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子供は審判に文句を言ってはいけない? サッカーに「教育」を含めるべきか

2020.08.11

Twitter上で「サッカーの指導に教育を含めるべきか」問題が大きな盛り上がりを見せている。「親がそれを求めている」「近年はヨーロッパの育成でも人間教育を重視している」など、様々な意見が寄せられ議論が白熱した。今回は、日本サッカーおよびスポーツ界の風潮に対する問題提起のツイートを行った山口遼さんに発言の意図を聞いた。

※2020年8月11日に一部記事内容を修正いたしました。

 この記事は、Twitterで私があるツイートを引用RTしたことが発端で様々な方々が議論することになった「サッカーなどのスポーツの指導に『教育的目的』を含ませるべきなのか?」というトピックについて、私なりの考え方をまとめるチャンスをいただいたものである。

 私のツイート内容を要約すれば「スポーツと教育を混同すべきでない」という主張だ。結論から言ってしまうと、今回の記事の結論は私がツイートした内容と同様「スポーツはスポーツであり、基本的には教育を目的に掲げるべきではない」ということになる。この記事では、Twitterという140文字の制限があるメディアでは説明しきれなかったその理由について詳しく主張していきたい。

スポーツの本質は「学習か?教育か?」

 とどのつまり今回起きた問題は、「スポーツの本質は『学習』か、あるいは『教育』か?」という問いに収斂する。ただしこの問いにおいては、それぞれの言葉の定義が非常に重要になるため、まずは大辞林を出典としてそれぞれの言葉の意味を確認しておく。

教育:他人に対して、意図的な働きかけを行うことによって、その人間を望ましい方向へ変化させること。広義には,人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。
学習:生後の反復した経験によって、個々の個体の行動に環境に対して適応した変化が現れる過程。ヒトでは社会的生活に関与するほとんどすべての行動がこれによって習得される。

 ニュアンスとしては、教育は第三者から「与える」学びであり、学習は学習主体自らが周囲との相互作用から「獲得する」学びであると言えるので、ここではそのような意味でこれらの言葉を用いることとする。ただし、「教育」には学習主体の能動的な学習が必要不可欠であり、同様に「学習」は第三者からの「教育」があることでより効率的になる。すなわち、「教育」と「学習」は相互依存的であり、重要なのはどちらが先立つのかということだろう。

 「教育」は、第三者が学習主体に対して「望ましい方向へ変化させるために」学びを施すという性質上、幾分かの「押し付けがましさ」を含まずにはいられない。ただし、この「望ましい方向」の解釈によって、その度合いは大きく異なり、これがこの問題の解釈において大きな鍵を握っている。……

残り:5,296文字/全文:6,432文字
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文化育成

Profile

山口 遼

1995年11月23日、茨城県つくば市出身。東京大学工学部化学システム工学科中退。鹿島アントラーズつくばJY、鹿島アントラーズユースを経て、東京大学ア式蹴球部へ。2020年シーズンから同部監督および東京ユナイテッドFCコーチを兼任。twitter: @ryo14afd