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在籍23年目の水戸ホーリーホックで指揮を執る理由と覚悟。「もう我々には自動昇格を目指す権利、資格がある」森直樹監督インタビュー(後編)

2025.08.09

【特集】水戸は一日にして成らず#9

J2第23節終了時点で水戸ホーリーホックが首位に立っている。特に5月以降は10勝1分と勢いが止まらない。小島耕社長と西村卓朗GMによる「ピッチ外の取り組み」は常に高く評価されてきたクラブだったが、「やりきる 走りきる 勝ちきる」をテーマに掲げた森直樹監督の下でついに地道な努力が花開いた。水戸は一日にして成らず――クラブ史上初のJ1昇格が見えてきた今、あらためて躍進の理由を考えてみたい。

第7~9回は、昨シーズンの途中からチームの指揮を執っている森直樹監督のロングインタビューをご紹介。これまでほとんど語られてこなかったそのキャリアに迫ることで、その人となりを紐解いていきたい。後編では13年間のコーチ生活で出会った5人の監督との日々、自身もホーリーホックの指揮を執ることを決意した覚悟の理由、そして、今季の躍進に対して思うことを、大いに語ってもらった。

(取材日:7月19日)

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柱谷哲二監督との邂逅。「ピッチ内での緊張感は相当ありました」 

――2011年にトップチームのコーチに就任されています。これはご自身で希望された形ですか?

 「いえ、会社からの話でした。木山(隆之)さんから柱谷(哲二)さんに監督が代わった時に、スタッフが結構入れ替わったので、その切り替わるタイミングでトップのコーチになりました。そこまでに5年間指導者としてやってきた部分があったので、トップに上がった時にも『こうやってやろう』というアイデアはありましたね。『選手を鍛えてやりたいな』と。まあ、その前にテツさんに鍛えられました(笑)」

――柱谷さんにはいろいろな意味で鍛えられるでしょうね(笑)。

 「はい。あの人の言うことは的を射ているので、立ち位置だったり、声の掛け方だったり、練習のテンポだったり、そういうことを細かく言われましたよ。ああ見えて細かい方ですからね。当時は分析担当もいなかったので、『次の対戦相手がどういうスタメンで、どういうシステムで戦っているかを全部出せ』とか、ピッチレベル以外でもプロとして戦ううえで大事なことを教えてもらいました。

 今は楽ですよね、映像をデータに落とすことだけでも(笑)。だって、そのころはDVDが送られてくるまで、自分たちの試合の映像がないんですから。今はどんな映像でも手に入りますし、時代は変わりました(笑)」

――柱谷さんとは2011年から2015年の途中まで一緒にやられていますが、その期間は今から振り返るとどういう時間でしたか?

 「緊張感のある毎日でしたね。油断できない感じというか、見抜かれてしまうんです。トレーニングの準備もそうですし、スカウティングもそうですし、すべてをしっかりしないとすぐに怒られるので(笑)。他のチームでは、監督が最後までクラブハウスに残っているから帰れないみたいなことも聞きましたけど、そういうのはまったくないんです。ただ、ピッチ内での緊張感は相当ありましたね。選手もプレッシャーを感じていたと思うんですけど、コーチ陣もかなりプレッシャーはありましたよ。

 いかにトレーニングがスムーズに行くかが大事で、作戦盤もすぐに用意しないといけないですし、チーム分けもすぐにできるようにしておかないといけないですし、察して動くんです。もちろんサッカーの戦術的なところも本当に勉強になりましたし、選手に何を伝えないといけないかという部分もそうですし、とにかく刺激がハンパなかったですね」

――日本代表のキャプテンだった人ですからね。

 「僕もテレビで見ていましたからね。今でもお会いすると緊張しますし、電話が掛かってきたら、1回ためらいますよね(笑)」

西ケ谷隆之、長谷部茂利、秋葉忠宏、濱崎芳己。コーチから見た四者四様の監督の特徴

――その次が西ケ谷隆之監督ですね。コーチからの昇格だったと思いますが、西ケ谷さんとはどういう関わり方をされていたイメージですか?

 「ガヤさんも去年の自分と同じような形で就任しましたけど、もうガヤさんがどうこうというよりも、『ホーリーホックを何とかしなきゃ』という想いが強かったので、分析から何から全部やりましたよ。その中でガヤさんを支えるしかなかったです。それで何とかその年は乗り切って、次の年はヘッドコーチをやらせてもらったんですけど、ガヤさんも細かい人なので、やるべきことはすべてやらなきゃなと思っていました。模造紙に相手の特徴とかを書いたりして……」

――え?模造紙に書いていたんですか?

 「そうです。今はスライドとか使いますけど、その時は模造紙ですよ。ガヤさんも最初のころのミーティングはPowerPointではなくて、模造紙をめくっていって、そこに『Attack』と書いてあったりしましたよ(笑)。

 ガヤさんは本当に堅実なタイプの監督でした。勝つサッカーというよりは、負けないサッカーですよね。いかに相手のウィークを突いて、こっちのストロングを出すかということを考える人なので、その中で行うトレーニングに関しても本当に勉強になりました。ただ、帰るのは遅かったですね(笑)」

――その次の指揮官が長谷部茂利監督ですね。これまた全く違うタイプの方だと思いますが、長谷部さんはどういう監督でしたか?

 「テツさんが最初に来た時に、本当にプロフェッショナルだと思いましたし、結構長く監督をやられていたじゃないですか。シゲさんも完全にプロでしたね。もうここで結果を残そうという気持ちを強く感じました。負けないのではなくて、勝つために、結果を残すために何をしなくてはいけないか、という部分をすごく感じました。

 あとはちゃんと“線引き”がある人でした。なあなあにならない感じで、『良いものは良い』『ダメなものはダメ』という線が引かれていて、自分にも厳しい人でしたよ。だって、練習試合で関東に行った時も、バスに乗っていって、バスに乗って帰ってきて、次の日がオフだからまた自分の車で、家族が住んでいる関東の家に戻るんですよ(笑)。監督なんだから自分の車で練習試合に行って、終わったらそのまま家に行けばいいじゃないですか。そういう人でした。

 一体感を大事にしていましたね。それは結果も出ますよ。ちょっと堅いぐらいかもしれないですけど、芯がしっかりしていたので、選手も付いてきますしね。言葉遣いも丁寧ですし、人として素晴らしかったと思います」

――長谷部さんの後任が、秋葉忠宏監督ですね。秋葉さんは3年間指揮を執っていました。

……

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Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!

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