ストライカーとしての分水嶺。サガン鳥栖・山田寛人は「迷い」を捨て切ってチームの救世主になりえるのか
プロビンチャの息吹~サガンリポート~ 第21回
2025シーズン。山田寛人がプロになって初めての完全移籍を決めた先は、セレッソ大阪時代から師事してきた小菊昭雄監督が今季から指揮を執るサガン鳥栖。ストライカーとして大きな期待を寄せられていたものの、ここまでのシーズンは負傷離脱やポジションの変更もあって、波に乗り切れたとは言い難い。だが、ここから先は勝利のみが求められる最終盤。もうやるしかない。勝負のラスト“4試合”。背番号34はチームの救世主になりえるのか。
決意の完全移籍。指揮官から掛けられた期待の言葉
「お前が2ケタ取らないとJ1には上がれないよ」。シーズンが始まる前、山田寛人は小菊昭雄監督からそう言葉を掛けられた。今季、サガン鳥栖に加わるまでの7シーズンでリーグ戦の通算得点は10得点(J1で6得点、J2で4得点)。シーズンでのキャリアハイも22年のセレッソ大阪での4得点と、FWを主戦場とする選手としては物足りない数字が並ぶが、それでも指揮官は大きな期待を寄せた。
もしかすると潜在能力を解放し切れないC大阪時代からの教え子に、強いプレッシャーを掛けていたのかもしれない。山田自身にとってもプロで初めての完全移籍での新天地。不退転の決意でやってきたからこそ、メンタリティーもプレースタイルも“ストライカー”であることにこだわることを決めた。
しかし、新天地でのスタートは順風満帆とは言えなかった。第3節・FC今治戦で相手との接触により肋骨にヒビが入り、離脱を強いられる。その間にチームはシステムを変更し、戦い方も大きく変わった。復帰後もチーム事情から1トップではなくシャドーで起用されるなど、“ストライカー”としてあろうとする山田にとっては少し難しい環境になってしまっていた。
それでも復帰から3試合目の第9節、V・ファーレン長崎戦では、1トップの位置で先発起用のチャンスが巡ってきた。監督、コーチングスタッフとの面談で1トップとシャドー、どちらで勝負していくのかを問われた山田は、迷うことなく「最前線」と回答。その意志を買った小菊監督の判断だった。
「“何か”をつかんだ試合」。退路を断って臨んだ長崎戦の2ゴール
「毎試合ラストチャンスだと思って臨んできましたが、この舞台を用意してもらえるのは最後だという思いで臨んだ」
まだ開幕から9試合、負傷離脱の時期もあったことを考えればエクスキューズは立つが、山田は退路を断った。その決意はこの試合でのプレースタイルにも表れた。
「自分のなかでのリミッターというかいろいろなものを外してシンプルにプレーしよう」
ボールを受けに落ちてビルドアップのサポートをすることやポストプレーなど、現代のFWにはさまざまなタスクが求められるが、山田はこの試合で前を向き続けることだけを選択した。鳥栖自体も後方からのビルドアップに優れ、FWの助けを借りずとも相手ゴール前まで高い確率でボールを運べるという持ち味も、山田の選択を後押しした。
ほかの作業を削ぎ落し、ゴールだけを狙う。それはまさに“ストライカー”のメンタリティーであり、その気概はプレースタイルとなって表れた。愚直にゴールを目指し続けた山田は、この試合で今季初得点を含む2得点を記録。「あの感覚でプレーできたことがうれしかった」と本人も言うように、山田のなかで“何か”をつかんだ試合となった。
マテウス・ジェズスに突きつけられたストライカーとしての現在地
しかし、好事魔多しとはよく言ったもので、この試合で山田は右肩を脱臼。長期離脱を強いられることになった。ただ、プレーできず試合にも出られない期間だったが、メンタリティーだけは損なわないように努めた。
……
Profile
杉山 文宣
福岡県生まれ。大学卒業後、フリーランスとしての活動を開始。2008年からサッカー専門新聞『EL GOLAZO』でジェフ千葉、ジュビロ磐田、栃木SC、横浜FC、アビスパ福岡の担当を歴任し、現在はサガン鳥栖とV・ファーレン長崎を担当。Jリーグを中心に取材活動を行っている。
