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徳島の知将リカルド・ロドリゲス。Jに舞い降りた異色なスペイン人

2018.01.30

リカルド・ロドリゲス 徳島ヴォルティス監督 独占インタビュー

中長期的な強化戦略を掲げるクラブは今、ピッチの上でも注目を浴び始めている。その立役者として評価を高めるのが、17年1月に就任したリカルド・ロドリゲス監督だ。論理的な発想と指導で結果を伴いながら自身のスタイルをチームに植え付け、同い年の岡田強化部長とシンクロして「クラブを大きくしていくための道」を歩む43歳。異色な経歴を持つスペイン人指揮官の巧みなマネージメント術に迫ろう。

 

就任半年、徳島の成長を実感

「日本人は創造性が足りない」なんてことを
言う方もいますが、私の印象とは異なります


── それにしても本当に激しい練習をなされるんですね。驚きました。

「プレスの速さというのは私にとって非常に重要なテーマですからね。ボールを持ってからのプレーも大切にしていますが、素早く奪い返してもう一度攻撃に行くという部分も重視しています」


── そのスタイルは徳島の監督になる以前から貫かれているものですか?

「もちろん抱えている選手の質やタイプにもよりますよ。ただ、自分自身のスタイルとしては前からプレスに行くのが好きですね。しっかりボールを持ち、失った後は激しく行く。こういうサッカーを好んでいるのは確かです。その上でポジションプレーを習得し、コンスタントに相手のゴール前へ入って行くことがしたいんです」


──「日本人はインテンシティが足りない」と言う外国人指導者も多いですが?

「いや、そんなこともないと思いますよ。もちろん選手やチームにもよりますが。あと『日本人は創造性が足りない』なんてことを言う方もいますが、それも私の印象とは異なります。優れた創造性を持った選手はJ2にもいますからね」


── 徳島で言えば、杉本太郎選手とかですね。

「そう、太郎や前川大河がいます。私としては見てくれるサポーターが楽しんでもらえるサッカーをしたいですし、そういうクラブとしてのアイデンティティを確立したいという思いもあります。だから創造性のある選手というのは不可欠です。もちろん、いいサッカーをすればいいなんて言う気はさらさらなくて、勝ち点3を獲るサッカーをしたい。『ボールを持って攻撃的なサッカーをするチームだけれど、勝てないね』ということでは意味がない。そういう大前提の上での話です。いずれにしても、そもそも全体として日本人選手のレベルは決して低くありませんよ。当然、アジアではトップクラスです。実際、多くの選手が欧州で活躍しているでしょう。J1もJ2も非常に競争力のあるリーグです」


── この半年余りの指導を通じた選手たちの成長ぶりはいかがですか?

「チームとしてはもちろん、個人の成長にも非常に手ごたえを感じています。例えばFWの選手のゴール数を見ていただければ、彼らが過去に残していた数字を上回っていることがわかるでしょう。鹿島アントラーズやセレッソ大阪では花開くことのできなかった選手たちも、ここでは違ってきています。チームとしてコレクティブに戦う部分は言うまでもなく、個人としても伸びている選手が確実にいて、その点には満足しています。もちろん、一番の目標はJ1へ昇格することですが。シーズンが始まる前は(プレーオフ出場権を得られる)6位以内が目標でしたが、今は自動昇格も夢ではない位置にいますから。若手選手がこうした状況でプレーできるのも凄く良いことですし、彼らを成長させながら来季J1で戦っていくだけの力を付けられればと思います」


── 監督が若手に対する指導で重視しているのは?

「当然、毎日の練習です。まずは彼らの戦術理解度を深めていく必要がありました。もちろん相手がありますから、難しい状況に陥る試合はあります。その時に相手の対策をどう打開していくか。戦術的に困難なシチュエーションを解決できる選手を育てたいと考えています。サッカーは守ることより攻めることを教える方が難しいと思っています。たくさんの練習が必要ですし、しっかりとした分析が不可欠です。映像を見ながら、良い部分を抽出してわかりやすく教えることも大切ですね。そうやって練習でできるようにして、試合で実践できるようにしていく。それが我われ指導者の仕事です。とても情熱的な仕事ですが、毎日悩ましいですよ(笑)」

日本人の戦術理解力と名将たち

戦術的なパフォーマンスは非常に高いです。
曺貴裁監督、高木琢也監督は特にスペシャル


── 日本人の戦術的な能力はいかがですか? 言われたことをやるけれど、臨機応変にやれないと言う人もいます。

「まったくそうは思いませんね。もちろん説明しないで『臨機応変にやれ』と言ってもできるはずもないですが、『こうなったら、こうしよう』と説明しておけば、それを状況に応じて実践してくれる力を持っています。非常に日本人選手たちの理解力は高いと感じています。毎日の練習でいろいろなテーマをもってやりますが、それもすぐに彼らの頭に入っていくと感じます。別に徳島に限らず、他のチームを見ていても感じます。4バックでやっていたチームが、3バックにサッと変えたりもできるでしょう。そうした戦術的なパフォーマンスは非常に高いです。試合中もそうですし、試合と試合の間が3日か4日でも、違うシステムに変えてこられる。それは賢い選手たちでなければ不可能なことです。徳島の選手たちを見ていればわかります。伝えることを伝えれば、しっかり理解してくれる選手たちです」


── 学ぶ姿勢は総じて強いですよね。

「ただ、私が見ているのはJ2なので、もしかするとJ1ではまた違う現象もあるのかもしれません。時どき耳に入ってきたりはします。野心を持っていない、名前のある選手が学ぶ意思を見せないというような話はあります。でも徳島にいるのは賢くてハングリーで、『毎日成長していきたい』と思っている選手ばかりですから、監督としてはありがたいですね」


── 実際、徳島は今季3バックでスタートされて、[4-3-3]にした試合もありますし、今は中盤をひし形にした[4-4-2]と多彩ですよね。

「プレシーズンから3枚中心でやっていましたが、4バックも同時に練習していたんですよ。それは絶対に必要となってくると思っていました。シーズンを戦う中で、今いいパフォーマンスを発揮できるなと感じているのが[4-4-2]のダイヤモンドなわけです。ただ、それで毎試合最後まで行くぞと決め付けていることはまったくないですよ。負傷者や出場停止の選手が出ることでシステムを変えるべきだと判断することもあるでしょう。だから『4バックしかできない』とかそういうことは避けておきたいですね。90分の中でシステムを変えていくことを含めて、フレキシブルである必要があります」


── やはり現代のサッカーは戦術的選択肢が重要ですね。

「まさにそうでしょうね。逆に言えば、システムが重要なわけではないのです。大切なのはチームのアイデンティティです。どういうアイディアをベースに戦っていくのかということですね。ウチのチームで言えば、奪われたボールは素早く取り返し、ボールを支配しながらコンスタントに相手ゴールへ迫っていくこと。それを実現する手段としてシステムがあるわけです。そして重要なのは相手があるということです。だから、『このシステムでしか戦えません』という選手ではダメでしょう。これはしかし、チームが機能しやすい『快適なシステム』の存在を否定するわけでありませんよ」


── 実際、J2で対戦する「相手」はいかがですか?

「試合を通じて、日本の監督たちのレベルが非常に高いということも感じてますから。監督としての私もJ2を戦う中で成長した実感があります。そして様々なスタイルとの戦いを通じてチームとしても成長できています」


── 印象的な監督はいましたか?

「湘南ですね。湘南の曺貴裁監督です。在籍している選手たちのパフォーマンスを最大化できる監督だと思いました。あとは長崎の高木琢也監督も素晴らしい。非常にファンタスティックなシーズンを送っている、際立ったチームだと思います。その2人は特にスペシャルですが、あとはフィロソフィが明確にあるという意味では岐阜の大木武監督、名古屋の風間八宏監督も印象深いですね。ただ、どのチームとやっても難しいですよ」


── これだけ戦力が拮抗しているリーグは世界的にもなかなかないのでは?

「おっしゃる通りだと思います。例えばスペインの2部も競争力の高いリーグですが、上と下のレベル差はやはり大きなものがありますからね。ところが、このJ2リーグは順位表を見てもらえばわかると思いますが、13チームか14チームくらいまでがプレーオフに行ってもおかしくないですよね。これはどう考えても多いですよ(笑)。愛媛(インタビュー時点で14位)までは可能性があると思います。だからこそそんなリーグで突き抜けようとしている湘南がやっていることを私は非常に高く評価しています。あとは松本の反町康治監督を忘れてました。彼のセットプレーは本当に凄いですし、非常に興味深い監督だと思います。まあ、要するに、とてもキツいリーグです(笑)」

なぜ監督に? なぜ日本に?

クラブと強化部門と監督のシンクロ…
こういう関係性を見つけるのは簡単じゃない


── 指導者としての原点も教えていただけますか?

「ええ、ケガをしたことですね(笑)。監督なんてなりたくなかったんですよ。サッカー選手になりたかった。でも、ケガをしてしまって、17歳から指導者の道へ入らざるを得なかった。そしてそこで気づかされました。『私は何もサッカーをわかっていなかった』とね。まずは(ユースチームでプレーしていた)オビエドでチームスタッフの下に付くような形で働きました。その過程で大学でも学びました(スポーツ科学の博士号を取得している)。ただ、段々とそこでの立場に満足できなくなっていきました」


── 野心が芽生えたんですね。

「そこでメキシコへ行きました。レアル・マドリーのアカデミーで指導に当たり、ディレクター職でしたが、ユースチームの指揮も執りました。3年間指導して契約延長のオファーも受けたのですが、UEFA-Proの指導者ライセンスを取りたいという気持ちがあり、帰国を選びました。資格は取れたんですが、一方で何もオファーがない状態を過ごすことになりました。運良く、ジローナのユースチームに空きがあって、ユースの一番上のカテゴリーで指揮を執ることになりました。そこで最初に対戦した相手はジョルディ・アルバのいたコルネジャでした。よく覚えています。当時のジローナは4部のチームですが、ユースはバルセロナやエスパニョール、サラゴサなどと同じリーグでした。バルセロナにはボージャンやブスケッツ、サラゴサにはアンデル・エレーラがいた時代で、非常にレベルが高い環境で、やり甲斐がありました。そこで3位か4位に食い込んでいたと思いますが、半年が経ったところでトップチームの監督が解任されてしまい、私に話がめぐってきました」


── “棚からぼた餅”ですね。

「(通訳からことわざを解説してもらう)なるほど、確かに運が良かったかもしれません。でも、努力していたからこそですよ。そしてジローナを無事に4部から3部に引き上げることができました」


── その後、マラガでは強化の仕事をされていたそうですが、やはり監督業にこだわりが?

「そもそも、マラガにはサテライトチームの監督として呼ばれたんです。その後、トップチームのコーチが抜けてその代わりをしたこともありましたが、最初のシーズンが終わった後に強化部門へのオファーを受けました。指導は続けたかったのですが、当時34歳で1部リーグのチームからオファーを受けることができたのだから凄いことだと思いましたね。でも、やってみたら、この仕事は全然好きじゃありませんでした(笑)。退屈でね。常に代理人とかとお金の話をしなくちゃいけないんですよ。やっぱり自分には毎日チームとともに進んでいく生活が合っているなと思ったわけです」


── やはり現場がお好きなんですね。

「ただ、一度、監督業から離れてしまっていることもあって、またポストを見つけるのは簡単ではありませんでした。そこでサウジアラビアへテクニカルアドバイザーとして行くことになるわけです。ただ、それがまた退屈で(笑)。でも、2013年には6カ月間ですけれど、U-17サウジアラビア代表を監督として率いる機会にも恵まれました。そうしたら、ジローナのスタッフから声がかかりました。そう、“棚からぼた餅”です(笑)。またジローナを率いたのですが、正直言って苦戦しました。選手を抜かれて、でもお金もなくて……。それでチームを離れることになり、今度はタイに行くことになり、まずはラチャブリでチーム史上最高の成績を収め、次にバンコク・グラスの監督をさせてもらいました。そこを退任してからはイングランドやドイツを旅して回りました。グアルディオラの練習を見に行ったり、彼の下にいる分析官と話をしたり、マラガの分析官ともよく話しました。日本に来る前はサンパオリの練習を見に行っていました。16年の夏くらいですね。グアルディオラやサンパオリのスタイルはとても好きなんです」


── どうしてそこから日本に?

「もしかしたら、サウジアラビアに戻る道もあったかもしれないですし、中国にも興味はありました。ただ、中国はそんなにオーガナイズされていないんですね。日本の社長やオーナーはチームが何をしていくのか、プロジェクトに興味を持ってくれます。でも中国はオーナーが力を持って試合を進めてしまう印象があったんです。実態はわからないですけどね。ただ、タイから来る監督がいきなりJ1を率いるのは難しいだろうなと思っていました。家族と過ごす上でも、日本がいいだろうと思いました」


── 岡田強化部長とはいきなり意気投合したそうですが。

「まさにそうですね。サッカーに対する考え方が似ていて、これはとても重要なことです。クラブと強化部門と監督のシンクロというのは非常に大切なんです。実際、岡田とは気に入る選手も似ています。こういう関係性を見つけるのは言うほど簡単じゃないですよ。私は強化の仕事もしていたので、その難しさはよくわかります。監督は白が好きで、強化は黒が好きという環境で仕事を進めるのは、ちょっと大変です(笑)。そういう意味でここまで我われはうまくやれていると思います。それは強化だけではなく、現場のスタッフも含めてですね」


── 監督はコーチを連れて来ず、もともと徳島にいたスタッフと戦っていますよね。

「タイではフィジカルコーチを一緒に連れて行っていましたが、そこは監督にとって大きな問題ではないと思っていました。私自身が日本に適応する必要がありましたからね。これまでのキャリアでいろいろなスタッフとやってきましたが、ここでは非常に快適にやらせてもらっています。日本人のスタッフたちと一つのグループになってやれていますし、彼らも私のやりたいことを理解しようとしてくれました」

クラブを成長させるということ

今トップにいる選手をしっかり鍛えることと、
長い目で育成から選手を育てていくこと


── 今日のサッカークラブの「ビジネス化」についてはどう感じていますか。

「もちろんクラブによるとも思いますが、長い目で見るよりもその場での即効的な結果が求められようにはなっていると思います。でも監督からの視点で言えば、クラブに何かプラスをもたらさなければいけないと思っています。一緒にやっている選手たちの価値がより高まるようにしていきたいですね。とはいえ、どんなチームであれ、どんな選手を獲得できるかというのがやはり重要です。そのためにはクラブ自体を大きくしていくという視点は不可欠でしょう。若くて才能のある選手を獲得し、練習と試合を通じて力を伸ばし、高い価値となったらそれを売って、また新しく才能のある選手を獲得していく。それがクラブを大きくしていくための一つの道ですよね」


── やはり自然とそういう視点をお持ちなのですね。

「もう一つ重要なのは、育成をしっかりすることですね。確立されたメソッドをもって、一つのスタイルに沿って育てていくべきです。そしてそこでもやはり、良い選手を連れて来るということが重要にはなってきます。今トップチームにいる選手たちをしっかりと鍛えることと、長い目で育成から選手を育てていくこと。その両方が大切です」


── やはり選手を鍛えることを重視されている?

「選手をオレンジに喩える話があります。ギュッと絞った時にジュースが出てくるのが可能性のある選手で、絞った時に何も出てこない選手はもう厳しいです。ハングリーで野心を持った若手選手が大好きです。ギュッと絞った時に何かが出てくるような選手ですね。だからと言って、ベテランが嫌いなんてことはまったくないですよ。ジローナでも36歳の選手を使っていましたから。ただ、野心を持って常に何かを学ぼうとする意欲のあるベテランであることが重要です。ハングリーさのない若手と、ハングリーなベテランならば、確実に後者を使います。そういう選手は若手にも良い影響を及ぼしますから」


── 最後に、監督自身の野心を聞かせてください。

「監督として到達できる限界まで行きたいという野心は持っています。代表監督がその一つですし、世界最高峰と言われるスペインやイングランド、イタリアといったリーグで指揮を執ってみたい気持ちもあります。もしかしたらアジアの代表監督もあるかもしれない。一人の監督として野心を持って常に学び続けていきたいと思っています。そうやっておけば、また“棚からぼた餅”があるかもしれませんからね」


── 監督ご自身が誰よりもハングリーなんですね。

「ふふ、そうかもしれませんね。チームというのは監督の影響を受けるものですしね。もし監督が野心もやる気もないのならば、チームもそうなります。反対に監督が野心とやる気にあふれて、常に成長したいという気持ちを持っていれば、チームも自然とそうなるんです。戦い続けること、そして選手たちに夢を見させること。常に監督のやっていることがチームには反映されていると思って、日々を過ごしていきたいと思っています」


Ricardo RODRÍGUEZ Suárez
リカルド・ロドリゲス・スアレス

(徳島ヴォルティス監督)
1974.4.3(43歳)SPAIN
スペイン北西部オビエド出身。地元オビエド(現2部)のユースでプレーしていたが、17歳の時に大ケガを負い選手生活を断念する。大学でスポーツ科学の博士号を取得する一方、98年からオビエドでコーチ、03年からは3年間レアル・マドリーのメキシコアカデミーでディレクター兼監督に着任。06年ジローナ(当時4部)のユースチーム監督に就くと、07年2月には監督解任に伴いトップチームを初指揮、3部昇格に導く。翌季はマラガ(当時2部)でBチーム監督からトップチーム助監督となり、1部昇格に貢献。08年7月~10年3月は同クラブのSDを務めた。11年夏にサウジアラビア連盟と契約し、初年度はテクニカルアドバイザー、2年目はA代表スタッフ、13年1月からはU-17代表監督を歴任。同年7~12月に再びジローナを率いた後、タイのクラブを渡り歩き、17年1月に徳島の監督に就任した。

COACHING CAREER
2007 Girona
2013 U-17 Saudi Arabia National Team
2013 Girona
2014 Ratchaburi (THA)
2015 Bangkok Glass (THA)
2016 Suphanburi (THA)
2017- Tokushima Vortis (JPN)

Photos: Akihiko Kawabata, Getty Images

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Jリーグリカルド・ロドリゲス徳島ヴォルティス

Profile

川端 暁彦

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。