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不条理に背を向ける「エストゥディアンテスの遺伝子」、ベロンという真のリーダー

2026.01.04

EL GRITO SAGRADO ~聖なる叫び~ #24

マラドーナに憧れ、ブエノスアイレスに住んで35年。現地でしか知り得ない情報を発信し続けてきたChizuru de Garciaが、ここでは極私的な視点で今伝えたい話題を深掘り。アルゼンチン、ウルグアイをはじめ南米サッカーの原始的な魅力、情熱の根源に迫る。

footballista誌から続くWEB月刊連載の第24回(通算183回)は2025年のアルゼンチンサッカー界を揺るがした問題、その1部リーグで“真の年間王者”に輝いたエストゥディアンテスのフアン・セバスティアン・ベロン会長(50歳)について。

6カ月間の活動停止…スタンドの一般席から優勝を見届けた会長

 2025年のLPF(アルゼンチン1部リーグの名称でリーガ・プロフェシオナル・デ・フットボールの略称)を制覇したのは、5大クラブ(ボカ・ジュニオルス、リーベル・プレート、ラシン、インデペンディエンテ、サン・ロレンソ)でもなければ、ロサリオの2強(ニューウェルス・オールド・ボーイズ、ロサリオ・セントラル)でもなく、古豪エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタだった。

 LPFの公式記録には、2025年シーズンのアペルトゥーラ(前期)優勝がプラテンセ、クラウスーラ(後期)優勝にエストゥディアンテス、「リーグ優勝」にはロサリオ・セントラルと記されている。詳細を知らなければ、シーズンの勝者はロサリオ・セントラルだったと解釈されても不思議ではない。だが実際のところ、アペルトゥーラの覇者とクラウスーラの覇者によって争われる“真の年間王者”、「トロフェオ・デ・カンペオーネス」を勝ち取ったのはエストゥディアンテスだったのだ。

 エストゥディアンテスは、15チームずつの2グループに分かれて行われたリーグステージで8位に甘んじるも優勝決定プレーオフに進出し、決勝では強敵ラシンをPK戦の末に下して優勝。その1週間後に行われたトロフェオ・デ・カンペオーネスでは、プラテンセに先制点を許したものの、今季わずか1得点にとどまっていたFWルーカス・アラリオの2ゴールから劇的な逆転勝利を演じ、堂々と2025年シーズンのチャンピオンの座に輝いた。

 このエストゥディアンテスの会長を務めているのが、「ブルヒータ」(小さな魔法使い)の愛称で知られるフアン・セバスティアン・ベロンだ。

 元アルゼンチン代表MFとして3度のW杯に出場し、セリエA、プレミアリーグでもプレーした名手は、エストゥディアンテスの選手たちがトロフィーを掲げて祝福する光景をスタンドの一般席から感慨深げに見守っていた。会長でありながら、両ファイナルにおいて、彼はサポーターの1人として声援を送っていたのである。

 本来であれば、決勝を戦うチームの会長はVIP席で観戦し、表彰式では選手たちにメダルを授与するためピッチに降りることになっている。だがベロンには昨年11月末、AFA(アルゼンチンサッカー協会)から「アルゼンチン国内のサッカーに関わる一切の活動における6カ月間の職務停止処分」が下されていた。自分のクラブが栄光に輝く瞬間をスタンドの一般席から祝福していたのは、そのためだったのだ。

 では、なぜベロンは「会長職の活動停止」なる処分を受けることになったのか。その背景には、2025年のクライマックスにアルゼンチンサッカー界を揺るがした問題が関係している。

初当選から11年、行動力と帰属意識、ひたむきな努力とともに

 その問題について触れる前に、エストゥディアンテスにおけるベロン会長の経歴を振り返っておきたい。

 クラブ史上に残る偉大なストライカー、フアン・ラモン・ベロン(2025年5月に逝去)を父に持つベロンは、2006年、31歳で欧州から最愛の古巣に復帰すると、いきなりその年のアペルトゥーラで優勝。2009年にはコパ・リベルタドーレスを制覇して南米王者となり、2010年には再びアペルトゥーラ優勝を成し遂げた。

……

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Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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