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新井直人の「アドリブ」はなぜ機能するのか。広島の攻撃を進化させた戦術「アライナオト」の正体

2026.10.27

サンフレッチェ情熱記 第39回

1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第39回は、新井直人が生み出す独創的なポジション取りに迫る。右ウイングバック(WB)を起点に、中へ絞り、時には最前線や逆サイドにまで顔を出す。その自由な動きは、決められた戦術をなぞるだけでは生まれない。新井自身の発想と判断をバルトシュ・ガウル監督が認め、周囲の選手たちが連動することで、広島の攻撃は新たな形を手に入れた。選手の個性をチームの武器へと変える対話と信頼。その背景をたどりながら、新井のアドリブが攻撃にもたらす変化と、そのメカニズムを読み解く。

ポジションは「アライナオト」。指示ではなく、発想から生まれた自由

 新井直人のポジションは「アライナオト」である。

 そう表現するしかない。

 例えば、アンジェ・ポステコグルー監督が横浜F・マリノスの監督に就任した時に話題となった「偽SB」だ。SBが中央に絞り、中で数的優位をつくる攻撃戦術で、ジョセップ・グアルディオラ監督がバイエルン時代に確立し、多くのチームが模倣したタクティクス。原形はヨハン・クライフがバルセロナ時代につくり、グアルディオラが明確化したとも伝えられている。

 新井がやっていることも、この偽SBと似ている。右ワイドがスタートポジションだが、機を見て中盤に入って数的優位をつくり、ゲームメイクを行ったり、ボランチをサポートしたり。

 しかし、「偽SB」との違いは、グアルディオラやポステコグルーといった指揮官たちは攻守にわたって細かな約束ごとを決めた中でこのやり方をチームとして採用しているのに対し、広島の場合は新井直人の「アドリブ」に任せていることだ。その証拠に、右WBが中野就斗だった場合、左WBの東俊希や菅大輝も含めて、ワイドが中に入ってプレーすることは常態化していない。「自由を与えてもらっている」という新井のプレーは、新井だけのものだ。

東俊希と新井直人

 そのポジション取りは、実に自由である。ボランチのサポートに入るだけでなく、トップ下、あるいはFWを追い越したり。時には最終ラインに入ったり、ちょっと目を離すと、左サイドにいることもある。

 まさにポジションは「アライナオト」。そう言うと、彼は苦笑いした。

 「あのポジション取りは当初、監督から言われたのではなく自分が発想してプレーで表現したんですよ。ただ、そのパフォーマンスを見て監督も受け入れてくれて、チームに落とし込んでくれたんです」

 新潟でプレーしている時から、彼は似たようなプレーをやっていたという。しかし、「昔から、スムーズにできたわけではない」(新井)。

 転機は、百年構想リーグである。

対話が変えた起用法と信頼関係

 中島洋太朗の負傷が癒えず、トルガイ・アルスランもコンディションが回復しない中でボランチの人材が足りなくなった百年構想リーグで、広島は難しい戦いを強いられてきた。そんな中、バルトシュ・ガウル監督は5月10日のG大阪戦で新井をボランチで先発起用し、1-0で勝利する。

 「今まであんまり練習していないポジションでのプレーだったと思うんですけど、完璧だったんじゃないですか?」

 試合後、そう問いかけると彼は笑った。

 「準備期間はなかったですけど、別にスクランブルで僕がそのポジションに入ったわけじゃないし、監督が自信を持って選んでくれた。その期待に応えるだけでした。

 あのポジション(ボランチ)については今まで、キャンプの時にはプレーしたこともありますし、僕ももともと(ボランチでの)プレー経験はありましたからね。そういうディスカッションは(監督と)していて、キャンプの時にも『そういうオプション(ボランチでの起用)も考えている』みたいな話は、ありました」

 就任当初のプレシーズンキャンプで、ガウル監督は新井をワイドではなくストッパーで使っていた。その使われ方に疑問を持った彼は監督のもとを訪ね、自分の起用法について質問し、議論も行っている。その結果として、選手は監督の意図を知って納得し、指揮官は選手の想いや思考法をあらためて知った。

 サッカーは、というよりも人間社会は、コミュニケーションでできている。

 1932年5月15日、海軍の青年将校らに襲われた犬養毅首相(当時)は「話せばわかる」と言ったという。これに対し、襲撃側が「問答無用」と首相を銃撃した(編注:諸説あり)。いわゆる「5.15事件」である。

 もしこの時、青年将校たちが引き金を引くことなく話していたら、その後の日本はどうなっていたか。それは誰にもわからないが、死を目前にしてもコミュニケーションを取ろうとした犬養の毅然たる態度は、さすがと言うしかない。

 普通の社会でも、話をする前と後では印象が大きく変わることがある。しかも多くの場合、ネガティブからポジティブに変化することが多く、逆は少ない。ただ大切なのは、お互いの顔を見て語り合うことだと筆者は思う。

……

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Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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