デ・ゼルビ監督のサッスオーロと片野坂監督のトリニータ、「疑似カウンター」の興味深いシンクロニシティ

知ればさらにサッカーが面白くなる!
新戦術用語のすゝめ#5
「疑似カウンター」「ジャンプ」「ピン留め」……サッカー中継や分析記事内で登場する戦術用語、実はよくわからないと感じたことはないだろうか? 戦術的概念を言語化したサッカー用語は、試合をより深く味わうことができるツールにもなる。今特集では、最近よく使われるようになった新戦術用語の意味をわかりやすく解説したい。
第5回は、デ・ゼルビのサッスオーロやブライトンでお馴染みの「疑似カウンター」。2つの潮流のせめぎ合いから誕生した歴史的経緯を振り返りつつ、今季CLを制覇したパリSGの最新事例についても考察してみたい。
英、伊、西、独にはない「日本化」された戦術用語
今回の特集で取り上げられている用語の中でも、日本で最も広く使われているのは、「疑似カウンター」だろう。この言葉を定義するならば、「自陣でのポゼッションで相手のプレスを誘引し、その背後のオープンスペースをダイレクトに攻略するプレー」ということになる。
周知の通り、「カウンターアタック」とは本来、ボール奪取直後、相手の守備陣形が整う前に前方のオープンスペースをダイレクトに攻略するプレーを指す言葉だ。それと同じ状況を、ボールを保持しながら疑似的に作り出すのが「疑似カウンター」というわけだ。
興味深いのは、これが海外から「輸入」された言葉ではなく、日本で発明され普及した純粋な「日本のサッカー用語」だという点。ピッチ上の現象としては明確に存在しており、例えば上記のような定義が可能であるにもかかわらず、英語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語のいずれにも、それに明確に対応する単語や定型的な表現は(少なくとも用語として明確に定義され定着しているというレベルでは)存在していない。
欧州サッカーで「疑似カウンター」と言えば、多くの読者にとって最初に頭に浮かぶのはロベルト・デ・ゼルビ監督時代のブライトンだろう。しかし、英語でデ・ゼルビの戦術を解説した文章の中では、「baiting the high press to exploit the space behind(ハイプレスを誘って背後のスペースを活用する)」のような説明的な言い回しが使われている。
デ・ゼルビはイタリアでサッスオーロを率いていた当時(2018-2021)からすでに「疑似カウンター」を攻撃の主要な原則として取り入れていたが、当時も今もイタリア語では「costruzione dal basso(後方からのビルドアップ)」という非常に一般化された言い方で、その戦術が説明されることが多い。文脈の中にすでにハイプレス誘引と裏のスペース攻略というニュアンスが含まれていることも多いし、そうでない場合はそれについての説明(attirare il pressing per sfruttare lo spazio dietro=背後のスペースを活用するためにプレッシングを誘引する)で補完する形だ。
それと比べると日本語の「疑似カウンター」は、それらをたった1語に凝縮する形で、明確に定義できるような意味内容を持っているという点で、非常に優れたサッカー用語だと言うことができる。やはりこの特集で取り上げられている「大外アタック」と同じように、日本語でサッカーを語る文脈の中から自然に生まれたからこそ、もう何年も前から自然に広まり定着しているのだと思う。
いろいろ検索してみると、この「疑似カウンター」という言葉は、2018年前後に片野坂監督率いる大分トリニータの戦術を指して使われ始めたようだ。その経緯については「’擬似カウンター’と’カウンター’と’速攻’について。」というnote記事が非常に参考になる。
検索して出てきた記事やブログの中には、「疑似カウンター」を「最近欧州で流行している戦術」とする記述もよく見られるのだが、この言葉自体はJリーグのサッカーを観戦し分析する中から自然発生した純粋な「日本のサッカー用語」だというのが面白いところ。サッカー用語の「日本語化」ではなく「日本化」の典型例だと言えるだろう。
これだけ広く定着し、その意味内容も理解され浸透している言葉について、あらためてここでわざわざその詳細を解説する必要もないような気がするので、ここからは欧州サッカーの文脈の中でどのようにしてこの戦術が生まれ、広く使われるようになってきたのかを、時間軸を追って見ていくことにしたい。
「デ・ゼルビのサッスオーロ」に至る歴史的経緯
日本でこの「疑似カウンター」という言葉が生まれるきっかけとなったのは、すでに見た通り片野坂監督(第1期)時代の大分トリニータだと推測されているが、ちょうどこの2018-19年は、ヨーロッパでも「デ・ゼルビのサッスオーロ」を筆頭に、ハイプレス誘引と裏のスペース攻略をセットにした、新しいタイプの「後方からのビルドアップ」が注目され始めた時期だった。
しかし、その起源はもう少し時間をさかのぼる。
……

Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。