SPECIAL

【アトランタ五輪代表対談】松原良香×田中誠――マイアミの奇跡を経て

2021.07.16

東京五輪開幕を目前に控えるU-24サッカー日本代表。自国開催となる今大会は好成績が期待されるが、28年ぶりの出場となったアトランタ五輪以降、最高成績はロンドン五輪の4位とメダルにあと一歩届いていない。悲願成就のために何が足りないのか。五輪出場経験を持つ日本代表OBの対談からそのヒントを探る。

今回、話を聞いたのは、サッカー指導者・解説者の松原良香氏と、ジュビロ磐田でスカウトを務める田中誠氏。アトランタ五輪の初戦でブラジルに勝利する“マイアミの奇跡”を起こした2人は25年前の大会をどのように振り返るのか。報じられたチーム内の確執、西野朗監督、そして東京五輪への期待。30年来の友人同士の会話は和やかな雰囲気で始まった。

ヒデや直樹は世界を相手にしても自信を持っていた

――最初にお二人の関係から教えてください。現在もプライベートで親交がある間柄だとお聞きしました。

松原「マコとは長い付き合いなんですよ。引退後も僕が主催するサッカー教室に来てくれたり。出会いは高校卒業後、僕がウルグアイ(ペニャロール)で1年プレーして、ジュビロに加入した時(1994年)からだから……もう30年近くになるのか」

田中「30年も経てば、良香くんもそういう風貌になりますよね(頭をさすりながら)」

松原「バカやろう!マコも気を付けろよ、頭(笑)」

田中「(笑)」

現在の松原良香氏

――仲の良さがさっそく伝わってきました(笑)。2人とも静岡県の高校出身ですが、プロ入り前に面識はなかったのですか?

田中「噂には聞いていたんですよ。『東海大一(高校)に松原と白井(博幸)という悪い奴がいるらしいぞ』って(笑)。ただ、面識はなくて、仲良くなったのはジュビロに加入した後ですね。加入した年は同じなんですが、良香くんの年齢が1つ上ということもあって、いろいろアドバイスをもらったり、プライベートでもお世話になって。話してみると全然怖くなかったですね」

松原「同期の奥(大介)も一緒に3人でよく外出して、オフも一緒に過ごすことが多かったよね。マコとは五輪世代の代表合宿で一緒になる機会も増えて、自然に仲良くなりました」

――“五輪”というワードも出たのでさっそく、本題に入ります。お二人が出場したアトランタ五輪の代表チームに対しては、金子達仁さんが書かれた「28年目のハーフタイム」(文藝春秋)の影響もあり、チーム内に確執があったという印象を持っているサッカーファンも多いと思います。実際、チーム内に確執はあったのでしょうか?

田中「確執というか……守備陣と攻撃陣で意見が割れたのは事実です。ざっくり言えば、攻撃陣は『もっとラインを上げろ』、守備陣は『もっと下がって守れよ』と、意見が対立した。喧嘩まではいかないですけど、強い言い合いにはなりました。戦い方は監督を含め、いろんな意見があるじゃないですか。アジア予選は一体感を持って戦えていたのですが、本大会は難しいところもありました」

松原「あんなのは普通だよ。(五輪登録メンバーである)18人は全員に個性があったし、チームが強くなるために意見がぶつかることは当然ある。あと、あのチームは(アトランタ五輪代表では年下となる)ヒデ(中田英寿)や(松田)直樹がFIFA U-17世界選手権(現在のFIFA U-17ワールドカップ)やワールドユース(現在のFIFA U-20ワールドカップ)を経験していて、その差も(意見が相違する理由として)あった。一緒にプレーしていて、彼らが世界を相手にしても自信を持っていることは感じていました」

田中「確かにどのチームでも選手間で主張し合うことはあって、それがメディアに取り上げられるかどうかの違いかもしれないですね。ポジションや年齢(経験)による意見の違いは良香くんが間に入って、お互いの考えを聞きながら調整してくれていた記憶があります。良香くん、ゾノさん(前園真聖)や城(彰二)とも仲が良かったですし」

松原「当時はまだ『ピッチに入れば年齢は関係ない』という時代ではなかったんです。だから、僕がムードメイカーというか、言い争っている時は間に入ったり、笑わせてチームを和ませたり、そういう役割を自分なりに意識していました。ゾノは口下手で、タイプ的にはキャプテンという感じではなかったので、彼をフォローしたかったんですよね。ハット(服部年宏)も同じ意識があったと思います」

五輪期間中はムード―メーカーの役割を意識したと語る松原氏

――せっかくの国際経験が、チームとして戦う上で一体感を失う原因となったのはもったいなかったですね。

田中「ワールドユースの経験の有無はありましたけど、アトランタ五輪代表は日本にプロリーグができたばかりのチームで、今で言う『海外組』もいない。『世界基準は~』という会話はありましたけど、そこだけが(意見が対立した)原因ではないと思いますけどね」

松原「マコの言う通りだけど、僕個人としては国際経験を重視していた部分もあって。ジュビロ加入前にウルグアイで1年プレーしたのも、アトランタ五輪で活躍するため。ウルグアイで代表戦を観戦した時に感じたのは『国を背負う重み』が日本とはまったく違うということ。代表戦で勝つためには、厳しさも必要だと考えていたので、みんなが主張し合うこと自体はネガティブなことだとは思っていなかったです」

――では実際に五輪でプレーして、ご自身の国際経験の少なさを感じることはありましたか? 国際大会では「大会の雰囲気にのまれた」という選手の感想を聞くことが時々ありますが。

田中「(アトランタ五輪は)初戦がブラジル戦だったので、その試合に関しては自信よりも不安の方が大きかったのは正直なところですね。ただ、それ以外の試合では自然体でプレーできました。特にプレッシャーを感じることもなく」

松原「ブラジル戦は特別だよね。当時のメンバーは本当に凄かったから」

田中「監督が(マリオ・)ザガロで、選手もベベット、サビオ、リバウド、ロベルト・カルロス……」

松原「僕は五輪に懸ける想いが強かったこともあって、『得点を決めないとみんなでやってきた今までの努力が無駄になる』と、シュートを打つのが怖くなった。繊細だったなと、今になれば思うんですけど」

田中「良香くんはプライベートとプレーのギャップがあるんです。プライベートはまったく繊細じゃないのに(笑)」

松原「FWは他のポジションとはまた違うプレッシャーがあるんだよ(笑)。1本(得点が)入れば力も抜けるんだけどね。今回の東京五輪は自国開催のプレッシャーもあるでしょうし、流れが悪い時に平常心をキープできるかは大切になってくると思います」

田中「ホスト国としてやらなきゃいけないというプレッシャーがね。今は国際大会を戦った経験がある選手が多いから、大丈夫だと思うけど」

松原「大会を甘く見ているわけではないですけど、今大会はコロナの影響やクラブ事情で来日できない選手もいて、自国開催の日本にとってチャンスなのは間違いない。出場国のメンバーを見ても日本は十分メダルの可能性があると思います」

田中「あっ、今の書いてくださいね!『松原良香、日本の金メダルに太鼓判』って(笑)」

――東京五輪代表と比較すると、アトランタ五輪代表に対するメディアやファンからの期待値はあまり高いものではありませんでした。

田中「日本で親善試合を開催してもお客さんは少なかったですからね。今とは注目度の差は歴然ですよ。そもそもサッカー五輪代表の認知度が低かったですし、悔しさというか……見返してやろうという気持ちは持っていましたけど」

松原「世界と比較した時、僕らにとっては初めての国際大会ということもあり、日本の実力が落ちるというのは間違いなかったので、仕方ないかなと。あのグループステージはブラジル以外にもナイジェリアに(ヌワンコ・)カヌ、(オーガスティン・)オコチャ、(ティジャニ・)ババンギダとか、すごいメンバーがそろっていて。メディアやファンは誰も日本がグループステージを突破できると思っていなかった(苦笑)」

田中「良香くんが解説者の立場でも『グループステージ敗退』と言ったと思うよ」

松原「けど、そういう期待されていない中、初戦でブラジルに勝ったからこそ、『マイアミの奇跡』というキャッチフレーズとともに人気に火がついて、今でも語り継がれているんだと思います」

――一方で、選手個人に目を向けると前園さんが大会前からTVCMに複数出演するなど、メディア露出が急増します。

田中「当時のゾノさん、すごかったよね」

松原「ゾノとかヒデとか、サッカー選手がマネジメント会社に所属して、TVCMに出演するのはあの頃から始まったものだよね、確か。ファッション誌にも出ていたし、異常な盛り上がりだなと思って見ていましたけど」

田中「今は冨安健洋選手や吉田麻也選手といった世界で活躍する選手もいるから守備的なポジションにも注目されますけど、当時は僕ら(守備陣は)地味だったし(笑)。サッカーの花形は攻撃の選手なので仕方ないというか、嫉妬とかは全然なかったですよ。彼らに対して思ったのは『前線からの守備をサボらずやってほしい』ということくらい(笑)」

松原「今振り返れば、サッカーの普及的にもメディア露出が増えたのはありがたいこと。ゾノが出演しているTVCMを見てサッカーを始めた子供もいたかもしれない。欧州や南米はW杯に比べ、あまり五輪を重視していない傾向にありますが、日本における五輪の注目度の高さを痛感した出来事ではありましたね」

アトランタ五輪で日本代表の攻撃を牽引した前園氏(写真右から2番目)

「お前、わかってるよな?」

――アトランタ五輪を振り返る上では、OA(オーバーエイジ)が使われなかったことも論点の1つです。この決断をお二人はどのように受け止めていましたか?

田中「五輪に挑戦するのが28年ぶりで、当時はOAの必要性がそもそもわからなかった。実際、メディアでもあまり議論になっていなかったと思います。選手の立場とすれば、(出場権を)勝ち取ったメンバーで世界に挑みたいと思っていましたし、西野さんの決断はうれしかった。けど、今は違いますよ。OAはチームを強くするためには必須ですよね」

松原「五輪で世界を経験したことで、その先のW杯出場にも繋がっている選手が何人かいますよね。僕はアトランタ五輪しか目指していなかったし、そこが代表のキャリアとしてピーク。けど、ヒデとか城、(川口)能活たちは(アトランタ五輪後の)フランスW杯のメンバーにも入っていますし、五輪代表経由A代表や欧州移籍という、今では当たり前になった流れを作れた意味でも(OAを使わない)あの決断は意味があったと思います」

田中「僕もアトランタ五輪後は世界で活躍できる選手になりたいという意識に変わりましたからね」

松原「(ジュビロ磐田でチームメイトだった)なっちゃん(名波浩)や(藤田)俊哉さんも欧州に行ったし、マコも挑戦すれば良かったのに」

田中「良香くんは(アトランタ五輪後にも)ウルグアイに行ったけど、僕らの頃はまだ欧州移籍が今ほど当たり前じゃなくて、自クラブで活躍すること以外にまで頭が回らなかったんですよ。今考えれば、挑戦しても良かったのかなと思いますけど」

松原「(自身のウルグアイ移籍について)本当はJリーグで結果を出してから海外移籍をした方がいいと思うけど、若いうちに移籍した方が向こうの環境や文化に馴染めるんだよね。だから、自分の決断も間違いではなかったと今でも思うし」

田中「いろんな道がありますからね」

アトランタ五輪後、日本代表でも活躍した田中誠氏

――選手個々の成長にフォーカスすれば、アトランタ五輪代表からは名前の出た3選手以外にも伊東輝悦選手、服部年宏選手がアトランタ五輪後のフランスW杯のメンバーに入っており、OAを使用しない決断は成果があったのかもしれません。一方で、リーダーシップを取れるOAの存在があれば、チームの一体感が増した可能性はありませんか?

松原「確かにチームを牽引するタイプの選手はいなかったですけど、編成的にバランスは悪くなかったと思うんですよ。マコ、能活、鈴木(秀人)、ハット……守備陣に静岡出身の選手が多くて、彼らのサッカーに対する真摯な向き合い方がチームの雰囲気を作っていました」

田中「言葉数は多くないけど、真面目な性格の選手が多いチームだったんです。能活なんか代表格ですけど、負けん気が強くて、内に秘めた思いも持っている。キャプテンだったゾノさんも言葉というよりもプレーで引っ張るタイプでしたし」

松原「能活なんて練習でチームメイト相手にゴールを決められた時に『くそっ!バカやろう!』って叫ぶくらいストイックに練習していましたから。ループシュートとか怒られるから狙えない(笑)」

田中「能活は冗談に対してマジギレで返してくる時があるから、僕は喋る時に言葉を選んでいました(笑)」

松原「(笑)」

ブラジル戦は川口能活氏、田中誠氏ら守備陣の奮闘が光った

――(笑)。そうなると、言葉でチームを牽引するのは西野朗監督の役割だったのでしょうか?

松原「いや、西野さんもクール(笑)。けど、一言が重い。よく覚えているのが(アトランタ五輪グループステージ第3戦)ハンガリー戦。先発で出場させてもらったんですけど、試合前に掛けられた言葉は「お前、わかってるよな?」だった(笑)。その次はハーフタイム中にトイレに行った時に西野さんが隣に歩いてきて、僕の顔をじっと見ながら『お前、決めろよ』と言って立ち去っていった(笑)」

田中「僕も細かく要求されることはなかったんですけど、少ない口数に圧は感じていました。西野さんに何か言われたらいろいろ察して『はい。わかってます』と答えるしかない(笑)」

松原「西野さんはあまり喋らないけど、(コーチの)山本(昌邦)さんは細かい。トレーナーやマネージャーはチームを和ませてくれたし、スタッフのバランスがすごく良かった」

田中「あと、西野さんはああ見えて天然なところもあるから(笑)」

松原「そうそう(笑)」

田中「怖いんだけど、近寄りがたい存在ではなくて。コミュニケーションがわかりやすい人だったので、西野さんの意向を各選手が汲み取って、判断、行動していくグループでしたね」

アトランタ五輪後は柏レイソル、ガンバ大阪などで監督を務めた西野朗氏

東京五輪後を意識して

――東京五輪についてもお聞きします。お二人にとっては先ほども名前の挙がった元チームメイトで、今回の五輪代表ではGKコーチを務める川口能活さんへの期待が大きいのではないでしょうか?

松原「こないだ能活と話したけど、セットプレーの守備についてGKだけではなく、フィールドプレイヤーも守備のオーガナイズを理解して守れるようにならなければいけないとか、いろいろ熱く語っていたよ」

田中「能活は勉強熱心ですからね。知名度も実績もあるから、選手へのコーチングも説得力はあると思う」

松原「マコ、清商(清水市立商業高校)で高校サッカー選手権を一緒に優勝した身としてはやっぱり応援しているんでしょ?」

田中「そうですね。能活の天然さが選手にバレていなければいいんですけど(笑)」

松原「それ、みんなもう知っているらしいよ(笑)。けど、パーフェクトな人間より、どこか抜けている人間の方が親近感があっていいよ」

田中「スカウトの仕事でいろんな選手について調べる機会が多いんですけど、ユーモアとか人間性はすごく大切にしています。若い選手は意外とそれに気が付かないので、僕ら世代がそこの重要性をもっと伝えないといけないですね」

松原「真面目さだけではチームはうまくいかないから」

田中「能活も練習が終われば、面白いキャラクターに変貌する奴でしたしね」

GKコーチとして2度目の五輪に挑む川口能活氏

――では、最後に東京五輪に挑む選手たちへの期待も聞かせてください。

松原「僕はアトランタ五輪がすべてと思ってプレーしましたけど、その先のW杯を意識していればキャリアはまた違ったものになったと思っています。だから、選手たちには五輪後も意識してほしいですね。今回はOAがいることで、そのあたりの意識は高くなっているはず。来年のワールドカップでベスト16の壁を越える上でも東京五輪でメダルが取れれば勢いがつく。コロナ禍という状況もありますし、プレーで日本を元気にするプレーを期待しています」

田中「難しい状況下での開催になったこともあって、選手たちは過去の五輪代表よりも背負うものが大きいかもしれません。ただ、海外でプレーしている選手も多いし、平常心で自信を持ってプレーしてくれるはず。国民の期待や応援を力にできれば十分メダルが狙えるメンバーだと思います」

松原「この記事のタイトルが決まりましたね。『田中誠、日本の金メダルに太鼓判』でいきましょう(笑)」

田中「金までは言ってないから!(笑)けど、日韓W杯の時もそうでしたけど、日本の湿度をヨーロッパ選手は苦手にしますし、環境面でのアドバンテージを活かせば可能性はあると思います」

――今日は長時間ありがとうございました。今後のお二人の活躍も楽しみにしています。

松原「ありがとうございました。ジュビロも首位で頑張っているし、マコは将来の五輪代表選手を頑張ってスカウトしろよな」

田中「こちらこそありがとうございました。コロナでスカウト活動も難しい状況ですけど、J1クラブに負けないように良い選手を獲得したいですね。良香くん、また一緒にサッカーもしましょうね」

Yoshika MATSUBARA
松原 良香

1974年8月19日生まれ。静岡県出身。ウルグアイのCAペニャロールを経て、1994年にJリーグ、ジュビロ磐田に入団。清水エスパルスをはじめ、クロアチアやスイスなど国内外を問わず全12チームでプレー。各年代の日本代表としてプレーし、1996年アトランタオリンピックでブラジル代表を”マイアミの奇跡”の一員として破った。引退後はフェリーチェサッカースクール・クラブチームを経営する傍ら、Jリーグ選手OB会の副会長やサッカー解説者として活動。2015年にはSC相模原の監督を務めた。2018年3月に筑波大学大学院人間総合科学研究科・体育学修士号を取得。現在は博士号取得に向けGKの育成に関する研究論文を執筆中。

Makoto TANAKA
田中 誠

1975年8月8日生まれ。静岡県出身。清水市立商業高校では川口能活らと共に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を果たす。高校卒業後はジュビロ磐田でプレー。数々のタイトル獲得に大きく貢献し、2度のJリーグベストイレブンにも選出された。日本代表としても1996年アトランタオリンピックや2006FIFAワールドカップアジア予選などで活躍。2011年の現役引退後はジュビロ磐田のU-18監督やトップチームコーチを経て、2020年から同クラブのスカウトを務めている。

Photos: ⒸJUBILO IWATA, Getty Images, AFLO

footballista MEMBERSHIP

TAG

オリンピックジュビロ磐田日本代表松原良香田中誠

Profile

玉利 剛一

1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime

RANKING