【中編】日本代表・森保一監督インタビュー。「“クローザー”を託したかった」遠藤航を最後まで待った理由
【特集】北中米W杯総括。日本代表が向き合うべき「壁」の正体#2
日本代表が世界の頂点を目指して戦った北中米W杯。グループステージを突破し、歴代最多得点を記録するなど確かな成長を示した一方で、決勝トーナメントでは初戦のラウンド32でブラジルに敗れ、目標として掲げた“最高の景色”には届かなかった。
では、日本代表を阻んだものは何だったのか。個の力か、戦術か、育成か。それとも私たちが信じ続けてきた「日本らしさ」なのか。北中米W杯は、日本サッカーが次の4年へ進むために向き合うべき「壁」の存在を浮かび上がらせた。本特集では、強化、育成、そして「日本らしさ」をめぐる言説まで含め、その正体を多角的に検証する。
第1~3回は、日本代表が初出場した98年以来W杯8大会を現地取材し、森保体制の8年間を追い続けた増島みどりさんによる森保一監督の単独インタビュー。
なぜ森保一監督は遠藤の回復を最後まで待ったのか。なぜ登録変更の決断は開幕直前までもつれ込んだのか。そして、その不測の事態をチームはいかに受け止めたのか。指揮官が明かしたのは、単なるメンバー選考の裏話ではない。遠藤に託そうとしていた「クローザー」という特別な役割、吉田麻也や南野拓実らメンターの存在、そして優勝を目指すチームを支えたマネージメントの実像だった。
(取材日:2026年8月3日)
最後まで待った理由は「クローザー構想」
――監督は遠藤選手、周囲の方々の傷を大きくしてしまった、と慮っています。傷を広げたとすれば、判断が遅れたからでしょうか。
「それもあったかもしれません」
――壮行試合となった5月31日のアイスランド戦で、遠藤選手を限定的に起用すると思いましたが先発でした。
「当然のことながらあの試合は、W杯でどこまでできるかを実戦でテストするためだったからです。(遠藤)航だけではなく昨シーズン後半戦でプレーできていなかったトミ(冨安)、板倉の3人が出場だけではなく、どこまでできるか出場時間を測るものでしたから。板倉はあの試合で70分プレーし(73分で渡辺剛と交代)、トミは本当に久しぶりの(約2年ぶり)代表復帰でしたが80分超えてプレーでき、2人はW杯で戦える状態にコンディションが十分上がってきたと判断しました。航は前半にケガをしてしまってこの試合でジャッジできなかった」

――試合翌日の6月1日、負傷した遠藤選手が病院に行く際も1人では歩けず足も腫れていたためシューズを履けなかったと聞きました。この時点でモンテレイ(メキシコ)での事前キャンプでも数日間はまた別メニューに費やさなくてはならなかったのでは?
「検査の結果を受け、メディカルの判断も踏まえて話し合いを行っています。メディカルはまだ間に合うとの判断でしたのでアイスランド戦で引き延ばしたジャッジをさらにモンテレイまで伸ばしたんです。このチームは航がW杯まで引っ張って来たチームです。その存在感、チームに与える心理面での影響を考えていました」
――試合前24時間での登録が迫るモンテレイで、遠藤に代えて新しい選手を一刻でも早く加入させる判断も結果的に遅れたのでしょうか。町野(修斗)選手はモンテレイにもベースキャンプ地の(テネシー州)ナッシュビルにもフライトのトラブルで間に合わず、初戦のオランダ戦が行われたダラスに直接入りました。
「もし町野がモンテレイのキャンプの早い段階から合流できていれば、彼のコンディションにおいても全体の戦術的な面でもよりいい状態になれたと思う面はあります。航と町野だけではなく、新キャプテンとなって難しい状況の中で一刻でも早く板倉のチームにすべきところを(板倉)滉にスイッチするのも遅くなってしまった」
――一番近くで、長く見ている監督、スタッフの判断を遅いとか、もっと早くできたのでは?と言うのも的外れですが……私は見ていない部分がほとんどですから。遠藤選手については、影響力はもちろんですが、他にも判断を左右した理由がありましたか?
「航には特別に“クローザー”を託すつもりだったからです。これができるのは航しかいませんし、彼の持っている力を試合が切迫してくる後半の大事な局面で出して欲しかった。航がクローザーとして後ろにいる安心感が、出場時間とは別に、我々にとって強い支えにもなると。最後まで判断を待った理由です。この起用法については航と今年、話をしていました」

――遠藤選手がチームを離れた時、98年のカズ(三浦知良)と、北澤(豪)2人の姿を少し思い出しました。当時の登録ルールも人数も今とは違いますが。
「私も航と話す際、状況は違いますが岡田さん(武史、当時日本代表監督)のことも考えました」
主将離脱でも揺れなかったチームの成熟
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Profile
増島 みどり
1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。
