星も、さまざまな蹉跌を繰り返した末に、ようやく世界と対峙するための扉の前に立ったのだ。

「『のちのち多少苦労するんだろうな』というのが第一印象でした」(FC東京U-18・奥原崇監督)

 「U-13のナショナルトレセンの記憶がプレーを見たものとしては一番古くて、他にもウチの選手が選ばれていた中で見に行ったんですけど、龍之介のインパクトは正直かなり弱かったですね」。

 そう語るのはFC東京U-18の監督を務める奥原崇だ。1999年にFC東京がJリーグへ参入した時の初代10番であり、現役引退後はその大半の時間をこのクラブのアカデミーで後進の育成に費やしてきた、レジェンド的な存在。そんな奥原は当時の役職であったアカデミーダイレクターとして、佐藤を初めて見た4年前の印象をこう続ける。

 「テクニックはあるけど、身体は小さくて、その時は意志もさほど強そうには見えなかったので、『のちのち多少苦労するんだろうな』というのが第一印象でした」。

FC東京U-18奥原崇監督(Photo: Masashi Tsuchiya)

 当時のデータを見ると、『146センチ、39キロ』という数字が記載されている。参加者の中でもかなり小柄な部類。それでもそのレベルに引き上げられるのだから、テクニックが際立っていたことは容易に想像できるが、のちにJリーガーとなる多くの選手のアカデミー時代を見守ってきた奥原も、13歳の佐藤に決して大きなインパクトを受けたわけではないという事実も興味深い。

 一方で本人は、この頃から明確に4年後のことを意識していたようだ。「U-13の時から森山(佳郎)さんや廣山(望)さんたちがナショトレとかでU-17のW杯についてレクチャーしてくださったのをよく覚えているので、常にそういう人たちから聞いていて、憧れの舞台ではありましたね」。このあたりにも佐藤の持ち合わせている向上心が見え隠れする。

 FC東京U-15むさしでプレーしていた中学2年時も、1つ上の代のチームにこそ引き上げられていたものの、レギュラーポジションを完全に掴むまでには至らない。「中2の時は自分の学年でやると、もう意志は示し始めて、『こういうことをやりたい』ということを周りに伝えることはできていましたけど、上の学年に入るとそういうアクションは一切しないという感じで、“駒”として黙々とやる感じでしたね」(奥原)。

 1つの転機は3年に進級して臨んだ、夏の日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会だ。10番を背負い、チームの中心としてキャプテンマークも巻いていた佐藤は、全8試合にフル出場して3ゴールをマーク。決勝では日本一の懸かったPK戦のラストキッカーも任され、試合後には笑顔で優勝カップを掲げてみせる。このあたりから、自身のやりたいことと周囲のやりたいことをすり合わせ、持てる力を最適な形でチームに還元していく術を身に着けていったようだ。

Photo: Masashi Tsuchiya

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Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!