FEATURE

グランパスを彩ったワールドトップス――六川則夫のグラフィックタイマー

2018.11.14

【Jクラブ特集第2弾】集客したければ魅了せよ――偶然には頼らない名古屋グランパス Episode 6


サッカー界の生き字引きであるサッカーカメラマン六川則夫の写真で振り返る「六川則夫のグラフィックタイマー」。貴重なフィルムも交え、珠玉の写真の数々がサッカーの記憶を呼び覚ます。

■ディド・ハーフナー
 日本に帰化したサッカー選手の先駆者と言えば、この人をおいていない。ディド・ハーフナーだ。ポジションはGK。名古屋のみならず、日本代表GKコーチとしても、日本サッカーの発展に寄与した。

■ガリー・リネカー
 メキシコW杯の得点王である。鹿島のジーコと並んで、93年に開幕したJリーグでプレーすることで、Jリーグの存在価値を世界的に広めた功労者だ。

■アーセン・ベンゲル
 理知的なサッカー監督の原像を、身をもって日本人に示した。立ち居振る舞い、しぐさ、会見でのコメント、そのどれもがエスプリに満ち、新鮮だった。96年天皇杯で名古屋を日本一に導いた。

■ドラガン・ストイコビッチ
 Jリーグで、自身の長所のみならず、短所も余すところなく披露して、名古屋ファン以外にも、全国のサッカーファンから愛された。ピクシーほどのテクニシャンが、これだけ腰を落として丁寧にインサイドのパスを出すということは、決定的なシーンだからこそ。ボールを受ける側もプレッシャーがかかる。

■デュリックス
 ベンゲルサッカーの申し子だった。走攻守にハードワークをして、ピクシーを、そして名古屋を支えた。僕にとっては、ピクシーより彼のほうが、「翼が生えたエンジェル」に見えた。

■トーレス
 名古屋の最終ラインに山のようにそびえ立っていた。父親はW杯のタイトルホルダーだった。少年のころ見たサッカーが、時を超えて繋がっているのを教えてくれたのが、トーレス親子だった。

■ウェズレイ
 浮いてるボールも、地面でスピンしている癖ダマも、足の甲でしっかり掴みゴールに叩き込む、インステップキックの強度は抜きんでていた。

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Norio Rokukawa