善意のシャツが選手の踏み絵に。セウタ危機で考える「サッカーと移民」、スペインの光と影
サッカーを笑え #78
サッカーは社会を映す鏡であり、サッカーをきっかけに社会のことを知ることができるのなら、それに越したものはない、と思っている。今回のテーマは「サッカーと移民」。テキストは“不法移民の大量流入に反対するメッセージを隠して批判されたムバッペ、コナテ、ビニシウス”である。
「我われは鯖である」はスペイン人のほぼ総意、だが…
まずは事実関係から。9月15日、エルチェ対レアル・マドリーの試合前、両チームの選手はメッセージ付きのシャツを着てグラウンドに出たのだが、3選手はシャツをたくし上げてメッセージを隠した。メッセージの内容は「我われはみんなセウタ市民」。7月30日と31日、アフリカにあるスペインの飛び地セウタ市に国境を接するモロッコから8万3000人の移民がなだれ込んだ。その背景には「国境は開放されていてEUの市民権がもらえる」というデマ(国内の50万人の不法移民を合法化したニュースが誤って伝わったものとされる)と、モロッコ側警察の受け身な態度(スペイン側では、取り締まりをせず送り出しを支援した、とされている)があった。デマだとわかると大半の者はモロッコ側へ帰っていったのだが、今も1万人ちょっとがセウタに残り、うち8000人は収容施設に入れられ残りの3000人は海岸や街で野宿を続けている。
人口8万人ちょっとの街で住民数に匹敵する人数がなだれ込み、現在も3000人もの若者が衣食住にこと欠いたままブラついているとなると、衛生と治安の問題が当然起こる。遠く日本から眺めていると「追い返せばいい」となるのだろうが、そう簡単ではない。未成年者や難民を追い返すことは人道的にできない。法的に追い返すことはできるのだが、それは「一律」ではなく、身分証明書すら持たない彼、彼女らに個別に事情を聞いて1人ひとり審査した上でなされなくてはならない。人道主義はセウタ市民の犠牲の上に成り立っているのであり、日々びくびくして生活している市民に連帯しよう、というのがシャツ着用の意図だった。
ここで雑学を一つ。メッセージの「Todos somos caballas(カバージャス)」を直訳すると「我われは鯖(サバ)である」となる。「鯖」はセウタの主要な海産物。スペインが飛び地を手放さない理由は、地中海とアフリカの軍事戦略的拠点であることの他、漁業権確保も大きいとされる。セウタの主権を主張するモロッコに対しスペインは交渉にすら応じていない。ちなみに、マラガ市民の愛称はboquerones(ボケローネス)でカタクチイワシの意味である。今季1部に復帰したマラガCFには「カタクチイワシ軍団」という愛称がある。
話を戻す。では、ムバッペ、コナテ、ビニシウスはなぜメッセージを隠したか? これはムバッペのルーツがアルジェリア系移民、コナテは両親がマリ生まれの移民なので、移民反対という立場は取れなかった、ということだろうし、ビニシウスは有色人種への差別を嗅ぎ取ったのかもしれない。とはいえ、移民は大歓迎というスペイン政府ですら今回はセウタ市民を支持する姿勢を明確にしている。移民自体が問題なのではなく、不法で8万人という移民の質と量こそが問題だと捉えている。
一方、私の周りのスペイン人はというと、とにかく移民には反対という人と、移民には賛成(あるいは必要悪)だが今回のセウタの件には反対という人でほぼすべてで、ムバッペ、コナテ、ビニシウスのように不法移民の立場に理解を求める人は、ほぼいない。日常が奪われたセウタ市民の姿が報道されるにつれ、今回の大量流入は移民ではなく「不法侵入者による自国領土の不法占拠、侵略である」との考え方が一般的になりつつある。日本からの移民で外国人である私の立場からすると、一番の被害者はセウタ市民であることには疑いを抱いてはいないが、デマに扇動された移民たちは加害者としてよりも被害者という側面が強いとも思う。なので、「我われは鯖である」というシャツをあまり胸を張って着たくないし、たくし上げて隠す勇気もない、という卑怯な立場であることを告白しなければならない。
アブデを傷付け、ヤマルやブラヒムを傷付けかねなかった
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。
