初出場のW杯でGSを無敗突破した小国カーボベルデの勝負はこれから?9島12クラブが全国選手権を戦う国内の現実
社会から文化まで!北中米W杯スペシャルコラム#4
W杯の魅力は、ピッチ上の勝敗だけでは語り尽くせない。サッカーを通して見えてくるのは、それぞれの国が抱える文化や社会、歴史、そしてときに政治との関係性だ。世界中の価値観が交差する北中米W杯を、多彩なテーマとともに掘り下げる。“もう一つのワールドカップ”が、そこにある。
第4回で取り上げるのは、初出場のW杯でGSを無敗突破したカーボベルデ。9島の12クラブが全国選手権を戦っているものの国内組は0人という、ディアスポラに頼らざるを得ない小国の未来を占う。
W杯初出場ながら、北中米大会初戦でスペインを相手にスコアレスドロー。その後もウルグアイと2-2の打ち合いを演じ、サウジアラビアと0-0で引き分け、無敗の2位で決勝トーナメント進出を決める偉業を達成。世界中の視線が、アフリカ西岸沖に浮かぶ小さな島国カーボベルデに注がれている。
元ポルトガル領のカーボベルデは、9つの有人島を主とする郡島国家である。国土面積は滋賀県とほぼ同じとなる約4033平方kmで、W杯出場国としては史上最少級。人口規模も約50万~60万人とキュラソー、アイスランドに次ぐ小国だ。
しかし、その歩みは決して偶然の産物ではない。国内リーグはまだアマチュア色が強く、育成インフラも十分とは言い難い。それでもカーボベルデは、欧州に広がるディアスポラの力、旧宗主国ポルトガルとの結びつき、そして地道なタレント発掘によって、W杯の舞台にたどり着いた。彼らはいかにして他大陸の強豪国とも渡り合えるチームを作り上げたのか。その歴史と強化策をたどっていく。
欧州組23人で構成される国内組0人の代表チーム
カーボベルデにサッカーが伝わったのは、ポルトガル統治下の1910年代とされる。島を訪れたポルトガル軍人や商人を通じて競技が広まり、1953年には公式な国内選手権が始まった。当初はサン・ビセンテ島とサンティアゴ島のクラブのみが参加する大会だった。
1975年に独立を果たすと、国内選手権の形式も変化した。翌年以降は、各島のクラブが全国大会に参加できる仕組みが整えられ、1982年にはカーボベルデサッカー連盟が設立されている。この代表チームが獲得した最初の大きな国際タイトルは、2000年のアミルカル・カブラル杯。西アフリカ諸国が参加する同大会で強豪国セネガルを破って優勝したことは、カーボベルデサッカー史における重要な転機となった。
そして、その歴史を塗り替えたのが北中米W杯アフリカ予選。グループDでアフリカ勢最多のW杯8回出場を誇るカメルーンを上回り、首位で本大会出場を決めた。史上初めてW杯への切符をつかんだ最終節エスワティニ戦(3-0)の後、ブビスタ監督が口にしていたのは、選手発掘の難しさについてだった。
「この代表チームは、常にタレントの発掘に取り組んでいる。サッカーに休暇はない。多少休むことがあっても、頭の中ではいつも選手や代表チームのことを考えている」
その苦労は北中米W杯メンバーにも表れている。所属クラブの国別選手数で分けると、ポルトガル勢7人、トルコ勢3人、ブルガリア勢2人、キプロス勢2人、ロシア勢2人、アメリカ勢2人、スペイン勢1人、オランダ勢1人、フィンランド勢1人、アイルランド勢1人、ハンガリー勢1人、ルーマニア勢1人、イスラエル勢1人、UAE勢1人という多種多様ぶり。26人中23人を占める欧州組を中心に構成され、国内組は1人も食い込んでいない顔ぶれとなっている。
9島の12クラブが戦う全国選手権もアマチュア色は強いまま
現在のカーボベルデ全国選手権は、欧州CLの新フォーマットに類似した形に落ち着いている。9の有人島のうち、サンティアゴ島とサント・アンタン島のみ南北の2つに分かれた計11の地域王者に前年王者を加えた12クラブによって争われ(その前年王者が地域王者となった場合は、前年の国内準優勝チームが参加する)、各チームはリーグフェーズで6試合(ホーム・アウェイ各3試合)を戦い、上位4チームがプレーオフへ進出。ホーム&アウェイ方式で準決勝が行われ、最後は一発勝負の決勝でカーボベルデリーグ王者が決まる。
しかし、依然としてアマチュア色が強いままで、カーボベルデ代表の北中米W杯メンバーそれぞれのプロキャリアを振り返っても、国内クラブを経由した選手は7人しかいない。ゆえに重要性が増す選手発掘には、スカウティングツールや連盟・クラブ間のネットワークといった一般的な手法に加え、より柔軟なアプローチも使われてきた。
象徴的なのがアイルランドで生まれ育ったCB、ロベルト・ロペスのケースだ。彼は日本でも広く報じられているように、LinkedInを通じてカーボベルデサッカー連盟から誘いを受け、父の出身国であるカーボベルデに代表入りした1人。こうしたSNSの活用などは現代的でありながら、人的ネットワークに頼らざるを得ない小国ならではの発掘方法ともいえる。
英『BBC』によると、ロペスのように出身国とは異なる代表チームを選んだW杯登録選手の割合は、北中米大会で史上最多の23%超を占めることになったそうだが、カーボベルデ代表は半数以上(14人)が国外で生を受けている。その背景にあるのが、海外に暮らすカーボベルデ系住民、いわゆるディアスポラが国内人口の約3倍となる約150万人にも達するという、カーボベルデ特有の人口構造だ。
カーボベルデでは、干ばつや水不足、農業の難しさなどを背景に、多くの人々がより良い生活を求めて国外へ移住してきた歴史がある。その結果、ポルトガル、オランダ、フランス、アメリカなど各地にカーボベルデ系コミュニティが形成されている国情は、代表強化において大きなアドバンテージとなっている。欧州をはじめとする世界の育成環境で鍛えられた選手も、貴重な戦力として迎え入れることができるからだ。事実、今大会のメンバーにもポルトガル生まれが3人、オランダ生まれが6人、フランス生まれが3人、アメリカ生まれが1人いる。
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Profile
ゴンサロ
大学時代にポルトガルのリスボンへ留学。現地エスタディオ・ダ・ルスの熱狂的雰囲気に圧倒され、ベンフィカの虜となる。趣味はベンフィカやポルトガル代表の試合観戦を目的とした海外旅行。ポルトガルサッカーに関するニッチな情報を日々SNSにて発信している。X:@BergkamPutin
