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欧州のGK育成を支える1人のアイルランド人

2020.03.27

アイルランド代表とセルティックのレジェンドGKにして、現在はUEFAのGK育成を統括する人物がいる。パット・ボナー(Pat Bonner)、58歳。そのキーパーソンを通して、欧州におけるGK育成の哲学と過去、そして彼がどのように現代のGK論に関わっているかを考察する。

 アイルランドのドニゴール州クロウグロス出身の青年は、レスターのアカデミーで選手としての基礎を学び、スコットランドのセルティックへ。クラブのレジェンドとして642試合に出場し、5度のリーグ制覇と5度のスコティッシュカップ制覇を成し遂げる(78-98)。セルティックでスタートしたキャリアを、セルティックで終えた守護神。彼の名を、パット・ボナーという。ボナーは現役生活を終えると、GKの指導に携わることになる。アイルランドが生み出した名手は以降、「GK育成」の世界でも圧倒的な存在感を放っている。

パラダイムシフトによって磨かれた適応力

 アイルランドサッカー協会での指導後に、2003年には同協会のテクニカルディレクターに就任。現在はUEFAのテクニカルアドバイザーを務めながら、GKの育成を統括する彼の助言を求める人々は多い。多くの実力者を育て上げているGK大国ポーランドの協会も、ボナーを指導者向けセミナーの講師として招いている。そのセミナーでは、ポーランド人の優秀なGK指導者たちが彼の圧倒的な細部へのこだわりに舌を巻いた。ボナーは「第3GKがケガをしてしまい、すべてのGKが起用不可能になった時の補強リストを作っているコーチはいますか?」と参加者に尋ね、作っていると答えた数少ないコーチに「様々に選手の状況は変わっていきますが、リストをアップデートしていますか?」とさらに質問したという。UEFAの求める先進的なGK育成哲学に賛同し、柔軟に対応したポーランドとベルギーが、多くの名GKを輩出しているのは偶然ではない。

 指導者の育成に携わる彼の根幹にあるのは、選手時代の経験だ。GKにとっては特に、バックパスのキャッチングが禁止になったことの影響は大きかった。その1992年当時、すでにキャリア終盤に差しかかっていたボナーは「20年間やり続けたことが禁止になったのは、私のようなベテランのGKにとっては恐ろしい変化だった。これで、キャリアが終わってしまうかと思った」と語っている。「アイルランドで喫煙が禁止になるように」と本人が喩(たと)える変化に適応しなければならなかった経験は、彼の現代的なGK観を支えている。こうしたパラダイムシフトを経験したことで、彼自身に柔軟な適応力が備わったのかもしれない。「GKコーチは現代サッカーの変化を受け入れなければ生き残れない」とアドバイスしているように、50代後半のボナーは「現代のサッカー観に適応すること」に成功している。

GKコーチも、フィールドプレーヤーの目線を

 UEFAの中核を担うボナーにとって、最大の目的は「GKとGKコーチの地位向上」にある。そして、彼は敏感に変革期の訪れを感じている。以前はピッチングコーチのような専門職であったGKコーチは、今では横断的な知識を求められるようになってきた。ビルドアップではバックパスを受けられる位置へと移動し、安全にショートパスを繋ぐことを要求されるGKを指導することは、フィールドプレーヤーを指導するのと変わらない。これまではCBに求められていたビルドアップの領域が、徐々にGKにも求められているのだ。

 そうなれば、GKはフィールドプレーヤーの目線を知らなければならない。同時にGKコーチも、変化に適応しなければならない状況にある。ボイチェフ・シュチェスニーとウカシュ・ファビアンスキはポーランド紙が企画した対談で、彼らがアーセナルに在籍した頃GKコーチを務めていたジェリー・ペイトンの指導を「PKの映像を分析したセッションでは、『最終的には直感を重要視するべき』という抽象的なコメントしかしなかった」と酷評しているが、トップレベルのチームでも「データ分析」や「フィールドプレーヤー的な能力の指導」といった現代的な知識を兼ね備えた指導者は不足しているのが現実だろう。

 ボナーは言う。「GKコーチの認識は、おそらく直近10年間で大きく変化した。バックパス・ルールの変化に加え、2000年代に飛躍的にデータ分析が発展したことで、GKのボールタッチは70%が『足』でのタッチであることが明らかになった。つまり、それはGKコーチも変化しなければならないということを意味していた」

 グアルディオラの存在は、モダンサッカーの価値観を変革した。ボナーも「グアルディオラは、GKもチームの中で機能することをあらためて認識させた。今や、相手がGKをチームの中で活用することができなければ11対10になってしまう」と発言している。マヌエル・ノイアーに匹敵するインパクトを与えているエデルソンの存在も大きく、正確に低弾道のフィードを供給するGKは、前からのプレッシングを回避することを可能にする重要な鍵だ。ビルドアップの起点として「ショートパスでのゲーム構築」と、ショートカウンターの起点として「トランジションの状況で正確なスローイングやFWに合わせるロングキック」の両方が求められている今、GKは攻撃の起点としても機能しなければならない。

最後尾から最前線へ正確なフィードが出せるエデルソンは相手の脅威となる

 同様に直近の国際大会では、ゴールキックを極端に密集させたスペースに蹴り込むようなプレーが増えている。これは密集地でのプレッシングに繋げることで、「奪われた場合のリスク軽減」を狙っている。もしセカンドボールを奪われても、密集地であれば相手のカウンターを妨害することが容易になる。

戦術の変化と、GKに求められる“戦術眼”

 ボナーは、過去と比べても「GKはDFをコントロールしなければならないポジション」になったと主張する。彼の現役時代と比べ、最終ラインに残る選手が減っているからだ。両SBのポジションは極端に高くなっており、CBもビルドアップへの貢献を求められる。DFラインと自陣ゴールの間に生まれる広大なスペースをカバーする必要性に迫られたことで、ノイアーを筆頭としたスイーパー型GKはペナルティエリアの外で「スペースを埋める」ことになった。

 しかし、ボナーが「現代のGKは過度にカウンターにさらされている」と語るように、GKがゴールから飛び出すことは失点のリスクに直結する。2人のCBとGKでカウンターを防ぐのは、簡単な仕事ではない。そういった状況では、「少人数で守る」ことを可能にする指示能力と戦術眼が重要になる。危険な状況を把握しながら周りを動かし、相手の攻撃を誘導する。それには当然、相手の攻撃戦術や選手の特性、チームの守備戦術を理解しておかなければならない。ボナーは現代のGKに求められる能力として、「プレッシャーの中で冷静さを保つこと」「試合の流れを読むこと」「戦術的な情報を正確に理解すること」を挙げている。さらに彼の言葉を借りれば、GKは「チームの最も重要な戦術要素」になりつつある。

 複雑化するサッカーにおいて、ピッチのすべてを見渡せるGKの存在価値はおそらく今後も高まっていく。欧州の強みは、目に見える範囲の育成組織やコーチだけではない。地盤となる「指導者養成の方向性を定める組織」にも優秀で柔軟な人材がそろっていることは、一朝一夕には埋まらない「積み重ね」が差となっていることを示唆している。

1960年5月24日生まれ。現役時代をセルティック一筋で過ごし、アイルランド代表としても81年~96年に80キャップを記録している

Photos: Getty Images

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Profile

結城 康平

1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。