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クロアチア代表を私物化!? 移籍ビジネスに溺れた会長の末路

2018.01.25

移籍ゲームの舞台裏#2

 昨年5月に隣国セルビアのTVインタビューで、ズドラブコ・マミッチは成功談を鼻高々に語った。

 「この10年間、ディナモは選手売却だけで2億1000万ユーロ(約273億円)を稼ぎ出した。それに加えてCLとELの出場益が9000万ユーロ(約117億円)。これは選手育成のインフラを常に改善し、国内外の少年を絶えずセレクションすることで達成した数字だ。素晴らしいアカデミーを持つことでクラブイメージが高まり、次いでクロアチア代表、私や協力者の交渉術が評価されてきた。これこそ我われのノウハウだ」

ディナモ・ザグレブ元会長のスドラブコ・マミッチ。クロアチアサッカー界のドンは移籍ゲームで巨万の富を築き上げ、最後には逮捕された。法に触れた彼のやり口は明らかにやり過ぎだったが、ではどこまでがOKで、どこからがNGなのか。スポーツの論理とビジネスの論理のバランスが問われている


箔をつけて高値で売るスキーム

 将来を嘱望される才能を次々と囲い込み、エージェント業で一旗揚げたマミッチがディナモ・ザグレブのクラブ経営に参画したのは17年前。恫喝も厭わぬ扇動的な発言力で全権をあっさり掌握し、その敏腕を振るった。兼業禁止の代理人稼業は息子のマリオに任せながらも、マミッチ家と個人契約を結ぶ選手や高額移籍が望める選手を出場させるべく現場介入。その結果、ヴァイッド・ハリルホジッチをはじめ数多くの監督と衝突したが、なり手が見つからない際にはスポーツディレクターの実弟ゾランが監督ポストを兼任するなどやりたい放題だった。

 ディナモ黄金時代の始まりは、アカデミー出身のMFルカ・モドリッチやDFベドラン・チョルルカ、FWエドゥアルドが主力へと成長した05-06シーズンだ。ドイツW杯後にA代表監督へ昇格したスラベン・ビリッチが、U-21代表時代からよく知る彼らをレギュラーに抜擢したことで市場価値が高騰。移籍ビジネスの旨味を知ったマミッチは手練手管で名門相手にビッグディールをまとめ上げた。毎年のように主力を失いながらリーグ11連覇を達成できたのは、泉のようにタレントを輩出するアカデミーと、国内の有力選手を強奪できる財力のおかげだ。一度たりとも欧州カップでグループステージを突破できず、4度出場のCLでは1勝1分22敗という残酷な結果が突きつけられようとも、“ディナモブランド”を盾にマミッチは若手を売り続けてクラブ資産を増やし、同時に私腹を肥やしていった。

06-07シーズンのCL予選アーセナル戦でロシツキー(右)と競り合うディナモ時代のモドリッチ

 マミッチの政治力はクロアチアサッカー協会にもおよび、2012年には蜜月関係の元W杯得点王ダボール・シュケルを会長に据えることに成功。政敵として閑職に追いやったはずのイゴール・シュティマッツを三顧の礼で監督に迎えたことで、マミッチが息子のように可愛がるMFサミールと天才児と謳われるMFアレン・ハリロビッチの代表入りを実現させた。続くニコ・コバチ監督はマミッチに反目した影響もあり2015年秋に更迭へ追い込まれ、その後任に子飼いのアンテ・チャチッチが指名された際には、国内でも代表の私物化に批判が渦巻いた。EURO2016メンバーの最終選考で、マミッチの希望価格で売り損ねたハリロビッチの代わりにMFマルコ・ログが滑り込んだ選考も勘ぐられたものだ。


ついに逮捕、落日の帝国

 そんなマミッチ帝国も今や終焉を迎えつつある。クロアチア語が不自由だった18歳の時に「選手生涯年俸の20%を手数料として支払う」との個人契約を結ばされたエドゥアルドは、アーセナル移籍後にその異常性に気づき、控訴審でマミッチに勝利。モドリッチやDFデヤン・ロブレンは「売却時の50%の移籍金を選手側に分割する」との付帯条項をクラブとの契約に盛り込ませ、選手には全額拒否の宣言書を書かせることでマミッチが横領。2015年に彼は逮捕され、翌年に「クロアチアサッカー界の評判を汚さぬよう」ディナモの取締役会長職と協会の副会長職を辞任した。

 現在はアドバイザーとしてディナモの支配は続けるも、無駄な外国人補強を繰り返し、若手が伸び悩んだことで昨シーズンはリーグ優勝を逃し、10年続いた欧州カップ出場もEL予選敗退でストップ。昨夏の売却益は代表にゴリ押ししたDFピバリッチの200万ユーロのみ。8月22日にマミッチは何者かにピストルで狙撃されて脚を負傷したが、周囲の恨みを買い続けた暴君に同情する者はほとんどいない。


Photos: Getty Images, Bongarts/Getty Images

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クロアチア代表ズドラブコ・マミッチディナモ・ザグレブ

Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。