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日欧3バック進化史。トルシエ&オシムによる下地、対ポジショナルプレー守備&3枚回しのビルドアップで再評価

2025.05.26

Jリーグ3バックブーム探求#6

なぜ、Jリーグに再び3バックブームが到来しているのか?日本サッカーの戦術史も振り返りつつ、3バックの伝統があるサンフレッチェ広島から、今季より本格導入した町田ゼルビアに、大木武監督が独自性を貫くロアッソ熊本まで注目クラブを参考事例に流行の理由を探求する。

第6回では、らいかーると氏に日本と欧州の3バック進化史を紐解いてもらう。日欧の共通点と違い、守備のための3バックの進化からボール保持局面にも効果が拡大していく過程、そして3バックの未来について思いを巡らせてみたい。

 猫も杓子も[3-2-5]の時代において、2025年度のJリーグで3バックが流行していることは、世界の流れと一致していると言えるかもしれない。グアルディオラに率いられたマンチェスター・シティによって世界中に広められた[3-2-5]は、様々なアレンジとともに、世界中の多くのチームで採用されることとなった。

 振り返ってみれば、Jリーグ開幕当初からガラパゴス化が許された日本において、3バックは当初から目撃されてきた。

 2002年にはトルシエ監督によってフラット3がもたらされ、2006年前後にはオシム監督によって人を基準として守る3バックが旋風を巻き起こした。撤退守備と田中マルクス闘莉王の解放を同時に実現した浦和レッズはACLで活躍し、そしてサンフレッチェ広島と浦和レッズで猛威を振るったミハイロ・ペトロヴィッチ監督による可変式3バックは、多くのチームにミラーゲームを決断させるほどのハメ技となった。

 そんな3バックのJリーグでの歩みについて、欧州の流れと比較しながら整理していきたい。

3バック文化の下地。人に基準を置いたフラット3

 近年の3バック採用は、ボール保持における目的を達成するために行われている印象が強い。

 しかし、もともとの3バック採用は、相手の2トップに対して常に数的優位で対応することで守備を安定させることを目的としていた。つまり、ボール非保持の状況を優位にするために3バックは採用されてきた配置と言えるだろう。

 田中マルクス闘莉王を中心とする浦和レッズや、宮本恒靖やシジクレイが守備の中心となったガンバ大阪の3バックは、撤退守備で3バックの強さを証明して見せた。相手がゴール前に何度ボールを放り込んでもペナルティエリアに常駐する3バックの高さで跳ね返し続ける姿は強く印象に残っている。撤退守備を主目的とした3バックは実際には「5バック」と表現しても問題はないだろう。

 人を余らせる守備が3バックの基本路線だったとすると、オシム監督に率いられたジェフ千葉のサッカーは人への意識が強いものだった。基本的にはマンマークで相手に対応し、ボールを奪ったらそのまま攻撃参加していくダイナミックなサッカーは、「考えて走る」という言葉ともに、日本中に多くの影響を与えることとなった。

 ただし、現代のアタランタが行っているように、ピッチの全体でマンマークが貫かれているわけではなく、当時のジェフではストヤノフがカバーリングを行うことで保険が準備されていた。ビエルサ監督のサッカーもマンマークと表現されることが多いが、最終ラインは+1の状況を好んでいるようだ。振り返ってみれば、オシム監督とビエルサ監督の守備戦術は相似の関係にあったのかもしれない。

 一方、トルシエ監督のフラット3は人が余ることを基本とする3バックの概念を破壊したものであった。

……

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Profile

らいかーると

昭和生まれ平成育ちの浦和出身。サッカー戦術分析ブログ『サッカーの面白い戦術分析を心がけます』の主宰で、そのユニークな語り口から指導者にもかかわらず『footballista』や『フットボール批評』など様々な媒体で記事を寄稿するようになった人気ブロガー。書くことは非常に勉強になるので、「他の監督やコーチも参加してくれないかな」と心のどこかで願っている。好きなバンドは、マンチェスター出身のNew Order。 著書に『アナリシス・アイ サッカーの面白い戦術分析の方法、教えます』 (小学館)。

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