「広島で結果を出さないといけない」E-1日本代表組、ジャーメイン良と田中聡の変化
サンフレッチェ情熱記 第26回
1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第26回は、E-1選手権で得点王とMVPを受賞したジャーメイン良と追加招集された田中聡という広島で悩んでいた2人の「変化」についてレポートする。
代表選出前、ジャーメイン良は思い詰めていた
日本に戻ってきたジャーメイン良は、こう語った。
「代表活動では新しい刺激というか、いろいろと吸収できるものがあったと思います。とにかく、点をたくさん取れたことが良かった。ゲームの中でもボールにしっかり関わったり、守備のところも含めて、いろいろと新しいものをたくさん吸収できた。求められるレベルは高かった中で、特にゴール前のところで自分の良さがたくさん出せたと思います。
ただ、広島でしっかりと結果を出してチームを勝ちに導いてはじめて、代表が良いキッカケになったと言える。本当にここから頑張っていきたいなと思います。大切なのは、広島で結果を出すこと。9月にも代表活動がありますけど、そこで呼ばれるためにも、広島で結果を出していくしかない」
E-1選手権で3試合5得点。得点王とMVPのダブル受賞を果たしたジャーメイン良は、代表でのインタビューでも再三、「広島で結果を出さないといけない」と語っていた。それほど、自身のここまでの結果について、思い詰めていた。
実際、日本代表選出のニュースが流れる直前の神戸戦では決定的なシュート(53分)を外し、敗戦の責を一身に背負っていた。
「中野から本当に良いクロスボールが来て、自分としても良い感触でしっかりと叩けた。でも、今年の自分はああいうのが決まらないから、こういう数字になっている。それが今の自分の実力ですし、そのせいでチームが勝ち点を取れないことに責任をすごく感じます」
ミヒャエル・スキッベ監督は「チャンスはつくれている。最後の精度の問題」と神戸戦での敗因を語った。「監督の言葉通りです」。ジャーメインは悲しげに言葉を紡いだ。
そしてその日の夜、彼は悪夢を見た。うなされた。それほど、彼は悔しさにまみれていた。
24試合4得点シュート成功率6.8%。4得点中3得点がPKからのゴール。これがジャーメインの今季である。前年度の32試合出場19得点シュート成功率22.9%という実績を考えれば、現状に満足できるはずもない。
では、ゴールチャンスを得ていないのか。彼個人のゴール期待値は8.8でリーグ2位。すでに二桁得点を記録しているレオ・セアラ(鹿島)が7.1、ラファエル・ハットン(C大阪)が7.4であることを考えれば、「決めきれない」という批判も当然だ。ちなみに昨年の彼のゴール期待値は14.3。つまり2024年のジャーメインは、ゴール期待値以上の得点を記録していたのだ。
それでも、ミヒャエル・スキッベ監督はジャーメインを先発から外さない。リーグ戦全試合で先発させ、途中交代も神戸戦までの22試合で7試合だけ。「彼がこれまでチームで見せていた献身的なパフォーマンスにも非常に満足しています。さらに点を取れたら、言うことはないですね」と信頼が揺るぎないことを示した。
ただ、指揮官の選手を見る目は、常に冷静であり厳しい。実際、ジャーメインは6月以降の4試合で3試合(神戸戦まで)が途中交代。「ジャーメインに頼り切りではなく、バリエーションが増えている」と監督は語っており、その事実もまた背番号9に危機感を募らせた。
悪夢を見るほどの苦悩に満ちていた、そんなジャーメインを救ったのが、日本代表選出の知らせだった。
7月5日、記者たちの前に立った彼は、「去年の貯金が大きいかな(笑)」と笑顔を見せる。
「広島に来なければ(代表選出は)難しかったと思う。本当に感謝の思いが強いです。今年は得点が少ないですけど、守備やポストプレー、チームの一員として長い時間プレーして戦っているところを評価してもらえたのかなと思います」
そして彼は、代表で結果を出し、広島に戻ってきた。誰もが期待した。爆発してくれるのではないか。そんな思いが、新潟のホーム・デンカビッグスワンスタジアムに充満した。
歯車が噛み合わなかった田中聡の転機となった岡山戦の45分
もう1人、代表帰りで期待していた選手がいた。田中聡だった。
彼もジャーメイン同様、昨季のJリーグ優秀選手。素晴らしい結果を出して広島にやってきた。期待通り、ボール奪取には秀でた能力を発揮し、序盤のチームを支えた。
だが彼は自分に満足しない。
湘南では攻撃も守備も彼が中心であり、田中の動きに合わせてチーム全体が動いていた。田中自身がチームの機能性など考える必要はなく、周りが彼を見てポジションを決めていた。
だが広島では、ポジションごとに明確なミッションがある。「約束ごと」というよりも「このポジションであれば、こう動かないといけない」という定義のようなものだ。
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Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。
