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中立は理想?それとも欺瞞?ジャーナリストはサポーターであることを隠すべき?『スカイ』放送事故にみる、2つの論点

2025.11.14

CALCIOおもてうら#56

イタリア在住30年、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えるジャーナリスト・片野道郎が、ホットなニュースを題材に複雑怪奇なカルチョの背景を読み解く。 

今回は、サッカーを報じるジャーナリストは「中立」であるべきで、特定クラブのサポーターとして振る舞うのは好ましくない――という議論について、イタリアで起こった「ある騒動」を例に考えてみたい。

 11月2日、イタリアの24時間スポーツニュースチャンネル『スカイ・スポルト24』で偶然起こったある「放送事故」をめぐって、サッカージャーナリスト/ジャーナリズムのあり方を問い直す興味深い議論が巻き起こった。

『スカイ』関係者がインテルの劇的決勝点で大喜び!?

 事の発端はこうだ。同日の午後2時過ぎ、12:30キックオフだったセリエAのエラス・ベローナ対インテルが1-1のままアディショナルタイムに入り、引き分け=インテルの取りこぼしが濃厚になっていたところで、ベローナのCBフレーセがクロスの競り合いで不運なオウンゴール。その瞬間、『スカイ・スポルト24』のキャスターがモニター越しに試合を見ながら実況をしていた映像に、ニュース番組のスタジオと編集部を隔てる半透明のバックドロップの向こう側で2人の人影が歓声をあげて抱き合う姿が映り込んでしまったのだ(同局はこの試合の放映権を持っておらず、ニュース番組でキャスターが終了間際の攻防を実況するという状況だった)。

 それから間もなく、この場面をキャプチャした映像がSNSのショート動画で拡散され、様々な反応を引き起こした。その中には、本来中立であるべきジャーナリストがその職場で「ティフォーゾ」(サポーター)として振る舞うとは何事か、というもっともらしい批判もあったが、それ以上に多かったのは、ジャーナリストとして中立を装っていても、やはり1人のティフォーゾであることに変わりはないというその「本性」が、偶然ニュース番組という公の舞台でさらされてしまったことに対する嘲笑や失笑だった。

議論を呼んだのは編集局長の社内メール

 それだけで終わっていれば、よくある一過性のプチバズ程度で、数日後には忘れ去られていたかもしれない。議論を呼んだのはむしろ、この一件をめぐって 『スカイ・スポルト』の編集局長フェデリコ・フェッリが記者たちに送り、おそらく内部からのリークによって独立系オンラインニュースマガジン『Lettera43』に流出・掲載された訓告社内メールの内容だった。長くなるが、その主要な部分を以下に引用しよう。

 「親愛なる同僚諸君へ

 本日、編集部は、私たちの職業と、『スカイ・スポルト』の名が象徴するべき威信と信頼性を損なう、恥ずべき出来事の主役となってしまいました。ここで言う“編集部”は、私たち全員を指しています。なぜなら外部の人々からは、『スカイ・スポルト』という1つの存在として見られており、誰か1人の失態は私たち全員の失態になるからです。どのチームか、どの試合かにかかわらず、ゴールに対してバールやスタジアムのようなはしゃぎ方を見せることは、常に、そして特にそれが放送に映るような場合には、断じて許されません。

 責任者は特定され、処分を受けることになります。しかし、私が本当に伝えたいのは、このSNS時代においてサッカーという題材は極めてデリケートな領域であるということです。そして中立性、公平性、節度、プロフェッショナルな姿勢は、どのような形であれ報道機関にとって欠くことのできない要素なのです。私たち全員が、自分たちが代表しているブランドの重みを自覚しなければなりません。

 したがって、この話は皆さん各自のSNS個人アカウント、そしてスタジアムで『スカイ』のクレデンシャルを身に着け、私の責任のもとに行動している際の振る舞い(それが取材であれ、単なる観戦であれ)にも同様に当てはまります。例えば選手に写真やユニフォームを求めることは、私の考えでは、我々の職業の範疇ではありません。私たちはファンではなく、ジャーナリストなのです。そして言うまでもなく、放送に出演している時はさらに一層の注意が求められます。実のところ、私はもううんざりしています。これ以上、過去にそうしてきたように、規則を一から示したり、この件について議論を重ねたりするつもりはありません。

 ファンのような振る舞いをする者、公平さを欠き、好き嫌いや偏見に左右された判断を下す者、あるいは一般的に、私たちの職業や『スカイ・スポルト』の名誉を損なうような行動を取る者は、編集方針上、現場記者、出演者、あるいは編集上の責任を担う立場にふさわしくないと見なします。これまでもそうしてきましたし、これからはさらに厳しく対応するつもりです。このことが全員の頭にしっかりと叩き込まれることを願います」

 同時に、インテルのゴールに歓喜した2人は『スカイ・スポルト』の記者ではなく見習い中のインターンであること、彼らはその直後に家に帰され、翌日から1週間の謹慎処分を受けたことも明らかになった。

 興味深かったのは、この社内メールに対する同業者たちのSNSやブログ上での反応が、サッカージャーナリズムのあり方そのものを巡る議論に発展したところ。

 反応の中には、「プロの記者である以上、仕事の場では感情を抑制し客観的かつ中立的な立場を取り、そう見えるように振る舞うべきというフェッリの主張を支持する意見もあった。しかしそれ以上に多かったのは、「こうした物言いは偽善であり欺瞞でしかない。実際のスポーツマスコミの現場は、建前としての中立性を装いながら、明らかにサポーターであることがわかる振る舞いを見せている記者であふれている。『スカイ・スポルト』の番記者たちも多くはそうではないか」という意見だった。

「中立」という建前が、なぜ「欺瞞」に感じるのか?

……

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Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。

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