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アルゼンチンの「カオス」に学べ。異なるバックボーンが何かを生む

2018.12.17

芸術としてのアルゼンチン監督論 Vol.3

2018年早々、一人の日本人の若者がクラウドファンディングで資金を募り、アルゼンチンへと渡った。“科学”と“芸術”がせめぎ合うサッカー大国で監督論を学び、日本サッカーに挑戦状を叩きつける――河内一馬、異国でのドキュメンタリー。

 教室の外を見ると、何やら子供たちがこちらの方向を見て騒いでいる。子供たちは誰の許可を取るでもなく、おもむろに教室の中に入ってきた。1限目が終わろうとしている時だった。


憧れのディエゴ・ミリートが同じ場所で

 私が通っている指導者養成学校には、様々なバックボーンを持った人たちがいる。男性がいれば女性もいるし、プロの指導者を目指している人もいれば、育成の指導者を目指している人もいる。すでにプロクラブの下部組織で働いている人もいるし、現役の選手や、サッカーとはまったく関係のない仕事をしている人もいる。そして、スターもいたりする。

 去年まで通っていたのは、セリエAのインテルで活躍したディエゴ・ミリートだ。高校生だった当時、私が食い入るように見ていたモウリーニョ監督の下でプレーをしていたミリート。彼が09-10のCL決勝で決めた2ゴールは、今もしっかりと記憶に刻まれている。学校の待合室には、その憧れだった彼が、私が今いる場所と同じ場所で撮った写真が飾られているのだから、人生は何があるかわからない。

 同期にはルーカス・プラットという、現在のリーベル・プレートのエース(先日のコパ・リベルタドーレス決勝で同点ゴールを決めた選手)がいる。アルゼンチン代表に選出された経験もある彼は文字通りスターで、最初に彼が来た時には、一緒に写真を撮ってほしい子供たちで列ができた。私のような日本人も、小さな街クラブの指導者も、現役のスター選手と同じ空間でサッカーを学び、そして同等の立場で議論をするのだ。その他に、1部リーグの選手、また下部リーグの選手が数名いることから見ても、この国では現役中に指導者ライセンスを獲得しようという動きは、決して珍しいことではなさそうだ。

コパ・リベルタドーレス決勝で第1レグ、第2レグともに得点したルーカス・プラット(30)。クラブワールドカップでも注目だ


監督学校に通うジャーナリストの夢

 2年目の受講者たちは、必ず自分の「プロジェクト」をプレゼンする機会が設けられる。ライセンスを取得した後何がしたいのか? 何かアイディアはあるか? 大きなビジョンでも、小さなビジョンでも、「ライセンスを取得したあと」のプロジェクトを発表し、共有する。授業の中で1度、そのプレゼンを聴講する機会があった。様々なバックボーンを持った受講者から「ライセンスを取得したあとの話」を聞くのは非常に興味深く、中でも面白かったのは、あるサッカージャーナリストの話だった。

 まず、彼が冒頭で「自分はサッカーのジャーナリストをしている」と口にした時、私は正直驚いた。指導者を養成する学校にメディア関係の人が通うという発想は、少なくとも私の頭の中にはなかったことだからだ。その彼は、「サッカークラブの中にいる、普段スポットの当たらないコーチやスタッフにフォーカスしたドキュメンタリーを作りたい」と語った。「選手や監督以外の仕事を追うことで、クラブがどのような仕組みで回っているのかを明らかにすることができ、それがオープンになることで各クラブの質が上がっていく」と。そのアイディアと狙いを聞いて、私は大きく頷いてしまった。最近、私の知る限りではユベントス、マンチェスター・シティ、そしてボカのドキュメンタリー映像が全世界に向けて公開されているが、クラブ内外にとって非常に有益な動きなのではないかと思う。

 男性だけ、同世代だけ、街クラブの指導者だけ、プロのコーチだけ、選手だけ、同じ国籍だけ……という状況になってしまえば、サッカーというめまぐるしい進化を遂げているスポーツにおいて、何か新しいアイディアが生まれたり、効率的に問題を解決したり、健全な議論を通じて「サッカーの発展」をさせていくことは非常に難しいのではないだろうか。サッカーに限らず、「同じような考え方(同じようなバックボーン)」を持った人が何人集まろうが、議論から有意義なものが生まれる可能性は極めて低いように思う。アルゼンチンという国がそれを意識しているかしていないかにかかわらず、結果として様々な立場の人々が同じ空間でサッカーを学び、そして考え方を共有しあっていることに、何かしらの意味を感じずにはいられない。

 「多様な人間が同じ空間に集まる仕組み」は、これからの社会を発展させていくために非常に重要なポイントである。無論サッカーもその例外ではなく、特に日本人という国民性を考えれば、意図してそのような仕組みを作る必要性があるように思う。アルゼンチンの指導者養成学校は、始業から終業まで、基本的に年齢や人脈、また金銭的な壁がなく、「サッカーを学ぶ(指導者養成学校に入る)ハードル」が非常に低い。その結果、多様なバックボーンを持った人々が同じ空間に集まることができるだけではなく、「アルゼンチンはサッカーというものをこのように考えている」という共通認識を、広く普及することが可能になる。ジャーナリストがサッカーを真剣に学びたいと思えばライセンスを取りに行けば良いし、それはフィジカルコーチでも、他の競技の人でも、ビジネスマンでも、学校の先生でも同じである。学びのハードルを低くすれば、否が応でも多様な人々が集まるのだ。

 列を作った子供たちに、一人ひとり丁寧に対応しているルーカスがいる。それを微笑ましく見守る講師や受講者たちを見ていると、この国のサッカーがどれだけ長い歴史を踏んできたのか、そしてどれだけ多くのスターを生んできたのか、少しだけわかったような気がした。

芸術としてのアルゼンチン監督論

Photos: Getty Images

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アルゼンチン監督

Profile

河内 一馬

1992年生まれ、東京都出身。18歳で選手としてのキャリアを終えたのち指導者の道へ。国内でのコーチ経験を経て、23歳の時にアジアとヨーロッパ約15カ国を回りサッカーを視察。その後25歳でアルゼンチンに渡り、現地の監督養成学校に3年間在学、CONMEBOL PRO(南米サッカー連盟最高位)ライセンスを取得。帰国後は鎌倉インターナショナルFCの監督に就任し、同クラブではブランディング責任者も務めている。その他、執筆やNPO法人 love.fútbol Japanで理事を務めるなど、サッカーを軸に多岐にわたる活動を行っている。著書に『競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか』。鍼灸師国家資格保持。

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