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勝負師としての安定“勘”をもつ背番号『9』の価値。東京ヴェルディ・染野唯月が見据える日本のエースへの未来

2024.04.30

[特集]日本人9番の潜在能力 #7染野唯月(東京ヴェルディ) 

「9番」という背番号は、点取り屋=ストライカーという印象が強い。過去にフットボリスタでは「日本人ストライカー改造計画」と題した特集で世界に通用するストライカーとは何なのか?を考えてみたが、あれから4年が経ち、若手の海外移籍が加速する中で、今Jリーグの舞台で活躍する日本人9番の現状に注目してみた。現代サッカーを生き抜く多種多様な9番はどんなキャリアを過ごし、これからどこへ向かおうとしているのか――。

昨シーズンのJ1昇格プレーオフ決勝で沈めたPKが記憶に新しい。2024年シーズンは東京ヴェルディの『9番』を託された染野唯月のことだ。尚志高校時代からそのポテンシャルは高く評価されてきたが、プロの世界でやや伸び悩んでいたストライカーは、緑のユニフォームに袖を通すと、少しずつではあるが本来の実力を解き放ち始めている。今回はその過程を間近で見てきた上岡真里江に、染野の今を教えてもらおう。

ヴェルディに受け継がれる「9番」の系譜

 サッカー界における背番号『9』は、「エースストライカー」を想像させる世界共通語だと言えよう。サッカー好きの方、または多少なりともサッカーへの関心や知識のある方は、各チームの『9』を見ると、「おっ。この選手がチームの点取り屋なんだろうな」と一目置きたくなるに違いない。

 東京ヴェルディの歴代背番号『9』を振り返っても、その“暗黙の常識”は顕著である。

 Jリーグ元年(1993年)まで遡り、初代は武田修宏(以後、人物敬称略)にはじまり、パトリック・エムボマ、ワシントン、フッキ、大黒将志、阿部拓馬、ドウグラス・ヴィエイラと、ゴールを量産してきた面々の名前が並ぶ。

 そして、今季、また新たに刻まれたのが『染野唯月』の名だ。

 2022年、2023年も東京Vでプレーしたが、いずれもシーズン途中からの期限付き移籍だったこともあり、それぞれ『30』、『39』を着けた。そのなかで出場16試合4点、同18試合6点(チーム最高得点)と結果を残したことで、“エース”と呼ばれる権利を獲得。過去2シーズンと同じ、契約上は期限付きではあるが、今季は始動から緑のユニフォームを着るとの染野の選択をうけ、クラブ側も背番号『9』の打診をもって最大級の歓迎の意を示した。

 「僕から希望は出してはいませんが、着けたい気持ちもあったので、多分、チームもそれを理解してくれた上で選んでくれたのかなと思います」。もちろん、本人も二つ返事で受け入れた。

J1昇格プレーオフで発揮した強心臓と勝負強さ

 尚志高校でエースストライカーとして活躍していた頃以来の背番号『9』。やはり、染野にとっても特別な番号だ。

 「みんな同じだと思いますが、僕も『9番』は“ストライカー”というイメージが一番強くあります。でも、そう簡単に着けられる番号ではない。背負う以上は、重みもまったく違ってくると思っています」

 まして今年は、東京Vにとって16年ぶりのJ1での戦いとなる。そのクラブの歴史としても大事なシーズンに挑むチームのエースストライカーとして期待されている意義とやりがいを、22歳のフォワードはしっかりと受け止めて闘っている。

 染野といえば、昨年12月2日に行われたJ1昇格プレーオフ決勝で、0-1のビハインドで迎えた後半アディショナルタイムに自らのドリブル突破で奪ったPKをしっかりと決め、東京VをJ1復帰に導いたヒーローだ。まさに天国と地獄を分かつ命運かかるというとてつもない重圧がのしかかる一蹴りを、「自分がとったファウルだし、自分が蹴りたかった」と誰にも譲らなかった。その強心臓と、きっちりと決めきる勝負強さこそが、『9番』を背負うべき選手の何よりの資質と言えるのではないだろうか。

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Profile

上岡 真里江

大阪生まれ。東京育ち。大東文化大学卒業。スポーツ紙データ収集、雑誌編集アシスタント経験後、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田の公式ライターを経て、2007年より東京ヴェルディに密着。2011年からはプロ野球・西武ライオンズでも取材。『東京ヴェルディオフィシャルマッチデイプログラム』、『Lions magazine』(球団公式雑誌)、『週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社)などで執筆・連載中。