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脇坂泰斗の「絶対忘れない」前半38分での途中交代。ソニー仙台戦が紡いだ6年、川崎F主将の成長物語

2024.06.26

フロンターレ最前線#5

「どんな形でもタイトルを獲ることで、その時の空気感を選手に味わってほしい。次の世代にも伝えていってほしいと思っています」――過渡期を迎えながらも鬼木達監督の下で粘り強く戦い、再び優勝争いの常連を目指す川崎フロンターレ。その“最前線”に立つ青と黒の戦士たちの物語を、2009年から取材する番記者のいしかわごう氏が紡いでいく。

第5回では、今季から主将を務めている脇坂泰斗が乗り越えた屈辱について。天皇杯2回戦で激突したソニー仙台は、奇しくも先発として初めて出場した6年前の再戦だった。

 6月11日、脇坂泰斗は年齢を1つ重ねて29歳となった。

 その翌日、彼は公式戦にスタメンで出場している。本拠Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsuで開催された天皇杯2回戦だ。川崎フロンターレにとっては連覇のかかる全国大会であり、Jリーグではなくその下のカテゴリー、JFLに所属しているソニー仙台FCとぶつかった。

 結論から言うと、2-0のスコアで川崎が3回戦に駒を進めている。他会場でFC町田ゼルビア、名古屋グランパス、ジュビロ磐田のJ1勢がジャイアントキリングの餌食となる大波乱が起きたこともあり、順当に終わったこの一戦は特に話題になることもなかった。

 ただし脇坂自身にとっては、忘れられないカードでもあった。今の彼を形づくるきっかけとなった試合の対戦相手だったからである。

記念すべきプロ初先発も…前半38分で途中交代した理由

 脇坂泰斗が阪南大学から川崎フロンターレに入団したのは2018年のこと。新人である彼が公式戦初スタメンを飾ったのが、実はこの年の天皇杯2回戦・ソニー仙台戦だった。そして、前半終了を待たずにベンチに下がっている。

 一体、何が起きていたのか。

 当時の試合内容を振り返ってみると、序盤こそ川崎が優勢に進めていたものの、鋭いカウンターから立て続けに失点を許す展開だった。前年の2017年にJ1初優勝を果たしている川崎は、Jリーグ王者として天皇杯に登場していたのだが、JFLのチーム相手に前半で2点のビハインドを負ってしまっていたのである。

 脇坂が致命的なミスを犯したわけでもない。ただ、序盤に巡ってきたシュートチャンスを決め切れなかったこと、そして中央に通そうとしたパスが引っかかり失点に繋がるカウンターの起点になってしまったこと。何より2点を追いかける事態が重なってしまったことで、ベンチにいた鬼木達監督は38分にルーキーを代える決断を下した。脇坂のプロ初先発はピッチに45分すら立つことなく、幕を閉じたのである。

 ケガや退場などのアクシデントでもない限り、前半途中に選手を交代させる采配は異例中の異例だ。川崎は後半に3得点での逆転勝利を果たし、チームは面目を保った。だが、まだ何者でもなかった新人にとってショックは大きかっただろう。それでも試合後のミックスゾーンに現れた脇坂は、静かに誓っていた。

 「チームが勝てたことはうれしいですけど、個人としては悔しい気持ちもある。それを次に生かさないと意味がないと思っています」

「質や量が足りなかった」。悔しさが練習での指標へ

 それから6年もの月日が流れた。脇坂は今ではこのクラブの顔であり、今年からは主将を任されるまでに成長を遂げている。

 あの前回対戦は、どんな記憶として本人の中に残っているのか。ある日の練習後、ソニー仙台戦に向けた思いを尋ねてみると、質問の意味を察した本人は記憶の糸をたぐりながら話し始めた。……

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Profile

いしかわごう

北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。Twitterアカウント:@ishikawago

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