初陣は日本戦!フォルラン代表監督の誕生は「後退」か、ウルグアイの「本来あるべき姿」か
EL GRITO SAGRADO ~聖なる叫び~ #32
マラドーナに憧れ、ブエノスアイレスに住んで35年。現地でしか知り得ない情報を発信し続けてきたChizuru de Garciaが、ここでは極私的な視点で今伝えたい話題を深掘り。アルゼンチン、ウルグアイをはじめ南米サッカーの原始的な魅力、情熱の根源に迫る。
footballista誌から続くWEB月刊連載の第32回(通算191回)は、2大会連続グループステージ敗退の北中米W杯を経て、ウルグアイのU-20代表監督、そしてA代表暫定監督に任命された47歳のレジェンドについて。新体制初戦は9月24日の親善試合、キューアンドエースタジアムみやぎで開催される日本代表戦だ。
「これがどれほど特別なことか」ウルグアイサッカー史に刻まれる就任劇
「ナチョから電話があった時、私は家で北中米W杯の試合を観ていた。話を聞いた瞬間に思わず立ち上がって、即答で承諾したよ。迷いは一切なかった」
ディエゴ・フォルランは、母国ウルグアイのU-20代表監督及びA代表暫定監督の就任会見で、オファーを受けた時の様子についてそう語った。隣に座っていた“ナチョ”(ウルグアイサッカー協会のイグナシオ・アロンソ会長)は、新監督の声に笑顔で聞き入っていた。マルセロ・ビエルサ前監督を最後まで受け入れることのできなかったメディア関係者たちも、どこか弾んだような、高揚感を滲ませた口調で質問を投げかける。会見場を包み込む空気からは、新体制の発足に対する期待と安堵が隠しきれないように感じられた。
暫定とはいえ、来年3月までA代表の監督を務めることが決まったフォルランを、ウルグアイのメディアの大半が歓迎している。かつて代表のキャプテンとして2010年W杯で大会のMVPに輝き、翌2011年にはコパ・アメリカ制覇を成し遂げた英雄が、新たなリーダーとして再出発を切る――この展開は、ビエルサ政権に批判的だった多くのウルグアイ人にとって、待望の新時代の幕開けを意味する。
だが今回の就任は、単なる「偉大な英雄の帰還」にとどまらない。
フォルランの母方の祖父フアン・カルロス・コラッソは、1950年代からウルグアイ代表監督を務め、1959年と1967年のコパ・アメリカを制覇した名将だ。父パブロ・フォルランは、名門ペニャロールの堅固なDFとしてコパ・リベルタドーレスを含む国内外の7つのタイトルを獲得し、ウルグアイ代表としてもプレー。22歳の時には、のちに義父となるコラッソ監督が率いたチームの一員としてコパ・アメリカ優勝を経験している。一つの家族が3世代にわたって代表の中枢を担うという事実は、この国のサッカー史を振り返っても前例がない。
「そこに座っている私の母にとって、これがどれほど特別なことか想像してみてほしい」
就任会見に付き添っていた両親と姉、妻を前に、フォルランはそう語った。プロデビュー時には「コラッソ監督の孫」、「パブロ・フォルランの息子」として注目を集め、やがて自らも代表の歴史に名を刻んだ彼が、今度は祖父と同じ監督としてチームの指揮を執る。“フォルラン代表監督”の誕生は、たとえそれが暫定的なものであっても、ウルグアイが誇る長く輝かしいサッカー史の新たな一章を綴る歴史的な出来事なのである。
コンプレホ・セレステを再び、帰属意識を育む“家”に
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Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。
