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知られざる北中南米戦術トレンド①「アシンメトリー」

2018.01.16

左右対称と非対称、2つの形を持つ意味


今では世界中でスタンダードとして定着している4バックのゾーンディフェンスの発祥の地はブラジルという説がある。1930~50年代のサッカーはイングランドの名将ハーバート・チャップマンが発明したマンツーマンディフェンスを基本にしたWMシステムが支配していた。そこに一石を投じたのが、ペレを擁した50年代ブラジルの[4-2-4]システムだった。

グアルディオラがメキシコサッカーやビエルサの発想を取り入れたように、戦術のブレイクスルーは異文化との化学反応から生まれてきた。サッカー強国がひしめくアメリカ大陸には、まだ見ぬ“進化への種”が眠っている。

Asymmetry
from BRAZIL


 1958年スウェーデンW杯に優勝したブラジルは史上最強と言われている。ほぼ同じメンバーと戦術で62年チリ大会も連覇。この時に使っていたのが有名な[4-2-4]システムだ。62年は[4-3-3]とされているが実質は同じ。興味深いのはブラジルの[4-2-4]が左右非対称なところで、この非対称性(アシンメトリー)はその後のセレソンにも引き継がれていくことになる。

[4-2-4]の2つの起源

 [4-2-4]出現前の主流システムはWMシステムだ。58年のメンバーをWMに当てはめてみよう。GKジウマール、3バックは右からジャウマ・サントス、オルランド、ニウトン・サントス。ハーフバックがベリーニとジト。インサイドフォワードがジジとペレ。前線は右からガリンシャ、ババ、ザガロになる。実はフィールドプレーヤー7人の立ち位置は[4-2-4]でも変化していない。ポジションが変わっているのはベリーニ、ジジ、ザガロの3人である。

 WMから[4-2-4]への変化について以下の推測が成り立つと思う。まずハーフバックのベリーニがDFラインに吸収されて4バックになった。これは[4-2-4]の元祖とも言われるハンガリーのザカリアスが下がったのと同じ現象だろう。ベリーニが引き気味になったことで相棒のジトはバイタルエリアを1人でカバーすることになり4バックの前から動けなくなった。そこでジジがゲームメイクを一手に引き受けるが、こちらもあまりにも行動範囲が広いために左ウイングのザガロが中盤に引いてヘルプした――これが一番すっきりするWMから[4-2-4]への推移ではないだろうか。

 ちなみにブラジルのポジション番号では5番がセンターハーフであることから、2バックシステムからWMを経由せずに左右のハーフバックがSBに下がる形で直接4バックへ変化した可能性もある。英国式は5番(センターハーフ)を2バックの間へ下げて3バックになっていて、背番号から類推するとシステムの変化の仕方が違うと思われるからだ。

 ただ、ベリーニの場合はオリジナルポジションがハーフバックなので、左右のハーフバックが引いてSBになったのではなく、ハーフバックがCB化している。つまり58年W杯の[4-2-4]に関してはWMからの変化なのだ。WMのポジションを残したまま、3人がなし崩し的にポジションを移動させたための非対称なのではないか。

鹿島が継承した左右対称[4-2-2-2]

 ともあれブラジルの[4-2-4]は非対称だった。ウイングの左右、MF2人(ジジとジト)の立ち位置と役割は異なっている。さらにインナーの左(ペレ)だけが残っている。70年メキシコ大会で3度目の優勝を成し遂げたセレソンはペレ以外のメンバーが入れ替わっているものの、ポジションバランスは58年とほぼ変わらない。仮にポジションの歪みを強引に矯正すると今日的には[4-2-3-1]に近くなる。

 70年以来の偉大なチームだった82年のブラジルもベースは同じ。ただ、さらに非対称化が進んでいる。このチームのCBだったオスカーに配置図を書いてもらったことがあるのだがひどく歪だった。2トップの一角だったエデルはオスカーによると「今風に言えばウイングバック」だそうで、82年のチームにはガリンシャやジャイルジーニョのようなウイングがいない。当初はディルセウかパウロ・イジドーロだったのだが、初戦欠場のトニーニョ・セレーゾが復帰するとウイングがいなくなった。ペレのポジションだった10番にはジーコとソクラテス、ボランチがトニーニョ・セレーゾとファルカンだが、左SBのジュニオールも実質的にMFと言える。固定されていたのはCBのオスカーとルイジーニョだけという非常に流動性の高いスタイルである。

 むしろ同じテレ・サンターナ監督が率いたサンパウロの方が伝統のシステムに近い、というか70年のセレソンそのものだ。92年トヨタカップでバルセロナを破ったサンパウロの10番はライー、ウイングは左にミューレル、右は後にSBとして名を馳せるカフーがザガロ式のワーキングウインガー。CFのパリーニャが70年のトスタンと同じゼロトップ型というところまで似ていた。ジジ役がトニーニョ・セレーゾ、ジト役がピンタドである。

 ところが、翌年にミランを破って連覇したサンパウロは[4-2-3-1]よりも[4-2-2-2]と呼んだ方がわかりやすい形になっていた。パリーニャ、ミューレルは健在ながらライーがパリSGへ移籍していて新10番はレオナルド。そしてレオナルドとほぼ並ぶ形でジーニョという構成なのだ。ジーニョをワーキングウインガーと見れば前年と同じと言えなくもないが、守備時の陣形が違う。中盤のサイドをジーニョ、レオナルドが守っているので、攻撃時は前年と同じでも[4-2-2-2]と解釈した方がわかりやすいと思う。

 [4-2-2-2]は80~90年代におけるブラジルのスタンダードだった。鹿島アントラーズはこの時期のブラジル方式を現在まで継承している。98年フランス大会のブラジルは2トップがロナウドとベベット、攻撃的MFにリバウドとレオナルドの[4-2-2-2]である。ただ、ブラジルにはもう1つ別の形もあった。

可変システム、そして最新の[4-3-3]へ

 90年イタリア大会のブラジルは[3-5-2]、ゾーンの4バックではなくリベロを使っている。ブラジルはゾーンといっても人への意識が強く、相手の2トップに対してどう守るかで意見が分かれていた。ラザローニ監督のリベロ方式はあまりに守備的過ぎるという批判にさらされるのだが、94年米国W杯ではカルロス・アルベルト・パレイラ監督が「可変式」という形で答えを出している。

 相手が2トップか3トップかによって、3バックにも4バックにも選手交代なしで対応できるシステムを作り上げたのだ。98年のザガロ監督は[4-2-2-2]だったが、2002年日韓大会ではフェリペ・スコラーリ監督の下、可変式に回帰している。3バックが多かったが、3バック時にセンターに入るエジミウソンは本来MFのプレーヤーであり、役割は94年のマウロ・シウバを踏襲しているわけだ。ただ、その後は3バックが使われることはなくなった。4バックのゾーンを基調に、SBが絞ったりボランチが下がるなど柔軟に対処するようになっている。

2002年日韓W杯でブラジルを優勝に導いたフェリペ・スコラーリ(中央左)

 多少の紆余曲折はあるものの、ブラジルのシステムは58年がベースになっている。[4-2-2-2]も[4-2-4]から発展した。とはいえ、ここからは形の上で左右対称になっている。ウイングがいなくなって10番が2人になっているのも大きな変化とも言える。ウイングの脱落はSBの攻撃参加で補完した。現在の[4-3-3]は、ウイングのネイマールとコウチーニョが遅攻の時に10番となりSBがウイング化する。カウンターの時はネイマール、コウチーニョは従来のウイングとして機能している。これも新しい形と言えるかもしれない。

 システムは選手によって決まる。守備を先に考えれば左右対称の方がすっきりするが、攻撃に大きな個がいる場合は非対称になりがちだ。現在のバルセロナもリオネル・メッシという巨大な個を生かすべく非対称になっている。ブラジルには58年の無類のチームがあり、ポジションというよりもペレの後継者を探し、ガリンシャ、ザガロ、ジジを継承する選手を求めてきたのだろう。非対称自体は何かの効果を狙ってというよりもパッチワークの末の産物だと思うが、それで偉大な成果を挙げたのだから、左右対称に整えようなどと思わなくても不思議ではない。

Photos: Getty Images

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アシンメトリーブラジル戦術

Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。