「僕は最後は絶対、山口で引退したいんですよ」大分を支えてきた野村直輝、6年間への感謝とレノファへの特別な感情
トリニータ流離譚 第32回
J3からJ2、そしてJ1へと昇格し、そこで課題を突きつけられ、漂泊しながら試練を克服して成長していく大分トリニータのリアルな姿を、ひぐらしひなつが綴る。第32回は、「僕にJ1の風景を見せてくれた」という大分への感謝、そして「ただ出身地の山口でやりたいっていうんじゃなくて、これまでお世話になった人たちがい過ぎる場所に帰りたい」という故郷のクラブとの強い結びつき……苦境のチームを6年間支え続け、新シーズンからレノファ山口に活躍の場を移す野村直輝の思いを伝えたい。
2025年12月24日、野村直輝のレノファ山口への完全移籍がクラブから公式に発表された。大分トリニータがJ1で戦っていた2020年に加入して以来6シーズン、唯一無二の存在感を放ってきた背番号10との別れ。発表の2日後にはクラブハウスでサポーターたちとのお別れ会も開催され、野村との別れを惜しむ人の列は途切れることなく、3時間超のセレモニーとなった。
コロナ禍と重なった大分加入とJ1の舞台
2019年のJ1参入プレーオフで昇格を逃した徳島ヴォルティスからの完全移籍。当時の徳島の一体感を愛していながら、自らを鼓舞しての決断だった。
「J1というものを早く知りたかったんです。プレーや質だけでなく、組織としてどうなのか」
だが、期待に満ちてスタートした大分での生活はいきなり、コロナ禍という未曾有の世界的アクシデントに見舞われる。開幕のセレッソ大阪戦をアウェイで戦い、野村自身も途中出場で大分デビューを果たした後、Jリーグは7月まで、長い活動休止期間を余儀なくされた。
「大分はいいところだといろんな人たちに聞いていて、それも楽しみにして来たのに、外に出られないから街のことも何もわからない。自分が大分にいるという実感を持てなかった」
静寂しかない自宅前の道路で子供たちとリフティングするのが精一杯。チームメイトたちとの交流もほとんどなく、トリニータの一員としての感覚が生まれてこない。そんな苦しい時間を乗り越え、ようやくリーグが再開してからは、移籍による環境変化やコロナ禍によるイレギュラーな数カ月間の影響もあってか、負傷を繰り返すことになった。
再現性と自由度の間で悩み続けた6年間
それでも試合に出ればテクニックやIQの高さに裏打ちされた個のポテンシャルを発揮していたのだが、野村自身はずいぶん悩んでいたのだと、のちに明かす。
「監督のやりたいことをどこまで守ればいいのかがわからない。言われたことを遂行しようとする意識に寄せすぎたというか、いい意味でも悪い意味でもいい子になっていた。多少は戦術を破ってでも自由にやればよかったのか……」
当時の片野坂知宏監督は、就任した2016年からコツコツと構築して「カタノサッカー」と呼ばれるようになった独特のスタイルでJ1にチャレンジ中。カテゴリーが上がり選手も入れ替わる中で少しずつバージョンアップしながら、攻撃の形が明確な再現性の高いスタイルで戦っていた。コンビネーションの形にも一定の約束事が設けられた組織にいきなり放り込まれ、クリエイティビティを強みとしてきた野村が戸惑ったのも無理はない。
2021年にはJ2降格とともに片野坂監督が退任し、翌年からは下平隆宏監督体制となる。片野坂監督と同様にポゼッション志向の強い指揮官だが、下平監督の方が攻撃時の自由度が高い。シーズン前半はJ2降格とコロナ禍の皺寄せで11連戦、9連戦、7連戦とタイトなスケジュールをこなすことで精一杯だったが、その時期を乗り切るとぐっと勝率を高め、リーグ戦を5位で終えた。翌年は下平監督のチームマネジメントが、よりエコロジカルな方向へとシフト。「共創」というキーワードの下に、選手たちに委ねられる領域がぐっと多くなった。最初のうちは野村も「みんなで作っていける。若手にも伝えていきたい」と士気を高めていたのだが、負傷者の続出などでチームとしての戦い方が定まらず、シーズン折り返し後は急速に勝率が衰えて、9位で終えることになる。
2024年からの第2次片野坂監督体制では、前回体制の「カタノサッカー」とは一転したスタイル構築を目指した。コロナ禍を境にして大きく変貌した戦術トレンドに対応すべく指揮官自身も試行錯誤の新たなチャレンジに踏み切ったが、トレーニングの内容や強度の変化で負傷者が絶えず、戦術的指示の匙加減の調整も様子見を繰り返しながらといった感じで、残留争いの末になんとかJ2に踏みとどまる。体制2年目こそと戦い方のイメージを定めて臨んだ昨シーズンは、守備意識を高めたことが影響したのか攻撃面が整わず、再び残留争いに巻き込まれて指揮官交代。ヘッドコーチから昇格した竹中穣監督の下、勝ち点1差でギリギリJ2残留を果たすという結末まで苦しんだ。

後輩たちに伝えてきた信念
こうして時間軸にそって振り返ると、野村の大分での6シーズンは、外的環境の荒波に大きく翻弄され続けたことがわかる。コロナ禍であったり、戦術やマネジメント手法のトレンドの変遷であったり、それに伴う指揮官のチャレンジであったりと、安定的に戦うことが許されない状況が続いてしまった。
そういう意味で不運ではあったが、その中でも野村は常に懸命だった。
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Profile
ひぐらしひなつ
大分県中津市生まれの大分を拠点とするサッカーライター。大分トリニータ公式コンテンツ「トリテン」などに執筆、エルゴラッソ大分担当。著書『大分から世界へ 大分トリニータユースの挑戦』『サッカーで一番大切な「あたりまえ」のこと』『監督の異常な愛情-または私は如何にしてこの稼業を・愛する・ようになったか』『救世主監督 片野坂知宏』『カタノサッカー・クロニクル』。最新刊は2023年3月『サッカー監督の決断と采配-傷だらけの名将たち-』。 note:https://note.com/windegg
