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ファビオ・ペッキア。重圧をくぐり抜けた「コミュニケーションの監督」

2019.01.06

典型的なイタリア人とは異なるスタンス

 2017年10月30日、セリエA第10節エラス・ベローナ対インテル(1-2)。ルチャーノ・スパレッティ監督が就任し、開幕から10試合無敗を続けていたインテルを手こずらせたのは、最下位のエラス・ベローナだった。

 組織守備はコンパクトで、インテルの選手からミスを誘ってビルドアップを寸断。選手間のサポートも速く、サイドをコンスタントに切り刻んでいた。ダニエル・ベッサやダニエレ・ベルデら若手のテクニシャンを活かす様子も清々しい。個々にはミスが多く、最終的には力量差通りに負けてしまう。しかしチームは最後まで勇敢に攻め続け、チームとしての出来自体は決して悪くはなかったという印象を受けた。

 そのベンチに座っていたのが、アビスパ福岡の新監督に就任したファビオ・ペッキアだった。2016-17シーズンにエラス・ベローナの監督に就任し、若手中心で編成されたチームを指揮。当時エースストライカーとして呼ばれたジャンパオロ・パッツィーニは「サッカーが能動的で、その分体力的な負担も厳しいけれど楽しい」と評価し、自身も23ゴールを挙げた。

 システムは[4-3-3]もしくは[4-2-3-1]を使用。ボール運びを重視し、GKも組み立ての一端を担う存在だと意識させ、SBも果敢に上がらせる攻撃サッカーだ。積極的な戦いを続けたチームは2位に入り、ダイレクトのセリエA昇格をもぎ取った。マウリツィオ・セッティ会長の信頼は非常に厚く、翌シーズンも指揮を任せ、監督の解任を最後までしなかった。残念ながらチームはセリエBに降格してしまうものの、攻撃サッカーを通して選手を育てていくという姿勢は最後まで曲げなかった。

 最近はイタリア人監督でもガチガチに守備を志向する人は少なくなかったが、一般には『戦術に縛られ守備重視』というイメージがあるかもしれない。だがペッキアは、違うスタンスを持つ指導者だ。

現役時代は中田英寿ともプレー

 ペッキアというと、現役時代の活躍を覚えている方も多いことだろう。アベッリーノの下部組織出身で、1993年にナポリに加入。テクニックが高く守備から攻撃への切り替えに力発揮するMFで、マルチェッロ・リッピ監督(当時)の縦をえぐるサッカーには欠かせない存在として、20歳で主力となった。

 23歳でチームのキャプテンとなり、1996-97シーズンにはナポリをコッパ・イタリア決勝へと導いている。その後クラブの経営難により売りに出され、恩師リッピのいたユベントスに呼ばれた。スターぞろいのユーベの中盤では主力となれなかったものの、その後は数々のチームを渡り歩いて活躍。中田英寿氏のチームメイトだったボローニャ時代の姿が記憶に残っているかもしれない。また大学に通って文武両道を貫いた人物でもあり、プロサッカー選手との両立で苦労しながら34歳で法学部の学士号を取得した。

現役時代のペッキア。主力にはなれず1シーズンでクラブを去ったが、ユベントス時代の97-98にセリエA制覇を経験している

 2009年にフォッジャで現役を引退。そこからアシスタントコーチを務める形で指導者へと転身する。グッビオを経て、2012年に就任した3部のラティーナではチームをコッパ・イタリア・レーガプロ(第3部、4部のチームが参加するカップ戦)の決勝へと導いた。そして2013年6月、ラファエル・ベニテスがナポリの監督に就任したことに伴い、古巣のナポリに助監督して入閣した。

 この時、1996-97シーズンにナポリの監督としてペッキアを指導したルイジ・シモーニ氏が、地元メディアに興味深いコメントを残している。2015年5月18のチェゼーナ戦で、ベニテス監督が出場停止となり代理で指揮を取ることになるのだが、シモーニ氏は「ナポリのベンチには将来の名将がいる。ペッキアだ。私は彼をよく知っているが、とても真面目で誠実な人物だ。信じてほしい。あれは必ず監督としてナンバーワンの存在になるよ」。実はシモーニ氏は2012年当時ラティーナのSDを務めており、ペッキアの監督の資質を信じてチームに呼んだのはこの人だったのだ。

古巣ナポリでのアシスタントコーチ時代。ベニテスの片腕としてレアル・マドリー、ニューカッスル(2016年)までともに歩み、指導者としての経験を積んだ

重視するのは、選手とのコミュニケーション

 そのペッキアの資質とは、選手とのコミュニケーションを重要視していることにある。2012年、UEFAプロライセンス取得にあたり提出した論文のテーマは「コミュニケーションを取ってコーチする」。その中でペッキアは、グッビオ時代に解任された経験から「監督は自分から仕事を複雑にしていくものだと思っていたが、そうではなかった。孤独な立場やプレッシャーの蓄積、そして対話の乏しさから、誰が見ても間違っているような決断をしてしまうのだ」と記し、過去の監督との対話の経験を引き合いに出しながら、選手とのコミュニケーションの重要性について語っていた。

 「監督は規範となる原則を知っておく必要がある。選手のパフォーマンスは言語を用いた、あるいは言語外のコミュニケーションによって左右される場合が多いからだ。つまり監督はまず何より、意思の伝達に長けたものでなければならない。そうして個々のエゴイズムを束ねてチームとして仕上げていくのである。よって私は、コーチをするということは意思伝達であると定義したい。これはただ言葉にして話すということを意味しない。

 関係を築くことそのもので、つまり言葉を交換する必要があるのだ。そして効果的なコミュニケーションの他に、聴く力も必要だ。そうすることで、チームの改善に必要なフィードバックを日々得ることができるのである。監督が効果的な意思伝達を可能にした時、選手の脳裏が整理され、監督のリーダーシップも高まる。そうすれば、チームを率いるのはより簡単になる」

 同じことを指導するにもネガティブな表現は避け、「『むやみに当たりに行くな』というところを『相手がドリブルで抜きにかかっても放っておけ。その代わりラインを保て』と指導する」のだという。ナポリ時代にキャプテンを務め、以降も行く先々でリーダーシップを発揮してきたペッキアだからこそ、ポジティブな言葉で選手の脳裏に訴えかける指導原理を培うことができたのだろう。そんな彼にベニテスは全幅の信頼を置き、レアル・マドリーの監督就任時にも選手との架け橋になることを願ってスペインに連れて行った。

 そしてペッキアの手法と人間性に心酔したのは、エラス・ベローナのセッティ会長も同じだ。セリエAでチームの成績が下降し、ファンやメディアがペッキアの解任を訴えた時もこれをはねのけた。「彼は素晴らしい指導者で、グループを掌握している。監督に適しない資質の人間だ、という声も聞いたが笑わせる。彼は偉大な監督だ」と。

 ナポリと結びつきの強いペッキアは、ナポリに対して敵愾心の非常に強いエラス・ベローナのウルトラスから嫌われ、「ナポリのタトゥーがしてあるはずだから腕をまくって見せてみろ」などと脅されたこともあるという。外野の苛烈な反感にさらされ、資金繰りが厳しく補強もままならないというクラブ事情を汲みながら、若手主体のチームを1年指導し通したことは一つの勲章と言える。まさに彼自身が言った『孤独な立場やプレッシャーの蓄積する』状況の中で、コミュニケーションを密にして監督をやり抜く術を実行してみせたということだ。

 彼が次に選んだ闘いの場は、日本のJ2だ。福岡の選手とスタッフ、そしてファンとコミュニケーションを取って一丸となりながら、ポジティブかつ能動的なサッカーでJ1昇格を勝ち取りに行く。たしかにペッキアの言う通り、「非常にわくわくする」冒険ではないか。

Photos: Getty Images
Edition: Daisuke Sawayama

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ファビオ・ペッキア

Profile

神尾 光臣

1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。