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「一番いいルートが見える」。岡山・西川潤が語る、“アシストの1つ前”を生む思考法

2026.08.03

数字には表れない決定的な仕事がある。ファイナルサードで味方を生かすラストパス、そのさらに1つ前で局面を決める判断――。岡山加入1年目、西川潤のブレイクの兆しは確かに見え始めている。相手の動きを予測し、瞬時に最適解を導き出す思考プロセス、いわきFCで培った身体操作、そして「普通の選手では終わりたくない」という覚悟。着実に進化を続ける24歳の現在地を、本人の言葉から読み解く(取材日:2026年7月1日)。

「自分にないもの」がそろう岡山を選んだ理由

──明治安田J1百年構想リーグでの戦いを振り返りつつ、2026-27シーズンに向けたお話を伺えればと思います。セレッソ大阪でプロキャリアをスタートさせた後、サガン鳥栖やいわきFCでプレー強度、連続性、オフ・ザ・ボールを磨き、2026年に岡山に加入しました。移籍の際、ボール保持率が高いなど、得意なオン・ザ・ボールのプレーを出しやすいチームを新天地に求めるという考えはなかったのでしょうか?

 「もちろん、その考えもありました。ただ、それ以上に『自分にないスタイルや特長を持った選手が岡山には多いな』と感じたのが大きかったです。前線に強力な選手がいて、チームとして押し込んだ状態を作れる。その中で自分がボールを受けることによって、自分の良さを活かせるじゃないかというイメージがありました。昨年であれば、自分が低い位置でビルドアップに参加するシーンも多かった。それも武器の1つではあるんですけど、岡山にはルカオをはじめ前線に強力な選手がいます。彼らがいることで、より相手ゴール付近で自分がボールを受けられるシーンが増えるだろうなと。それは移籍を決める上での1つの理由でした」

──実際に百年構想リーグでプレーしてみて、手応えはいかがでしたか?

 「最初はケガもあって出遅れましたが、徐々にチームスタイルや求められるプレーを理解できるようになりました。ゴールやアシストという数字はなかったですけど、その1つ前のシーンで得点に絡むプレーを出せたことはポジティブに捉えています。ただ、『もっとできる』という悔しい思いも残りました」

西川潤

“アシストの1つ前”はどう生まれるのか

──ファン・サポーターにとって非常にインパクトが大きかったのは、第14節のサンフレッチェ広島戦での“アシストの1つ前のパス”でした。あの瞬間、どこまで状況が見えていたのですか?

 「あのシーンは、塩谷(司)選手がパッと(ボールを持った自分に)食いついてくるような感覚がありました。それで、左サイドを駆け上がる山根(永遠)選手への足下へのパスだと相手に引っかかるなと思って。『ここ(ペナルティエリアの内側のスペース)にボールを置いたら、山根選手なら走ってくれるだろう』というイメージで、メッセージを込めて出しました」

──プレーオフラウンド第2戦の浦和レッズ戦の終盤にも、山根選手へのアシストの1つ前のパスで追加点に絡みました。鈴木喜丈選手のインターセプト直後に左サイドを駆け上がり、深い位置でパスを受けました。かなり早いタイミングで縦へのスプリントを開始していたように見えました。

 「あの時は残り時間も少なくて1点リードの状況だったので、チームとして『相手コートでプレーを終わらせる』という意識を強く持っていました。あの局面なら、足下で受けるよりも相手の背後を取るランニングをした方が、相手ディフェンスにとっては一番嫌だろうなと。そこに走った中で、うまくタメを作って相手が食いついてきたタイミングでパスを通しました」

──山根選手は最初、西川選手に近寄っていきましたが、途中で内側に切れ込むように急激に進路を変えていました。それもしっかりと感じられていたんですか?

 「見えていました。思い返すと、自分のパスに抜け出すのは山根選手が多いですね。セレッソ大阪ではU-23チームで少し一緒にプレーしましたが、走り出すタイミングや走るコースからどこに出してほしいのかが出し手としてすごくわかりやすいです」

身体操作が変えたプレー。いわきFCでの進化

──あの縦のスプリントでは、宮本優太選手を置き去りにしていました。いわき時代に培ったフィジカルトレーニングの成果が、今に生きている実感はありますか?

……

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Profile

難波 拓未

2000年4月14日生まれ。岡山県岡山市出身。8歳の時に当時JFLのファジアーノ岡山に憧れて応援するようになり、高校3年生からサッカーメディアの仕事を志すなか、大学在学中の2022年にファジアーノ岡山の取材と撮影を開始。2024年からは同クラブのマッチデープログラムを担当し、現在は様々な媒体にも取材記事を寄稿している。東京のスポーツメディア会社に約2年勤務し、2026年からは地元の岡山でフリーランスとして活動。モットーは、「魂を込めて、クラブや選手の魅力を伝える」こと。

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