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「教わる」と「学ぶ」の違い。エコロジカル・アプローチが教育現場に与えるヒント

2023.03.31

短期集中連載「私とエコロジカル・アプローチ」第2回

好評発売中の『エコロジカル・アプローチ 「教える」と「学ぶ」の価値観が劇的に変わる新しい運動学習の理論と実践』は、欧米で急速に広がる「エコロジカル・アプローチ」とその実践メソッド「制約主導アプローチ」の解説書だ。

エコロジカル・アプローチは様々な分野に応用可能な理論で、異なる角度から掘り下げることで違った発見があるはずだ。第2回は、高校サッカー部監督で歴史の教師としても教壇に立つ脇真一郎氏に「教育とエコロジカル・アプローチ」というテーマで書評をお願いした。

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 長らく学校現場に立ち続けていると、幸か不幸かよく出会う言葉がある。

 「○○を勉強する意味がわからない」

 特に、私が専門としている歴史科目にいたっては、悲しいことに言われたい放題である。しかし一方で、NHKの大河ドラマなどの影響から「歴史ブーム」のようなムーブメントが起きることもよくある。そこでよく聞くのが

 「大人になってから歴史の楽しさがわかった」

 という言葉だ。なぜこのようなことが起きるのだろうか。その答えの一つとして考えているのが「教わる」ことと「学ぶ」ことの違いである。

 これは言い換えると「受動的な取り組み」か「能動的な取り組み」かの違いとも言えるが、個人的にそれだけではどうにも腑に落ちない思いも持っていた。例えば、学校の授業は一方的で受動的なイメージが強いが、それでも学習者の中には能動的、主体的に取り組む者が存在する。つまり、授業という「枠組み」は学習者にとって受動的になりやすい形式であっても、そこで学習する個々は能動的な取り組みをすることで一定以上の学習成果が達成され得る、とも言える。

 しかしながらこれには落とし穴もあって、その「成果」だけを見て「過程」が正当化され、なぜそのような成果が導かれたのか、導かれる可能性はどこにあったのか等の具体的な検証が不足しているというのが個人的な印象であった。この部分への検証を掘り下げていくことで、「過程」に潜むある種の法則や方法論のようなものを導き出せるのであれば、それは再現性のある手法として考えられるのではないだろうか。……

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エコロジカル・アプローチ

Profile

脇 真一郎

1974年10月31日、和歌山県生まれ。同志社大学卒。和歌山県立海南高等学校でサッカーと出会って以降、顧問として指導に携わる。同県立粉河高等学校に異動後、主顧問として指導を続け7シーズン目となる。2018年5月に『フットボリスタ・ラボ』1期生として活動を開始して以降、“ゲームモデル作成推進隊長”として『footballista』での記事執筆やSNSを通じて様々な発信を行っている。Twitterアカウント:@rilakkumawacky

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