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戦禍ウクライナを肌で感じたフットボーラー、相馬将夏のあのとき。ポーランド、モンゴルを渡り歩いた海外挑戦のリアル。

2023.08.08

元東京ヴェルディアカデミー出身、相馬将夏(現・北海道十勝スカイアース選手兼コーチ)がかねてより思い描いていた海外挑戦に踏み切ったのはコロナ禍。その後、隣国ポーランドでウクライナ戦禍に遭遇する。ポーランドやモンゴルでの挑戦で体感したリアルを語ってもらった。

チームメイトとの突然の別れ

 ポーランド西部の地方都市ジェピン。ドイツ・ベルリン行きの特急が通る駅周辺は人でごった返し、数え切れないほどの大型バスが停車していた。バスは戦火から逃れるウクライナ人を乗せ、国境を越えてドイツへと向かう。困窮した人々を支える、炊き出しのボランティアの姿も多くあった。

MKSイランカ・ジェピンの青いユニフォームを身にまといプレーする相馬将夏(中央/写真提供:相馬将夏)

 2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が開始された。ポーランド・IVリガ(5部リーグ)のMKSイランカ・ジェピンに所属していた相馬将夏(まさか)は、戦争が巻き起こしたその光景を目の当たりにしている。

 「その頃、ニュースで話題になっていて、僕もよくない情勢だとは感じていましたが、ポーランドの人たちは実際にロシアがウクライナを攻撃するとは思ってなかったみたいです。侵攻が始まってからは大騒ぎでしたね。『ロシア軍は3日でウクライナを越えてポーランドまで来る。サッカーどころではなくなるぞ』とチームメイトは話していました」

 イランカには外国籍選手用の家があり、そこにウクライナ人がふたり、ベラルーシ人のゴールキーパー、日本人の相馬が4人で共同生活を送っていた。ロシアと共同戦線を張るベラルーシとウクライナは敵対関係にある。

 「大丈夫かなと思って見ていましたが、戦争が始まってからも彼らは仲よくしていました。ウクライナ人のサッシャはゴールキーパーで、イエゴーはアタッカー。ふたりとも19歳で、ここで結果を出してステップアップし、いつか1部でプレーするんだと言っていました」

 ウクライナ危機が深刻化するにつれ、ふたりは部屋にこもって家族と密に連絡を取り合っていた。そしてある日、祖国を助けるために帰国すると相馬は告げられる。

 「イエゴーのお父さんが物資を運ぶためのトラックでやって来て、ふたりはそれに乗って帰っていきました。僕はスーパーで買いだめしていた食料を手渡すことぐらいしかできなくて……。別れ際、笑顔で少しハイになっている様子を見て、より胸を締めつけられましたね」……

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相馬将夏

Profile

海江田哲朗

1972年、福岡県生まれ。大学卒業後、フリーライターとして活動し、東京ヴェルディを中心に日本サッカーを追っている。著書に、東京Vの育成組織を描いたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)。2016年初春、東京V周辺のウェブマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を開設した。

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