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ディエゴ・シメオネが語るサッカーと人生 「今日を手にしても、明日はわからない」

2014.09.19

ディエゴ・シメオネインタビュー

13-14シーズン、巨大な戦力差を覆してスペインリーグ優勝、さらにCL準優勝という快挙を達成したアトレティコ・マドリーのディエゴ・シメオネ監督。資金力の差を物ともせず「やればできる」を証明したリーダーの言葉は、格差社会に苦しむスペインの人々に勇気を与え、社会現象にまでなった。

シメオネはなぜ、“奇跡”を起こせたのか? その秘訣をシメオネが自ら語った『シメオネ超効果』発売に合わせて、CL決勝を戦い終えたばかりの彼に話を聞いた本誌11号(7月12日発売)のインタビューを特別掲載!

■誇らしいCLファイナル

――あなたは常々「決勝ではより良いチームが勝つのではない、信じたチームが勝つのだ」と言ってきましたが、リスボンのCL決勝ではその言葉が98%実現しそうでした。

 「そうだね。でも成功とはそういうものだ。今日は手にできても、明日はできない……人生と同じさ。たくさんの教訓を得た試合だった。人は常に学び続けるものだよ。でも悲しくはない。素晴らしい成功にあれだけ近づくことができたんだから、失望感はある。でも2、3カ月後には再びあらゆるタイトルを目指して戦い始めるつもりだ。レアル・マドリーは抱える攻撃の駒があまりにも多かった。相手の後半の猛攻は驚異的なものだったが、我われは66分までに2つの交代枠を使っており、大きなリアクションを起こす余力が残っていなかった。セルヒオ・ラモスがゴールを決めたのも驚きではなかったよ。彼はすでに多くの得点を挙げてきた、非常にパワフルな選手だからね。常に勝つことはできないが、全力を出し尽くさなければならない。それこそうちの選手たちがあの試合でやったことだ」

――試合終了後、選手たちにはどんな話をしたのですか?

 「メディアへの対応が終わるまで彼らと話すことはできなかった。ロッカールームで選手たちと話をしたのはキャプテンのガビだった。その後私からは、泣くことも悲しむ必要もないと伝えた。すべてを出し切り、歴史的なシーズンをまっとうし、2冠獲得まであとわずかのところへ至った彼らから受けたのは、涙ではなく誇らしさだったからね」

――後半ロスタイム、S.ラモスの同点ゴールが決まった瞬間、頭をよぎったことは?

 「おそらくレフェリーはロスタイムを長く取り過ぎた。だが勝っているチームは30秒で終わることを、負けているチームはもう10分長引くことを望むものだ。フットボールはそういうもので、私はできる限り短く取られることを望んでいた。それは叶わなかったが、もう終わったことだ」

――退席処分は、冷静なあなたにしては珍しいですね。敗戦の苛立ちもあったのでしょうか?

 「若さゆえかもしれないが、バランはデリケートな状況下で予期せぬ行為を働いてきた。こちらは神経が高ぶっていたので、リアクションを起こしたまでだ。これも経験であり、彼の今後のキャリアに生かしてくれると思うよ」

――ジエゴ・コスタを先発させたのはミスだと認めましたね。今も後悔していますか?

 「ノー。確かにそう言ったし、のちの選手交代に影響を与えるミスだったと思う。でも後悔はしていない。彼はプレーすべきだと確信を持って起用したからね。彼の起用は綿密なチェックを行った上で決めたことだ。4、5回の練習でテストを行い、パーフェクトな結果を得ていた。だが我われが間違っていたことは明らかだよ。ただ彼を起用せず、多くの人々から『D.コスタを出さなかったから負けた』と言われていた可能性もある。常に学ぶべきことはあるが、私はあれがベストだと考えて決断を下したんだ」

■心を満たすリーガ制覇

――監督になってからは、勝っても楽しめないそうですね。リーガ優勝は楽しめましたか?

 「楽しんだよ。でもその時間は長くはなかった。すぐ後にCL決勝が控えていたからね。ケガを治さなければならない選手、疲れ果てていた選手たちを回復させるための時間がわずかしかなく、しかもレアル・マドリーは我われほど大きな重圧を感じない数試合を経てきた分、有利な状況にあった。とはいえ、それも喜びを奪うものではなく、とても素敵な時を過ごせたよ。カンプノウでライバルのファンから拍手を受けたことも、記憶に残る出来事となった。私も彼らにお返しの拍手を送った」

――バルセロナとの最終節、選手たちは疲れ果てながらも後半にラッシュをかけました。ハードワークを要求し続けたあなたは、ついに力尽きた彼らを見てどんなことを感じましたか?

 「これ以上何も残っていない、良い意味で持てる力がすべて絞り尽くされたとわかった際に得られるのは満足感だ。アトレティコは脱落する、レアル・マドリーとバルセロナのペースにはついていけないという周囲の予想を覆し、選手たちはシーズンを通して素晴らしいプロフェッショナルであり続けた。そんな彼らを見て感じるのは、義務を果たせたという誇りと満足感以外にない」

――前半にD.コスタとアルダが立て続けに負傷した際、少し表情が変わりましたね。やはり痛かった?

 「そう、大打撃だったさ! それでも戦い続けるしかない。フットボールにおいて私が常に心がけているのは、瞬間ごとに素早くリアクションを起こすこと、そしてあらゆる状況に対する準備を整えておくことだ。あの時も私とベンチのスタッフたちは素早くリアクションを起こし、選手を交代させ、引き続き試合に集中した。しかも選手たちはそのようなアクシデントを受けても集中力を切らせてはいけないことをよくわかっている。バルセロナのような相手に対してはなおさらね」

――元選手のあなたは、ケガをしてもプレーを続けたい選手の気持ちがわかると思います。カンプノウのピッチから下がる時、アルダは涙を浮かべていました。彼とD.コスタにはどう声をかけたのですか?

 「もちろんわかる、辛い瞬間だよ。でも私は引き続き試合を仕切らなければならない立場にあり、彼らのことに気を取られるわけにはいかなかった。アルダには近づいて頭を撫でたが、彼の側には(アシスタントコーチの)ヘルマン・ブルゴスとチームメイトがついていた。D.コスタのことはハーフタイムまで見られなかった。だが死に至らない限り、すべての経験は選手を鍛え、より強くなるための糧となるものだ」

――試合後の会見ではテクニカルスタッフらが勢ぞろいしましたね。

 「目立つ存在ではなく、メディアに取り上げられることも少ないが、彼らはとても重要な役割を果たしている。例えば(フィジカルコーチの)オスカル・オルテガは選手たちのフィジカルコンディションを整え、ブルゴスは対戦相手をくまなく分析した情報を毎試合用意している。人々に彼らのことを見てもらい、彼らにも拍手を受けてもらいたかったんだ。この優勝はチームで取り組んできた仕事によって勝ち獲ったものだからね」

――アトレティコは優勝争いからいつか脱落すると言われ続けていました。なぜでしょう?

 「そう考えるのが自然なことだからだよ。18年前からリーガを制したことがなかったし、年間予算をレアル・マドリーやバルセロナと比べれば、どうやっても敵わないように思えてしまう。だが、もし本当にそうなら戦わない方が良かっただろう。結局は目の前の試合に集中して戦うこと、今や有名な哲学となった『パルティード・ア・パルティード』(一試合、一試合)の精神が、我われにも可能性があることを気づかせてくれた。試合を重ねていく中で自分たちの強さを実感し、それがさらなるモチベーションを引き出していったんだ」

――成功の鍵の一つは、“プロフェ”(先生)と呼ばれるフィジカルコーチのオルテガですか?

 「そう、大きな鍵の一つだ。良いフィジカルコンディションを保つこともそうだし、できると信じさせることもそうだ。2011年12月に我われがこのクラブにやって来た時、チームは降格圏とわずか勝ち点3差だった。選手時代に2度在籍していた私はこのクラブのことをよく知っている。人々の目つき、匂い、歩き方などから、彼らが打ち負かされ、敗北に屈していることを感じ取ったんだ。そのため我われはまず、チームの中で特に高いタレントを持つ選手たちに対し、タレントだけでは勝てない、そこにハードワークを加えなければいけない、と納得させることから取り組んだ。ラダメル・ファルカオにもたくさん要求したよ。我われはクラブへの帰属意識を訴えた。帰属意識や忠誠心があれば、描いた目標により簡単にたどり着くことができるからね。そうやってチームは自分たちのことを信じ始めたんだ」

――バルセロナ時代のグアルディオラがコールドプレイの音楽や映画『グラディエーター』によって選手たちの士気を上げた話は有名ですが、あなたもそういったものは使いますか?

 「ビデオはたくさん使ってきたが、音楽に関しては“ハードな男”ブルゴスがいるからね(笑)。音楽は彼の担当で、ハードロックを聴かせていた。AC/DCの『サンダーストラック』などをね。他にもあったけど、曲名を知らないんだ。すべてブルゴスの選曲だから」

――3月のアスレティック・ビルバオ戦の前、テロで両足を失いながらもスキーで優勝し、子供も出産した女性を招いて選手たちに話を聞かせたそうですが、なぜそうしようと考えたのですか?

 「モチベートする方法の一つだよ。選手たちに努力することの大切さ、目標にたどり着くまでの苦しみ、乗り越えなければならない逆境などを理解させるためのね。自分がまだ若かった頃にこんな思い出がある。カルロス・ビラルド(元アルゼンチン代表監督)が難病に苦しむ患者がいる病院や墓地に私たち選手を連れて行った後、こう言っていたんだ。『苦しみとは何かわかったか? 君たちはこれらの人々よりずっと恵まれているんだ』」

――あの試合では重要な勝利を手にしました。

 「その通り。ビルバオでの勝利により、我われはリーガ優勝が可能であるという確信を抱くに至ったと思う。あれはシーズン終盤では最も厳しい試合の一つだったからね。だがすでに我われはレアル・マドリーやセビージャの敵地でも勝っていたし、最後はバルセロナとのアウェイゲームに引き分けた。これ以上良い結果を求めることは難しいだろう」

――「リーガは2強独占でつまらない」という考えは優勝して変わりましたか?

 「そうだね。少なくとも今季はそうではなかった。これから数年がどうなるかは我われ次第だ。私にはチームを成長させるべく、落ち着いて仕事に取り組めるだけの十分な契約期間が残っている。それに、今季を通して世界中で新たなアトレティコファンが増えた。クラブのソシオも増えていくと思っている。そうすれば我われはスペインの2強により近い条件で戦い、より多くの成功を目指せるはずだ」

――ただ、優勝したことで求められるハードルも高くなりました。今後も期待に応えられるか不安では?

 「リスクは常にあるものだ。一度勝った後には、手にした立場を維持するというもっと難しい挑戦が待っている。だが私は、アトレティコというクラブの難しさをよく知っている。用具係も、日々クラブで働いている人々のことも、私はみんなのことを知っている。監督としてクラブへ戻ってきた時から、彼らは私に今季のような成功を期待していた。その期待は私に素晴らしくも恐ろしく大きい責任感を抱かせた。何をするべきか心得ている堅固なグループを作り上げ、ネプトゥーノの噴水で人々とともにお祝いができて良かったよ。これまでヨーロッパリーグを制し(11-12)、UEFAスーパーカップでチェルシーに勝ち(12-13)、コパ・デルレイ決勝ではサンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリーに勝ち(12-13)、カンプノウでリーガ優勝を決めた。だが我われはもっと先へ行く。立ち止まることなどできない」

――あなたが「どこへ行っても応援したい」と言っていたD.コスタをはじめ、主力の多くが移籍の可能性を報じられています。苦労して作り上げたチームが取り壊されていくことに恐れはないのですか?

 「それは移籍市場の掟であり、受け入れなければならないことだ。我われがやるべきは一刻も早く代役を探し出し、チームの強化を進めていくこと。昨年ファルカオを放出した際も同じ強さは保てないだろうと言われたが、その後も我われは勝ち続けてきた。アトレティコはクラブとして成長するために資金を必要としているので、D.コスタは明日にでも移籍してしまうだろう。我われは新たな解決策を見出すまでだ。実際、すでに我われはスポーツディレクターのホセ・ルイス・カミネロや役員と集まり、束の間のバケーションに入る前に今後の構想を話し合っている」

■サッカーと人生

――なぜ「一歩、一歩」「一試合、一試合」でないと勝てないのでしょう?

 「目の前の試合より先のことを見据えてしまうと、その1試合に集中することができなくなると学んだからだ。今の試合に全神経を集中させること。それは現実と向き合うためにはベストの尺度なんだ。小さな目標を一つひとつ達成していく行為は自信を生み出していく。長期的な目標がないわけではないよ。一日一日をおろそかにしてはいけないということだ。物事を作り上げていくのはその一日一日なわけだからね」

――アトレティコのリーガ優勝は、庶民が努力して不可能に見えたことを達成した、という風にとらえて良いですか?

 「それはコパ・デルレイで優勝した際に言ったことだね。我われの勝ち方は、困難な状況に直面している多くの人々の戦いを反映し、彼らの助けになり得るものだと思っている。私はアトレティコに関わる人々のことを知っているし、あらゆる意見に耳を傾けてきた。誰の意見からも学べることはある。タクシーの運転手でも、ウェイターでもね。私はマドリッドの街なかを歩きながら、人々に話しかけられることは嫌いではないんだ。タクシーに乗って、運転手にアトレティコのどの選手が好きかと聞くと、返ってくる答えはたいてい的を射ている。どの選手が嫌いかと聞くと、その答えはさらに的を射ていることが多い。私はそれらの意見を常に気にかけ、学んでいる。街の意見を聞くのは大切なことなんだ」

――今季はいろんな場所で敵チームのファンから「頑張れ」と声をかけられたそうですね?

 「そうだね。我われの戦うスタイルやこれまでの軌跡に共感を得た人もいるし、バルセロナとレアル・マドリーに対抗し得る“その他のチーム”の代表としてアトレティコに共感を抱いた人もいるだろう。それらの要素が混ざり合った結果だと考えているよ」

――アトレティコの優勝は、ポゼッションサッカーに対するカウンターサッカーの勝利を示すものでしょうか?

 「アトレティコの成功は第三の立ち位置、つまりどちらのスタイルにも属さない柔軟性が手にした勝利だと思っている。我われの成功により、他の指導者たちにも勝つための様々な方法を模索するようになってもらいたいね」

――あなたのスタイルをどう定義しますか?

 「第一に確信を持つこと、次に献身性。そこに交渉の余地はない。その上で進むべき道を決めるのは選手たちだ。攻める必要があれば攻める。カウンターを狙うべきならばカウンターを狙う」

――ビセンテ・カルデロンに響く「オレオレオレ! チョロ・シメオネ!」の大合唱をどんな気持ちで聞いているのですか?

 「大いなる誇りだ。それは自分がファンの象徴であり、彼らに愛され、私も彼らを愛していることを意味しているからね。我われの間にあるクラブへの帰属意識はとても重要なものだと思うんだ」

――しかし、何が起こるのかがわからないのがサッカーです。自分にもアトレティコを離れる時が来る、と考えることはありますか?

 「退団はすでに経験しているよ。キャリアの最後を母国のラシン・クラブでプレーするために2度目の退団を決意した際、いつか必ずアトレティコに戻ってくると確信していた。選手として貢献してきたことから、いつかカンテラ(下部組織)やフロントの何らかの役職をオファーされる可能性はあると思っていたが、それは私の望みではなかった。私の望みは、指導者としてキャリアを築き、いつかトップチームの監督としてここに戻ってくることだった。何か異なるものを提供できる存在と期待されてね。それが実現したのは、私が目指してきたからなんだ。私は今、望む場所にいる。ここにいられて幸せであり、先に起こり得ることを考えることはできない。人生においてはどんなサイクルにも終わりが来るものであり、いつかは出て行くことになるかもしれないけどね」

――アトレティコの監督になることを望んでいたそうですが、同じく選手として長年活躍したアルゼンチン代表を率いる自身を想像することは?

 「もちろん想像することはあるけど、それはまだ先のことだ。願望はあるが、願望以上にはなり得ない。私は今、一本の道を歩いていて、その道に大変満足している。それに現在のことに集中しているんだ」

――あなたの代表戦というと、どうしても1998年のワールドカップでベッカムを退場に追い込んだ一件が頭に浮かびます。日本ではあれが「日本人が学ばねばならないマリーシアの模範」と言われていたんですよ。

 「思うに、それぞれの社会には異なる性格がある。あれが誰にとっても良いことなのかどうかはわからない。気質の問題だと思うよ。我われは我われ、日本は日本。日本には多くの分野においてたくさんの長所があるだろう」

――日本でプレーした2002年大会の思い出は?

 「悲しみだね。当時のアルゼンチンは優勝候補として大会に臨みながらグループステージ敗退に終わった。あれはそれまで何十年も起こっていなかった サプライズだった」

――当時アルゼンチンがキャンプをした福島ではその後、震災が起こりました。

 「そうだね。とても悲しい出来事だった。我われを迎え入れてくれた人々の優しさをよく覚えている。だからあの災害が起きた時は辛かったよ」

――近年の活躍により日本でもアトレティコのファンが増えてきました。最後に彼らへのメッセージをお願いします。

 「我われを応援し続けてください。アトレティコが世界中で起こしているこのような動きは素晴らしいことです。我われの成功を望んでいる人々がこれだけたくさんいることは大きな励みになります。日本でファンが増えていると知り、本当にうれしい。もっともっと多くの人々が我われに共感してくれることを願っています。みなさんに大きな抱擁を!」

Translation: Taku Kudo
Photo: Getty Images

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セルヒオ レビンスキー

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