実感しているのは「意識」から「無意識」への変化。「走ることでは計算の付く選手になろうと思っていた」 柏レイソル・久保藤次郎インタビュー(前編)
「サッカー×走り」の最前線#7
「今日の試合でプレーしなければならないとしたら、私はプロサッカー選手になれていなかっただろう」――そう冗談交じりにペップ・グアルディオラが語った理由の1つは、現役時代の自身に欠けていた走力にある。事実、彼がマンチェスター・シティの監督として10年目を戦っているプレミアリーグでも2021-22シーズンから2024-25シーズンにかけて年々、1試合平均のトップスピードとスプリント回数が右肩上がりとインテンシティは高まるばかりだ。欧州全体を見渡しても悲願のCL初優勝へとパリSGを最前線から牽引したウスマン・デンベレの爆走が脚光を浴びたように、ハイプレスからトランジションにロングカウンターまで立ち止まる暇のない現代サッカーで求められる「走り」とは?フィジカルコーチやテクニカルコーチ、そして日本代表選手らと再考する。
第7&8回は、今季から柏レイソルでプレーし、7月のEAFF E-1選手権に臨む日本代表にも選出された久保藤次郎のインタビューをご紹介。J3からプロキャリアをスタートさせながら、今やJ1でもトップクラスのスプリント回数と走行距離を誇るレイソルの“右の翼”に、「走ること」をさまざまな角度から語ってもらっている。
(取材日:10月1日)
中学時代はサッカークラブと並行して陸上部に在籍していた!
――久保選手はJ1の中でもスプリント回数と走行距離と、ともにトップクラスの数字を叩き出してらっしゃいますが、なんでこんなに走れるんですか?
「もともと小さい時から学校のマラソン大会では上位に食い込んでいましたし、昔から走れる方ではあったと思います。短距離も速い方でしたね」
――小さいころから走ること自体も好きでしたか?
「好きでは……(笑)。まあ、でも、1位になれるから別に嫌ではなかったかもしれないですね。僕が通っていた愛知の中学は絶対に部活に入らないといけない学校だったんですけど、サッカー部がなかったので、陸上部に入って、長距離をメッチャ走っていました」
――放課後にサッカーのクラブに行く前に、陸上部の練習をするんですか?
「基本的には朝練ですね。午後練はサッカーがあって行けないので、担当の先生に話をしたら、『じゃあ朝練だけしっかりやろう』と言われました。他の部活だったら『来なくても大丈夫だよ』という先生もいたんですけど、その時の陸上部の先生は結構厳しかったので(笑)、『朝練だけは絶対に来いよ』と言われていましたし、サボったら怒られるような先生でした」
――久保選手は間違いなく校内でもかなり足が速かったと思うので、朝練を頑張って陸上の大会に出てほしかったんですかね?
「それもあると思います。あとは、先生もサッカーをやっていた人だったので、僕のためにそう言ってくれていたのかなと。当時は夜の9時ぐらいにサッカーの練習から帰ってきて、次の日も朝6時に起きて陸上の朝練に行って、学校で授業を受けて、またサッカーに行って、とかなりハードだったので、『なんでこんな厳しくされるんだ……』と思っていましたけど、今から考えると感謝しています(笑)。でも、実際は陸上の大会にはなかなか出られなかったですね。サッカーで忙しかったので、朝練だけ頑張っていました」
――もともと体力自体にも自信はあったんですか?
「ありましたね。小さい頃はサッカーでどれだけ走れるかは、あまり気にしないじゃないですか。マラソン大会とか陸上部の活動とか、そういうものでは順位も出ますし、『ああ、自分は上のほうなんだな』と自覚することはあったので、自信はあったと思います」
藤枝で進化した「意識」から「無意識」というフェーズ
――僕が帝京大可児高校時代の久保選手のプレーを見た時は、結構攻撃に“全振り”している選手という印象だったのですが、高校生のころは『走る』ことに対して、自分の中で意識していたことはありましたか?
「まったく意識していなかったですね。サッカーの時代的に言うと、僕が高校生のころはネイマールとかメッシが活躍していて、[4-3-3]のシステムが全盛期だったので、自分も3トップの左をやっていて、どれだけドリブルで仕掛けられるかがすべての評価だと思ってプレーしていたので、『走る』ことなんてまったく深くは考えていなかったです」
――上下動の質なんて、まったく……ですか?(笑)
「はい。まったく考えていなかったです(笑)。とりあえず王様でカッコよくやりたいというような選手でした。そこから(中京)大学で変わりましたね。最初はもちろん高校の延長線上で、そういうプレーばかりしていましたし、監督からも『守備をやれ』『チームのために走れ』と言われても、最初は『何を言っているんだろう?』という感じでした。
ただ、当時の永富(裕也)監督はカターレ富山の強化部もやられていた方で、『Jの強化やスカウトはそういうところを見てるぞ』と言われて、それで『ああ、そうなんだ』と思って、実際に守備をしたり、走ってみたりしているうちに、意外と楽しくなってしまったんです(笑)。そこからチームのためにプレスバックしてボールを回収したりと、そういうプレーに少しずつやりがいを感じ始めたので、今のプレースタイルが垣間見えたのは大学生の時だと思います」
――少し自分の中で意識を変えてみたら、それがプレーへポジティブに反映されていく手応えがあったということでしょうか?
「そうですね。やっぱり体力があっても、実際にはそれをどう使うかで、『試合で12キロ、13キロ走ってください』と言われた時に、走れる選手と走れない選手の違いは、そこの意識の問題なのかなと。たとえばボールを取られて、逆サイドでカウンターをされた時に『全力で戻ろう』と思って戻るか、戻らないかで、全然走行距離も変わってきますよね。
体力があるかないかも大事ですけど、そういう“無駄走り”みたいなものも、どれだけやってやろうと思えるかどうかという、気持ちや意識の部分が大きくて、それは植え付けないといけないもので、考えてやっていてはもう遅いと思いますし、それをだんだん自動化していったイメージですね。今は自チームがカウンターになったら、気づかないうちに勝手に前へ走っています」
――今おっしゃった「意識と無意識」の部分で言うと、そこもご自身の中で経験を重ねながら、そこの境界線がなくなってきたイメージですか?
「そうですね。経験しながら、ですね。僕は藤枝(MYFC)に入った時に初めてウイングバックをやったんですけど、そこで初めてちゃんと守備をやらされたというか(笑)。だから、最初は僕のところから失点したり、PKも与えてしまったので、それで逆にサボれなくなったんです。
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Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!
