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なぜ、広島は38歳のガウルを選んだのか?――栗原圭介強化部長が語る就任の背景

2026.01.19

サンフレッチェ情熱記 第32回

1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第32回は、なぜ監督としての大きな実績がない、クラブ史上最も若い38歳のバルトシュ・ガウルを新監督に選んだのか――栗原圭介強化部長に就任の経緯やその背景にある想いを掘り下げてもらった。

 サンフレッチェ広島の経営に携わって29年目を迎えた久保允誉会長が石垣島キャンプを訪れ、選手たちに対してこんな言葉を語りかけた。1月14日のことだ。

 「サンフレッチェ広島には3つの大切なことがある。1つ目は、自分のストロングを把握し、その強みをもっと強くしていこうとする努力。2つ目は仲間たちを信じていいコミュニケーションを取る。そして3つ目は、監督・コーチを信頼して、ともに闘っていくことだ」

 その言葉を聞きながら、バルトシュ・ガウル新監督は深く、頷いた。

 「会長の言葉にあるように、僕たちは1つになって闘いに挑むことが大切だ。選手、スタッフ、そしてサポーターとともに、みんなでやっていこう。全てを出しきり、一方で楽しんでいこう」

 その言葉を聞きながら、久保会長もまた、頷いた。38歳というクラブ史上最も若い監督に対しての信頼が、その表情に存在した。

バルトシュ・ガウル新監督

前任者へのリスペクト。新監督探しのスタートは遅かった

 広島がミヒャエル・スキッベ監督と過ごした4年間と訣別を決めたのは、昨年の秋頃のこと。その事情については前回の『スキッベとガウルをつなぐ共通項。去り行くドイツの名将が広島に遺してくれた「無形の財産」』を参照していただきたいが、実は広島はスキッベ監督の退任が決まる11月中旬まで、具体的な監督選びは行っていなかった。

 「そこはやはり、スキッベさんへのリスペクトがあったので、次の監督については話が決まった後から動き出しました」と栗原圭介強化部長は言う。

 「サンフレッチェ広島をここまでのチームに押し上げてくれたのは、スキッベさんの力なしには語れない。それは間違いのない事実です。非常にアグレッシブで、躍動感に満ちたサッカーを表現してくれたし、成績も良かった。だからこそ、後任の監督選びが困難でしたね。土台となるスキッベさんのサッカーを大きく変えずに、ここから進化させてくれる人を探さないといけない」

ミヒャエル・スキッベ前監督

 何よりも時間がない。もちろん、ある程度の情報収集は継続的にやっているものではあるが、状況は刻々と変わる。想定していた監督候補が様々な理由で就任不可能となるのは、一般論としてよくある話だ。

 思い出したのは2006年のこと。成績不振で小野剛監督がシーズン途中で退任し、後継者探しが難航した時のことである。当時の織田秀和強化部長には2人の監督候補を想定していたが、どちらの人材も就任不可能となってしまった。だが彼は諦めずに人材捜しを続け、イビツァ・オシムを千葉に招聘した名GM・祖母井秀隆の紹介によってミハイロ・ペトロヴィッチに辿り着いた。

 日本のサッカー界では全くの無名だった49歳の指導者がその後の広島、そして日本のサッカーに多大な影響をもたらすことになるとは、当時誰も想像していなかった。しかもこの名将は、熟考の末に選ばれたわけではなかったのだ。

 なにせ織田部長は、ペトロヴィッチが率いたチーム(例えばシュトルム・グラーツ)のサッカーを研究・分析する時間もなかった。彼とグラーツ(オーストリアの街)のレストランで初めて出会い、数時間にわたって言葉をかわし、彼のサッカー哲学に共鳴して決めたのだ。論理ではなく感性。それが、サンフレッチェ広島というクラブに大きな果実をもたらした。J2降格という大きな痛みは被ったが、彼が広島で過ごした5年半なくして2012年以降の「4年で3度の優勝」はなく、この黄金期なくして「エディオンピースウイング広島」という新スタジアム建設気運の盛り上がりもなかった。

育成ができる指導者+「1年」のトップ監督経験

 では、バルトシュ・ガウルという新監督との出会いは、どういう経緯だったか。

 「スキッベさんの後任だからといって、ドイツ人指導者にこだわっていたわけじゃないんです。とにかくサッカーのスタイルを見ながら監督の人選も進めていきました」と栗原部長は言う。

 「ただ、考えたのはトップチームの強化だけでなく、育成を外してはいけないということ。『育成の広島』ですからね。次の監督には、ユースとの架け橋もそうだし、試合に出ていない選手たちへのアプローチも含めて、チーム全体を成長させてくれる人が望ましい。その中で浮上してきたのがバルトシュ・ガウルという人材でした」

 代理人筋だけでなく、自身の人脈も含めて、多くの人材の紹介を受けたと栗原部長は言う。

 バルトシュ・ガウルはシャルケやマインツといったドイツの名門で、主として育成分野でキャリアを積んできた。ドイツ屈指の育成指導者であるノルベルト・エルゲルトの下でシャルケU-19チームのアシスタントコーチを経験し、多くのプロ選手たちを育成した経験を持つ。彼が指導した選手の中には、後のドイツ代表であり、世界的な名選手となったレロイ・サネ(ガラタサライ)やティロ・ケーラー(モナコ)も含まれている。

 ただ栗原部長は育成の実績だけでなく、彼がポーランドの名門=グールニク・ザブジェでトップチームの監督も務めている事実に着目した。 

……

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Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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