創設9年でCL参戦!アゼルバイジャンの“国連”サバフFCのマネーボール、多文化共生、元クイズ王、ソ連的+現代的クラブ経営とは?
フットボール・ヤルマルカ 〜愛すべき辺境者たちの宴〜 #8
ヨーロッパから見てもアジアから見ても「辺境」である旧ソ連の国々。ロシア・東欧の事情に精通する篠崎直也が、氷河から砂漠までかの地のサッカーを縦横無尽に追いかけ、知られざる各国の政治や文化的な背景とともに紹介する。
footballista誌から続く連載コラムの第8回(通算88回)は、2017年に人口1万9000人の町で誕生し、早くも欧州最高峰の舞台へと到達したサバフFCについて。9月10日のリーグフェーズ第1節では、CL史上初という“11人全員が異なる国籍”のスタメンで挑み、マンチェスター・ユナイテッド相手に敵地で奮戦した。「アゼルバイジャンサッカーの発展」を自らの役割として掲げる新興クラブの、独自の道を歩んだ戦略の全貌に迫る。
これまでアゼルバイジャンを代表するクラブといえば、CL本戦に2回出場しているFCカラバフや、2021年に本田圭佑が在籍して話題になったネフチ・バクーだった。しかし、昨季、その勢力図に変化が生じた。サバフFCが初めて国内リーグを制覇し、カップ戦との2冠を達成したのである。そして、サバフは今季、予選を突破してクラブ史上初となるCL本戦出場の切符を得る。世界中の多くのサッカー関係者やファンにとってほとんど馴染みのなかった「サバフ」というクラブ名が、瞬く間に国際的な注目を浴びることになった。
それもそのはず、サバフは2017年に誕生したばかりの新興クラブ。創設からわずか9年目で、CL本戦出場の快挙を成し遂げた。本拠地のマサズィルは首都バクー郊外にあるひっそりとしたベッドタウンで人口は約1万9000人。こんな小さな町のクラブがこれほどの短期間で飛躍を遂げることができた背景には、アウトサイダーであることを自覚した上で既存の枠組みにとらわれず独自の道を歩んだ戦略があった。
市場価値は1900万ユーロでも、17カ国から「安く、そして効果的」に
「火の国」と呼ばれ、オイルマネーのイメージが強いアゼルバイジャンだが、サバフの母体である「ブリッジグループ」は1998年に家具販売やインテリアデザインを起点にして、その後ホテル、飲食、物流、農業など事業を広げ、ジョージアやUAEにも進出している民間複合企業。創業者のヤグブ・フセイノフが2017年にスポーツビジネスに参入する旗印としてFCサバフを設立した。ちなみにサバフにはバスケットボールクラブもあり、こちらは参入初年度の2022-2023シーズンにいきなり国内リーグ優勝を果たし、現在4連覇中だ。
サバフに関してまず目を引くのは、その多国籍ぶり。選手は17カ国から集まり、ヨーロッパ、アフリカ、中南米、中央アジアなど、その出身地は世界各地に及ぶ。フランスやドイツの選手がいるのはアゼルバイジャンのクラブとしては珍しい。さらに二重国籍を持つ選手も9人いて、全員のルーツを把握するだけでも大仕事だ。スタッフも同様で、リトアニア人のバルダス・ダムブラウスカス監督を中心に、イタリア人、スペイン人、ポルトガル人らがチームを支えている。チーム内では、自分たちを「国連のようなクラブ」と冗談めかして呼ぶこともある。
創設時から一貫してクラブの強化に取り組んできたマクスド・アディゴザロフ会長はサバフの戦略を次のように説明している。
「私たちは、多くの歴史あるヨーロッパクラブとは資金面で競争することはできませんでした。だからこそ、自分たち独自の強みを見つけなければならなかったのです。私たちは『マネーボール』の哲学に影響を受けました。データを賢く利用し、適切な選手獲得を行うことで、クラブの財政規模が示す以上の競争力を発揮できることを示した考え方です」
ゼニトやルビン・カザンのアナリストだったニキータ・バシューヒンが率いるスカウト部門は、膨大な量のデータを分析し、ヨーロッパでは無名だがサバフにとっては有用な選手を見つけ出す。世界各地に対象を広げることで「安く、そして効果的」な補強を実現した。『Transfermarkt』による選手の市場価値はチーム全体で約1900万ユーロ。これはCL本戦出場36クラブの中では下から2番目だ。現地メディアは欧州メガクラブなら選手一人分にも満たないことがある評価額でサバフがCLまでたどり着いた偉業を讃えていた。
17カ国の選手を擁する陣容は偶然というよりはクラブが意図的に狙った結果だろう。国の数が増えればそれだけファンが拡大し、各国との繋がりはクラブ運営やチーム強化にもプラスになる。特にマーケティング面における効果は絶大で、例えば南アフリカでは知名度のあるカイザー・チーフスの生え抜きDFアデン・マッカーシーを獲得した際にはサバフのSNSフォロワー数が急増した。
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Profile
篠崎 直也
1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。
