ついに“サー・デイビッド”となったベッカム。長年の慈善活動、あの日の復活劇…「地に足が着いた」努力の集大成

Good Times Bad Times 〜フットボール春秋〜 #18
プレミアリーグから下部の下部まで、老いも若きも、人間も犬もひっくるめて。フットボールが身近な「母国」イングランドらしい風景を、在住も25年を超えた西ロンドンから山中忍が綴る。
footballista誌から続くWEB月刊連載の第18回(通算252回)は、「サー・デイビッド・ベッカム」の誕生を祝して、そのピッチ内外における「傑出した」実績を振り返りたい。
4度目の正直?チャリティ界の“大物サポーター”として
歳月は流れ、「サー・デイビッド・ベッカム」が誕生した。英国では基本的に年2回、国家と社会への多大なる貢献が認められた個人に対し、王室から栄誉称号が授与される。元イングランド代表キャプテンは、去る6月に発表された叙勲リストに名を連ね、「ナイト」の称号を授かった。
初めて候補者と目されたのは、2011年。翌年開催のロンドン五輪招致に貢献した直後のことだった。記憶が正しければ、“4度目の正直”で「サー」と呼ばれる身になったことになる。
個人的には、14年もの時間を要した事実が不思議に思える。だが巷には、「サー願望」が強過ぎたとする見方もある。実際の選定は独立した委員会によって行われるのだが、過去には「ベッカムが王室関係者から決勝点」などと報じられたことも何度かあった。
国内では、王室関係の催事に出席するベッカムの様子をメディアで見聞きすることが珍しくない。今回の叙勲リスト発表前週にも、チャールズ国王の隣で、ハリウッド映画俳優のメリル・ストリープとケイト・ウィンズレット、ロック・シンガーのサー・ロッド・スチュワートらと写真に収まっている姿を、『タイムズ』紙で目にしたばかりだ。
ベッカムの頻出ぶりを、「王室メンバーをマンマーク中」と表現していたのは、『BBCニュース』の王室担当レポーター。それこそ、2004年のCL16強マンチェスター・ユナイテッド戦で、ポルトの監督だったジョゼ・モウリーニョ(現フェネルバフチェ)から「ポール・スコールズが行くなら、トイレまで一緒についていけ」と命じられていた、ペドロ・メンデスさながらの徹底マークと思えなくもない。
しかし、王室側が意識的にマークを引きつけている部分もある。サッカー界の垣根を超えたアピール力を持つベッカムは、持てる国際的な名声を有効に活用する、チャリティ界の“大物サポーター”でもあるのだ。『タイムズ』紙で目にした写真も、国王が設立した慈善基金の式典で撮影されたものだった。
国際的には、ユニセフ(国連慈善基金)の親善大使として知られているのだろうが、国内でも多数の慈善事業団体に力を貸している。昨夏の本コラムで、亡くなった隣人の「人生を祝う会」での一幕に触れさせてもらったが、当日には遺族のリクエストにより、故人がお世話になった救急ヘリに関する支援基金への寄付が募られた。あとから知ったのだが、同基金が全国で30億円近い目標額を募ることができた背景には、ウィリアム皇太子から要請を受けたベッカムの関与があったという。
今回の叙勲リストでは、英国のロックバンド『ザ・フー』のボーカリストとして有名なロジャー・ダルトリーも、音楽業界における功績とともに、がん関連の慈善事業に対する貢献が認められている。チャリティ支援は、重要な審査対象のようなものでもあるのだ。
存在自体がブランドに。大バッシングを乗り越えて
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Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。