セリエAの歪な構造にみる「サポーターの違法行為=勝ち点剥奪」が内包するリスク
CALCIOおもてうら#47
イタリア在住30年、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えるジャーナリスト・片野道郎が、ホットなニュースを題材に複雑怪奇なカルチョの背景を読み解く。
今回は、サポーターが起こした違法行為に対してクラブがどこまで責任を負うべきなのか?ウルトラス問題に悩むセリエAの事例を通して考えてみたい。
先日のJ1リーグ第23節、横浜FC対横浜F・マリノスの横浜ダービーに際して、アウェイ側のマリノスサポーターが、スタジアムのある三ツ沢公園内で花火や発煙筒を用いて挑発行為を行ったというニュースを目にした。それをめぐるSNS上の議論の中には、クラブ(横浜F・マリノス)に対して勝ち点剥奪、無観客試合といった重い処分を下すべき、という意見も少なからず見られた。
筆者の暮らすイタリアでは、サポーターの違法行為によってクラブが厳しい処分を受ける事例がかなりの頻度で発生してきた。上記のような意見も、そうした外国の事例をニュースとして目にしてきたことから、日本でも同様にクラブの責任を問うべきだ、という脈絡で出てきたものと推測される。しかし、勝ち点剥奪や無観客試合といった重い処分を科す「厳罰主義」の妥当性について考える上ではまず、ヨーロッパ(や南米)ではどのような背景からそうした処分が用いられるようになったのか、それが現在どのような効果と弊害をもたらしているかを、議論の前提として押さえておく必要があるように思われる。
そもそもなぜクラブに「無過失責任」を科すのか?
これは当然のことだが、クラブとサポーターは法的には何の関係も持たないそれぞれ独立した存在であり、一般の刑法、民法上はサポーターが何らかの違法行為を犯したとしても、クラブに対してその責任を問うことはできない。サポーターの違法行為に対してクラブが責任を問われるのは、あくまでもリーグ、サッカー連盟といったスポーツ組織の内部規範の枠内においてであり、原則的には試合などクラブの活動に関わる時間、空間、状況で起こった問題に限られる。ここで、過失がないにもかかわらずクラブが責任を問われ処罰を受ける「無過失責任」が成立するのは、クラブが試合というイベントを主催し自らも参加する主体であり、その安全な開催について運営管理者としての責任(安全確保義務、秩序維持義務、予防義務)が課されているためだ。
これはヨーロッパでも日本でも変わらない。
UEFAやセリエAの規約には、サポーターの行為はクラブの「客観的責任(無過失責任)」に帰属し、違法行為には罰則が科される旨が明記されているし、Jリーグ規約にも、試合開催にあたって「主管クラブは、観客、サポーターその他関係者が、施設等で違法行為や秩序を乱す行為をした場合、過失の有無に関わらず、処分を受けることがある」(131条)という記載がある。実際過去には、2023年天皇杯東京ダービーでのFC東京サポーターによる花火使用、同年のJリーグ仙台対磐田における仙台サポーターによる試合後の磐田チームバスへの威嚇行為などに対して、けん責や罰金の処分が下されてきた。2014年には、浦和サポーターによる「JAPANESE ONLY」横断幕の掲出に対して無観客試合という厳しい処分も下されている。
イタリアでも、サポーターによるピッチへの侵入、スタンドにおける大量の発煙筒点火といった、明らかに重大な違反行為に対しては、当事者に対して刑事責任が問われるのに加えて、クラブに対しても罰金やスタンドの一部閉鎖、無観客試合といった厳しい処分が下されてきた。2005年のCL準々決勝ミラノダービーで、インテルウルトラスが試合中に数百本の発煙筒をピッチに投げ込んだ事件(UEFAにより4試合を無観客とする処分が下った)は、今なお語り草だ。最近はこうしたケースは少なくなったものの、黒人選手に対するモンキーチャントなど人種差別行為、ナチ式敬礼やハーケンクロイツ、ケルト十字など禁止されているイデオロギーにまつわる示威行為に対するスタンドの一部閉鎖や無観客試合の処分は、一定の頻度で起こり続けている。

クラブにこうした形で「無過失責任」を科すことには、試合の安全な開催や秩序の維持についての努力を促し、サポーターとの良好な協力関係を築くインセンティブとしても働くだけでなく、状況証拠などに頼らず、違反行為の存在そのものによってクラブに責任が発生するという点で、迅速な処分と問題解決が可能だというメリットもある。もちろん、サポーターに対しても「厳罰主義」が抑止力として働くことが期待されている。
ウルトラスがクラブを脅す材料に。セリエAの歪な構造
しかしイタリアでは、この「無過失責任」を一部のサポーター(ゴール裏を取り仕切るウルトラス)が逆用・悪用する形で、クラブに対して有形無形の圧力を行使し、幹部のVIP待遇やチケットの無償供与、スタジアム周辺での商業活動の黙認から、選手の去就や補強戦略への介入まで、様々な便宜供与を強要するという、きわめて歪な構造が成り立っており、これが長年にわたって様々な問題や事件を生み出してきた。
スタジアムの安全と秩序を維持するために不可欠なクラブとサポーターの協力関係が、サポーター(というかウルトラス)がクラブから便宜をむしり取るための脅迫手段に転じてしまっているわけだ。
……
Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。
