「前への守備」と「最後はGK」。2つのキーワードから広島の歴史的な堅守を読み解く
サンフレッチェ情熱記 第27回
1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第27回は、6試合1失点という絶好調のGK大迫敬介を中心としたリーグ最少失点の堅守を考察する。
カウンターを食らいやすい構造にもかかわらず…
0.68。
この数字は、サンフレッチェ広島が28試合現在で記録している、Jリーグでの平均失点である。
もしこのままシーズンを終えたとしたら、2008年に大分が記録した平均失点0.71を上回り、史上最少失点記録を更新することになる。もちろん、まだ10試合を残しており、ここからどうなるかはわからないが、少なくともここまでの広島が歴史的な堅守を誇っていることは間違いない。
クリーンシート12回は柏・東京Vと並んで最多。平均被シュート数は10.3本でリーグ3位だが、枠内に限ると2.6本でリーグトップ。平均タックル数は18.2回と8位なのに、タックル成功率となると67.4%でトップ。そして平均クリア数は19.4本でリーグ最少である。
つまり広島は、シュートを打たれたとしても、危険なシュートは少ない。闇雲にタックルするのではなく、ここぞという場面で精度の高いタックルを敢行している。安易にクリアするのではなく、攻撃に切り替えるためにボールを奪うことができている。データからこういう推論が成立する。
ただ、相手に全くチャンスを与えていないわけではない。被ゴール期待値の平均は1.0でリーグ4位。それなりにピンチが存在することも、データは示す。
当然だろう。広島のラインの高さは約44mで決して高いわけではないが、高い位置でブロックをつくり、可能な限り引いて守ることはしない。「我々の守備は下がることではなく、前に出ることだ」というミヒャエル・スキッベ監督の言葉通り、常に敵陣でボールを奪うことを心がけているため、当然のことながらカウンターを食らいやすい構造になっている。
では、どうして失点がこれほど少ないのか。
言及しないといけないのは、大迫敬介の存在である。
東京V戦で見せた大迫敬介の3つのビッグセーブ
8月23日に行われた東京V戦(味の素スタジアム)は広島が3-0で勝利したが、内容はほぼ互角。流れの中のビッグチャンスはむしろ東京Vの方が多かったように思えた。DAZNの速報値でいえば、シュート数も枠内シュートの数も東京Vの方が上。ボール支配率も東京Vが57%とホームチームが上回っていた。
だが、彼らの前に立ちはだかったのが、紫の守護神だ。
際だったセーブだけでも、3つ。
1つ目は45+4分、齋藤功佑の浮き球で東京Vが広島陣内に侵入したシーンだ。
右ハーフスペースで高い位置を取った深澤大輝。近くには福田湧矢がいたが、広島は4人で2人を囲んでいた。ただ、深澤は冷静。新井直人が身体を寄せてきた瞬間、わずかに空いたスペースに浮き球でボールを入れ、福田を走らせたのだ。
このプレーで右のペナルティエリア内に侵入されたわけだが、広島は特に慌てていなかった。守備の人数は8人と揃っていたし、最前戦の染野唯月には荒木隼人がピタリとついていた。中央で待っていた食野壮磨に対しても、韓国代表CBのキム・ジュソンが監視していた。
だが、ここで齋藤が実に知的な動きをする。食野を高い位置に行かせた上で自身はわざとゆっくりと前進していた。この動きによって広島の守備の視界から彼は1度、外れた。
福田が前を向いてボールを運んだ瞬間、そして広島の選手たちがボールをウオッチした瞬間、齋藤は猛然と走り出す。マイナスのクロスが放たれた時には、ペナルティエリアの中央に空いたスペースに入り込んでいた。
この時大迫敬介は、クロッサーの方を向いていた体勢を立て直し、シューターの正面に立った。ただ、その方向転換によって体重はどうしても右足に乗ってしまい、齋藤のシュートはその逆を突いた。そこは、緑の8番が紫の1番を上回っていたのかもしれない。
だが、それでも大迫は最善を尽くした。シューターの前に立つことは基本。基本とは定石であり、最も確率の高い選択だ。
大迫が前に立ったことで、齋藤はコースをしっかりと狙わないといけなくなる。クロスボールには速い回転がかかっていて、左に蹴ることは難しい。右に蹴らざるを得なかったが、そのシュートコースには荒木隼人が立っていた。偶然ではない。荒木がニアに走った染野につくことを瞬間的にキャンセルしたから、齋藤のシュートコースに立って足を出せたのだ。
ディフレクションが大迫の顔に当たって枠外に飛んだのは、スキッベ監督が言うところの「広島に運があった」ということかもしれない。「ハヤトくんがそこにいなければ、失点していた」(大迫)のかもしれない。しかし少なくとも、荒木と大迫がポジションをしっかりと修正し「そこにいた」からこそ、運が舞い降りたとは言える。天は自ら助くる者を助く。そんな昔からの言葉を思い出した。
そして大迫敬介の真骨頂は、後半に訪れる。
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Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。
