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政情不安続くベネズエラでサッカーが抱える複雑な事情

2019.06.18

ハイパーインフレがもたらした貧困層の激増によって国家崩壊の危機に直面し、今年1月以降は2人の大統領が併存する異常事態が続いているベネズエラ。そんな国で近年、サッカーと政治がどう交錯してきたか。1月17日~2月10日にチリで行われたU-20南米選手権に至るまでを追った、イタリアのWEBマガジン『ウルティモ・ウオモ』の記事(2月5日公開)を特別掲載。

 U-20南米選手権のグループステージ第2節、チリ対ベネズエラ(2019年1月19日)。試合時間が残り数分となった時点で“ビノティント”(赤ワイン=ベネズエラ代表の愛称)は1-2とリードしていた。チリのニコラス・ディアスが左サイドを駆け上がりクロスを折り返そうとするその時、ベネズエラの右SBパブロ・ボニージャは容赦ないスライディングタックルを仕掛けて、ボールをタッチラインの外に蹴り出した。そこからペナルティエリアに戻って行こうとするボニージャに、ディアスを挑発するような素振りはまったくないように見えた。にもかかわらず、ディアスは我を忘れたように激怒した。2度にわたって「ムエルト・デ・アンブレ!」(muerto de hambre=「餓え死んだ人」を意味する侮辱の表現)という言葉を投げつけられたボニージャはしかしそれには応えず、次にチャンスがやってきたらどう仕返ししてやろうか、と思慮するような表情でそれを受け止めた。

 その出来事自体は、あえて取り沙汰するようなものではないかもしれない。20歳にも満たない未熟な若者がその場の衝動で反射的に口走っただけのことだ。実際、当事者の間でも、そのような振る舞いとして終結した。ディアスは翌日に謝罪し、ボニージャもそれを、ほとんどの人々には高潔かつ謙虚にすら見えるような自然さで受け容れた。にもかかわらずこの一件が、ディアスの謝罪をチリサッカー連盟がオフィシャルサイトに掲載するほど大きな問題になったのは、その背後に政治的な文脈、すなわちベネズエラがこの2年間、ハイパーインフレがもたらした爆発的な貧困層の増加によって国家崩壊の危機に直面しているという状況があったからだ。「ムエルト・デ・アンブレ」という侮辱がこの文脈の上で発せられたとしたら、言葉そのものが持つ意味よりもずっと重大なニュアンスを帯びることは明白だ。

 ベネズエラの危機は単に経済的な側面だけではなく、人道的な側面も持っている。過去3年間で150万人を超える国民が、経済的な困窮やニコラス・マドゥロ政権による弾圧を逃れるために移民を余儀なくされ、周囲の国々にとっても大きな問題を引き起こしている。その中には当然チリも含まれる。こうした状況が真っ先に引き起こす感情の一つはクセノフォビア、すなわち外国人嫌悪だ。ディアスが発した侮辱の言葉は、ほんの小さなことでそうした感情が爆発し得ることを教えてくれるものだ。

左がニコラス・マドゥロ、右がファン・グアイド

サッカーと政治の並行
Parallelismi

 これだけの窮状に陥った国では、サッカーをすること自体が大きな困難だ。計画性を持って育成に取り組むことともなれば、ほとんど不可能だと言っても過言ではない。施設は存在しないも同然だが、それは最も小さな困難に過ぎない。なにしろ食糧にも事欠いている状況なのだ。サッカーを通じて貧困から抜け出し社会階層を上昇するには、国を出る以外にないと考えられているのもそれゆえだ。14歳、15歳の才能ある若者は、ベネズエラの外に働きに出ることを強いられる。それは必ずしもサッカーのためではない。もし他の仕事が見つかればの話だが。

 それとは矛盾するようだが、ベネズエラの育成年代は今、かつてない黄金時代を迎えている。ビノティント史上最も偉大なレジェンドであり、3年前からA代表とU-20代表の監督を兼任しているラファエル・ドゥダメルの下、2017年のU-20W杯ではイングランドに決勝で敗れたものの、世界の頂点まであと一歩というところまで勝ち進んだ。そして今回のU-20南米選手権でも、ブラジル、コロンビアという強豪を尻目にグループステージを首位(全5チーム)で通過したのだった。

U-20南米選手権がここまで政治的な文脈に呑み込まれるというのは、過去にはなかったことだ。開幕2試合目のボリビア対チリでは、ボリビアのラミーロ・バカがゴールセレブレーションで泳ぐ仕草を見せた。これは200年前にチリが「太平洋戦争」と呼ばれる戦いに勝ち、ボリビアが唯一持っていた海へのアクセスを失って以来、両国の間にわだかまっている遺恨を表したものだ。この政治的な振る舞いは、ボリビアのエボ・モラレス大統領からも称賛を受けた

 より一般的に言うと、ビノティントの歩みと現在ベネズエラが置かれている政治的不安定との間には、不思議な連関があるように見える。サッカーが成功を収めれば収めるほどに、政治的危機は深まっているのだ。

 マドゥロ政権が2期目に入ってから6日後の今年1月16日、U-20南米選手権開幕の12時間前に、ベネズエラ軍内部の少数派が政権転覆のクーデターを試みた。1月23日、ベネズエラがボリビアとのグループ最終戦を戦う直前には、ベネズエラ議会のファン・グアイド議長が、大規模な集会を繰り返して民衆の支持を固めた末に共和国暫定大統領への就任を宣言し、マドゥロ政権の正当性を揺るがせると同時に、どちらを支持するかをめぐって国際社会を二分する事態を生み出した。このさらなる混乱はベネズエラ国家を崩壊に導く可能性をも孕(はら)んでいる。

 それ以降、2つの状況は並行して進んでいるように見える。本稿執筆時点(2月5日)でビノティントは決勝リーグで勝ち点4を挙げ(ブラジルに完勝した後アルゼンチンに完敗した)、首位ウルグアイから3ポイント差の4位(全6チーム)につけている。マドゥロ政権の危機は、アメリカが武力介入するのではないかと真剣に語られるような状態に達している。ベネズエラでサッカーと政治がこのような形で運命を共にするというのは、実は初めてのことではない。

ハッピーエンドのないおとぎ話
Una favola senza lieto fine

 この1月23日以前にマドゥロ政権が最も不安定だったのは2017年春だ。700%を超えるインフレのために、国民の70%以上が1日2食以下の生活を強いられ、乳幼児の死亡率は30%にも達した。2年前の3月、マドゥロは自身の支持者で固めた最高裁判所に、国民議会は国法を侵しているとしてその権限を剥奪する判決を出させ、制憲議会を設置して憲法改正を進めようと画策した。これに反対する国民議会の主導で、憲法改正阻止の国民投票を求める抗議行動が各地で高まると、政権は警官隊を動員して弾圧に動き、夏の終わりには死者165人、負傷者1万5000人以上を数えるまでになった。

 2017年5月末から6月初旬まで、U-20ベネズエラ代表は韓国で行われていたU-20W杯に参戦したが、すでにその数週間前に、動乱の影響はサッカーのピッチ上にまで波及していた。国内1部リーグの試合、デポルティーボ・ララ対デポルティーボ・アンソアテギで両チームの選手たちは、サッカー連盟の制止にもかかわらず、抗議行動に参加して弾圧の犠牲者となった人々に対して1分間の黙祷を行ったのだ。

 「この人たちは今とは違う国を夢見ているだけだ」。カラカスFCでプレーするビセンテ・スアンノは当時、サッカーを引き合いに出してこう語った。「サイドバックがストライカーとは違う思想を持ちながらも、最高のクロスを送り込んでゴールをアシストし、みんなで得点を祝うことができる、そんな国だ」。

カラカスFCの選手たちは、国旗を逆さまに広げることで弾圧への抗議を表明した

 「国外組」のプレーヤー、とりわけ最も有名で成功した選手たちも、母国からの(そして起こり得る報復からの)距離に勇気づけられてか、そろって強い調子で弾圧への抗議を表明した。ロベルト・ロサレス、オスワルド・ビスカロンド、サロモン・ロンドン、ミクの4人は連名で「バスタ・ジャ」(Basta Ya=もうたくさんだ)という明確で強いタイトルの声明文を発表している。

 その観点から言うと、U-20W杯におけるビノティントの歩みは、ほとんどおとぎ話のようなものだった。ハッピーエンドでもなければ、おとぎ話にふさわしい夢のような雰囲気もなかったが……。ベネズエラの若きフットボーラーたちが格上の相手を次々となぎ倒していたその頃、少なくない同世代の若者たちが警官隊との衝突で命を落としていた。ホセ・ラファエル・エルナンデスが、ウルグアイとの準決勝で終了間際、ベネズエラに同点ゴールをもたらしたサムエル・ソサのFK(その後ベネズエラはPK戦を制し、史上初めての決勝進出を果たした)に言及して、「ソサがあのFKを蹴った時に何が起こっていたのかは神様だけが知っている」と語ったのは、おそらくその同じ日、カラカスでの抗議デモに参加して殺害されたソサと同じ17歳の少年ネオマル・ランデルを思ってのことだろう。

 「この選手たちは、わが国の若者たちが何をすべきかを示すことで我われの心をつかんだ。スポーツを行い、平和なやり方で自らを表現することだ」。この歴史的な勝利の直後、そう語ったマドゥロは、サッカーをめぐる言説を巧妙に政治利用する術を持っていることを示した。

 ビノティントを率いるラファエル・ドゥダメルは、カリスマ性を備えた有能な監督である以前にまず、原理原則に忠実な知的で筋の通った人物であるように見える。大きな満足をもたらしたこの結果を前にしても、体制側のプロパガンダに安易に乗ることなく、それを押し返すだけの力強さを持った言葉でマドゥロに応え、和解・休戦をアピールした。「大統領、武器を置きましょう。ストリートに飛び出した若者たちはただ、より良いベネズエラを望んでいるだけです。微笑み、笑い、人生を楽しむことができる国を。今日、17歳の若者が我われに歓喜をもたらしてくれました。しかし昨日は同じ歳の若者が命を落としているのです」。

 決勝はハッピーエンドにはならなかった。アダルベルト・ペニャランダ(元ウディネーゼ、現ワトフォード)が同点ゴールになり得たPKを外し、U-20W杯のタイトルはイングランドの手に渡った。ビノティントにとってだけでなく、マドゥロを筆頭に「勝ち馬に乗る」気満々だったベネズエラの政治家たちにとっても、痛い敗北だった。もしベネズエラが勝っていれば、彼らはそのシンボリックな勝利を自らの利益のためにあらゆるやり方で政治利用していただろう。政治家ならば誰でも、サッカーは複雑なコンセプトを単純化して人々に届ける強力なメタファーとして機能すること、それを通して人々を統一に導くための極めて有効な道具になり得ることを知っている。

 ビノティントが敗れた決勝の翌日、マドゥロはこう語った。「若者たちよ、考えてみてほしい。もしベネズエラの選手たちのうち4人が『グアリンバ』(抗議行動を続ける若者たちが多用する非暴力的な抵抗の手段を指す)を行い、ボールを敵に渡したらどんなことになるか。そんなことは考えられない! そうかもしれない。しかし、一部の選手が試合を売り渡してオウンゴールを決めたらどんなことになるか、一度想像してみてほしい」。

U-20代表とA代表を兼任するラファエル・ドゥダメル

 選手たちの帰国に合わせて、マドゥロとサッカー連盟の幹部はミラフローレスの大統領官邸で祝賀式典を開くという合意を交わした。だが選手たち、そしてドゥダメル監督とそのスタッフは大統領とともに写真に収まることを拒否した。公式には、チームの勝利が政治的なプロパガンダに利用されるのを避けるため、というのがその理由だった。

フットボールとチャビズム
Futbol e chavismo

 皮肉な話だが、マドゥロの前任者でありメンターでもあるチャベスは、ラテンアメリカで政権を手にしたポピュリストたちの中にあって、最もサッカーに興味を示さなかったうちの一人だ。少なくとも当初はそうだった。

 ベネズエラにおける真のナショナルスポーツである野球を愛していたチャベスはしかし、サッカーが強力なプロパガンダの道具であり、人々の心をつかむ鍵となり得ることをすぐに理解した。ボリバル主義的革命の武器として利用しない手はないということを。

 ディエゴ・アルマンド・マラドーナとの親交も、その文脈の上で読み取るべきだ。多くの人々にとって史上最高のフットボーラーであると同時に最もアイコニックな存在とともに写真に収まるという行為は、マラドーナにとって以上にチャベスにとって有益だった。この10年ますます強い意思(と浅い思慮)を持って取り組んでいる反資本主義、反権力的な戦いに没頭するディエゴの傍らで、チャベスはそれを利用して人々の支持を集め自らのカリスマ性を高めていた。2人が始めて会った時に、チャベスはマラドーナにこう言ったとされる。「我われには共通点がある。2人ともマスコミに嫌われている」。

故ウーゴ・チャベス前大統領(左)とマラドーナ

 チャビズム(チャベス主義)とサッカーの「コラボ」が頂点を極めたのは、2007年のコパ・アメリカ開催だろう。政府はこの年、約2億ドルもの資金を投下してスタジアムを建設し、交通と通信の設備を刷新した。国の「化粧直し」を行ったと言ってもいいだろう。しかし大会が始まってみればスタジアムはがらからで、記憶に残るイベントにはならなかった。とはいえ、このコパ・アメリカを通じてビノティント、そしてサッカーがこの国で大きな知名度と人気を獲得したことは確かだった。

 ウーゴ・チャベスが政権を手にした1999年以降、ベネズエラのFIFAランキングは70位以上も上昇した。チャビズムが実現できなかった目標はたった一つ、W杯出場権獲得だけだった。その代わりマラドーナの支持は、チャベスの死(2013年3月)によってマドゥロに政権が渡ってもなお揺らぐことがなかった。

2000年世代
Generazione Duemila

 2001年から2007年までビノティントのテクニカルディレクターだったリチャード・パエズは語る。「悲しいことにベネズエラは教育や育成に関しては後進国であり続けている。育成のプロセスが確立されておらず、計画性を持って取り組むクラブも存在していない。無能なクラブも少なくない」。「育成に一貫性を持たせようと考えるだけでも大きな進歩だ。しかし指導する側には少なくとも時代遅れにならない程度の能力と準備が必要だろう。ところが今も優秀な選手たちは自分の力でどうにかしているのが現実だ」。

 U-20代表でプレーする、あるいは2017年時点でプレーしていた選手の大半は、2000年前後に生まれた世代だ。ベネズエラでサッカーがポピュラーになり、TVで試合が放映され始めて、W杯はTVで見るだけでなく自分たちが出場することも不可能ではないと子供たちが考え始めたのが、この時期だった。

 彼らの多くは、サッカー選手への道を歩むために、あるいは少なくともそれを試みるために、国を出ることを選んだ。チリでU-20南米選手権を戦うビノティントには、国外でプレーしている選手が8人もいる。これはウルグアイと並んで最も多い数字だ。ベネズエラ国内のサッカー事情を考えれば憂慮すべきデータだが、ビノティントの未来にとっては明るい材料でもある。彼らのストーリーは、逃走、帰国への恐怖、そして同じ道を歩めなかった同胞への共感に満ちている。

 最も象徴的なのはMFサムエル・ソサ(1999年生まれ)のケースだ。極貧の中で育ち、16歳で母国のトップリーグにデビューした後、18歳の誕生日を迎えると同時にアルゼンチン(タジェレス・デ・コルドバ)への移籍を選んだ。アルゼンチンはベネズエラからの主要な移民先の一つであり、過去3年間で7万人が入国して、2018年前半にはアルゼンチン在住外国人の4分の1を占めるまでに至っている。「でも、母国を悪く言うつもりは一切ありません」とソサは言う。「ベネズエラはこれからきっと良くなるから。僕は国を出られるという幸運に恵まれて、そのことは神様に感謝しています。でもベネズエラには僕を支えてくれる人々、国外に出ることができず困難に耐えている人々がいる」。

U-20南米選手権の初戦、コロンビア相手にフリーキックを決めたサムエル・ソサ

 ソサは続ける。「僕の両親もまだ国にいます。トクイト(政治犯を拘留する刑務所の一つがある町)の近郊で、とても貧しい生活を送っています。今のところ僕が送っているお金でどうにかやっていますが、できたら何カ月かのうちにここに呼び寄せたい」。

 ブラジル戦で勝利をもたらす2得点を挙げ大会最大のサプライズとなったFWハン・ウルタードも、アルゼンチンでプレーしている。母国のデポルティーボ・タチラと交わしていた月給40ドルの契約を更新しないと決めた時、クラブは彼の父親を、未成年のうちに国外に連れ出そうとしていると非難した。調査に乗り出したサッカー連盟はクラブの訴えを認め、ウルタードに半年間の出場停止を科した。彼はその期間が終わると同時にアルゼンチンに逃げ、ヒムナシアと契約を交わした。

 一方、ベネズエラサッカーの未来を担うべきタレントであるFWアレハンドロ・マルケスは、このU-20南米選手権には出場していない。バルセロナの「ラ・マシア」でプレーする息子の身を案じた父親が、帰国を認めなかったからだ。

証人と参加者
Testimoni e partecipi

 確かなのは、ビノティントの選手たちがチリで歴史に新たな1ページを刻んでいる間にも、母国では「現在」が彼らの足下を脅かしているということだ。ブラジル戦に勝った当日、チャベス政権誕生の20周年記念日でもあった2月1日、新たなデモが首都カラカスをはじめとする主要都市の通りを埋め尽くした。マドゥロの支持者たちは「反乱者」グアイドに対抗して選挙の実施を求めるデモを行った。選挙というのは大統領選挙ではなく、グアイドの下で自らの立場を脅かす議会を刷新するための選挙だ。

 1月23日の試合後に行われた記者会見で、何人かのチリの記者たちはドゥダメルに、ボリビア戦に勝った後ビノティントのロッカールームから聞こえてきたチャントについてどう思うか、と質問した。「バ・ア・カエール、バ・ア・カエール」(va a caer=もうすぐ倒れる)と繰り返すそのチャントが、マドゥロ政権に向けられたものではないかと読み取る向きは少なくなかった。

 ドゥダメルはそれには直接答えず、まず和解に向けたメッセージを発信した。「母国の政治的状況は大きな刺激になります。我われは国民に喜びを与えたいと願っているから。母国が一つにまとまり、落ち着き、平和であることを祈っているから。ビノティントが戦う時は、国が一つになるいい機会です」。

ドゥダメル監督の記者会見の様子

 この一見すると民主主義的な返答に続けて、ドゥダメルはチャントについての質問に答える。しかしそれは選手たちを糾弾するものではなく、むしろ感情的なレベルで共感を煽るものだった。「デリケートな問題ですね。でも、もし録音したものがあればぜひそれを広めてください。何か強いものが込められているから」。

U-20南米選手権を戦ったベネズエラのメンバー

 このU-20南米選手権を戦ったチーム(編注:最終的には1勝1分3敗で6位に終わった)が、2022年に史上初めてのW杯出場を勝ち取るための土台となることは間違いない。もしそうなった時、ミラフローレスの官邸でカタールに向けて出発するビノティントを激励する大統領が誰になるのかを予想するのは、それよりもずっと難しい。

Text: Fabrizio Gabrielli
Translation: Michio Katano
Photos : Getty Images

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ベネズエラ代表ラファエル・ドゥダメル文化

Profile

ウルティモ ウオモ

ダニエーレ・マヌシアとティモシー・スモールの2人が共同で創設したイタリア発のまったく新しいWEBマガジン。長文の分析・考察が中心で、テクニカルで専門的な世界と文学的にスポーツを語る世界を一つに統合することを目指す。従来のジャーナリズムにはなかった専門性の高い記事で新たなファン層を開拓し、イタリア国内で高い評価を得ている。媒体名のウルティモ・ウオモは「最後の1人=オフサイドラインの基準となるDF」を意味する。