「ダメだったら引退する」どん底から這い上がった柴田壮介が、試行錯誤からいわきで探し当てた「自分」
いわきグローイングストーリー第12回
Jリーグの新興クラブ、いわきFCの成長が目覚ましい。矜持とする“魂の息吹くフットボール”が選手やクラブを成長させ、情熱的に地域をも巻き込んでいくホットな今を、若きライター柿崎優成が体当たりで伝える。
第12回は、いわきFCの不動のアンカーとして活躍する柴田壮介を取り上げる。一時は引退まで脳裏によぎったどん底からの試行錯誤や成長の軌跡をレポートする。
今年の夏はチームの躍進とともに多くの選手たちが成長を見せた。
その中の一人、柴田壮介は中盤の要として絶対的な地位を確立した。168cmと小柄ながら身長差を感じさせないボール奪取の巧みさ、フィジカルの強さで相手の攻撃を封じ、チームの攻撃を作り出す。縁の下の力持ちのようなプレーが、攻撃に比重を置いた[3-1-4-2]の布陣を成立させる要因の一つだろう。
「アンカーの方がシャドーと自由に高い位置で攻撃に絡んでいける。自分のところで攻撃に厚みをもたらしやすいし、攻守の切り替えでボールを奪い取って攻撃に移行するシーンも作りやすいし、手応えがある」
昨年の夏にJ3のヴァンラーレ八戸から加入。八戸では20試合に出場。プロとして出場機会を増やしながら成長しているタイミングでの移籍だった。ケガを抱えたまま合流したこともあり、戦列復帰は9月まで待つ必要があった。そこから途中出場でプレー感覚を取り戻し、J2第32節・徳島ヴォルティス戦で初スタメンを飾る。硬直した難しい試合展開だったが、球際の強さなど特徴を存分に発揮して勝利に貢献した。田村雄三監督も「影のMVP」と賞賛した。
アンカーとしてついに掴み始めた感覚
ブレイクした要因は、チーム戦術の浸透と個人のレベルアップにある。
今のいわきの強さの原動力の1つに、全員の守備意識がある。前線の守備から始まり、相手のパスが入ったところに素早く寄せてプレーの選択肢を狭める。それを成し得ているのは、選手個々のコーチングの声と守備の原則理解がある。
「チームが勝ち出してからは、後ろの選手たちが相手に自由を与えずに、そこで奪い切ってくれるシーンが多い。その分、自分がそれを信頼することで高い位置まで行くことでむしろ相手を押し込んでボールを取れると感じている」
中盤の底に位置しながら、相手のゴールキック時にはやや高い位置にポジションを移すことで相手に後方からボールを配球させない。「自分たちが前に行けば後ろを開けるが、その分、後ろが潰しきってくれる信頼があれば前へ出やすい」と言う。
柴田の一列前に入る山下優人と石渡ネルソンが運動量を落とさず攻守で戦い、石田侑資や堂鼻起暉は状況判断に優れた守備の巧みさに秀でる。それらがすべてリンクすることで、柴田も相手にとって嫌なポジションを取れる。そうなると相手はFWや背後を目掛けてラフに蹴ってくる。相手に対してタイトにいく守備戦術が徹底されているいわきは、相手のキックに対する予測と回収が速く、ボールを奪ってから誰が、どこに、ランニングするか、サポートに入るのか、練習時から田村監督が口酸っぱく落とし込んでいるであろう形がトランジションの際によく見られる。
「監督やコーチから助言を受けて自分のポジショニングが整理されてきた。すべての局面にはパワーを出しきれないので、どこでボールを奪いに行くか、整理がついてきているのは大きい。自分の周辺にボールが落ちるように持っていける、そういうシーンが増えている。時には相手にパスを入れさせて自分のところで奪い切るとか、相手陣地の攻防だったらボールに強く行って奪えればチャンスになる。守備が攻撃のチャンスになっていることはすごく感じている」
「守備時のポジショニングを取るにあたって、相手のパスが出てこないところは切り捨てることが大事だと思っている。例えば、仮に相手のサイドバックがボールを持ったとして、相手のボランチに自分がマークについてるときに、そのボランチに対するパスコースをファーストDFに切らせる。そうすれば相手のサイドバックからは縦パスか斜めのパスしか入らないシチュエーションになる。味方を動かして、自分のマーカーへのパスを切らせて次を狙う。それも守備の技術だと思う。山下選手はその対応がうまいので、そういうのも見ながら、ボールに対して動く感覚はちょっとずつ上がっている」

トップチーム帯同が「苦しかった」湘南アカデミー時代
ボール際の強さ、ボールを奪い取る巧さは、湘南ベルマーレのアカデミー時代から培ってきたものがある。
神奈川県茅ケ崎市出身の柴田は、湘南ベルマーレのアカデミーに加入してプロ入りを目指した。プロ入り後はカターレ富山と八戸を経て、いわきに加入。いわきからオファーを受けるまでの道のりは壮絶だった。
湘南のジュニアユースからユースへ昇格し、高校1年生の夏に初めてトップチームの練習試合に入ると、翌年のプレシーズンにはトップチームのキャンプに参加。柴田の将来性を見据えたクラブは、高校3年生になったタイミングでプロ契約を締結する。将来を嘱望されたアカデミーの宝と思われる一方で、柴田自身は「苦しかった」と当時を振り返る。
「自分に何かしらいいものがあるからトップチームに昇格させて帯同させてくれていたのだと思いますが、今振り返るとトップチームで勝負するには全然実力が足りなかった」
守備的な選手として地位を確立したが、高校当時は前目のポジションが主戦場だった。当時の湘南の基本布陣[3-4-2-1]であれば、1.5列目にあたるシャドーのポジションが適性だった。
ボランチへの転向は、ある日、曺貴裁監督(現・京都サンガF.C.監督)とコミュニケーションを取る中で「お前は攻撃の選手ではない。もっと守備をうまくなれ」と告げられた。今となって思うのは、サッカー選手として生きていく道標を教えてもらったということ。
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Profile
柿崎 優成
1996年11月29日生まれ。サッカーの出会いは2005年ドイツW杯最終予選ホーム北朝鮮戦。試合終了間際に得点した大黒将志に目を奪われて当時大阪在住だったことからガンバ大阪のサポーターになる。2022年からサッカー専門新聞エル・ゴラッソいわきFCの番記者になって未来の名プレーヤーの成長を見届けている。
