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「戦術マニア」ビエルサの真実。伝記執筆者が解き明かす素顔

2017.09.26

アルゼンチン監督ブームの起源

個別インタビューは一切受けず、48時間でラツィオ監督を辞任するなどのエキセントリックなエピソードばかりが独り歩きするビエルサ。しかし、現在のアルゼンチン人監督ブームの根幹には、この名将の強い影響があることは間違いない。謎に包まれた“エル・ロコ”(変人)の秘密を、伝記執筆者のロマン・イウチ氏に解き明かしてもらおう。

独自スタイルのルーツ

アヤックスのスタイルを知るグリッファを毎日質問攻めにした

── ビエルサ本人が個別のインタビューを絶対に受け付けないので、徹底した取材から膨大な量の情報を収集して伝記を執筆したロマン・イウチ記者に、彼の謎を解き明かしていただきたいと思います。

 「私が伝記を書こうと思ったきっかけも、ビエルサが個別の取材に応じず、自分のことをあまり語らないからでした。おそらく誰もがビエルサほど優れた指導者で、多くの後継者に影響を与えた人のことをもっと知りたいと思うことでしょう」

── ビエルサはアヤックススタイルの信奉者ですが、何かきっかけはあったのでしょうか?

 「彼はとにかくサッカーという名のゲームを情熱的に愛している人で、サッカー界に革命を起こしたリヌス・ミケルスのアヤックスとクライフ在籍時のオランダ代表に惚れ込んでいました。プレッシング、ダイナミックな攻撃といったものに強い影響を受けたのです。もちろんこれは、ビエルサがまだ選手だった頃に指導を受けたホルヘ・グリッファ監督の影響もあります」

── アルゼンチンにおける「育成の第一人者」として有名なグリッファですね。

 「グリッファは育成のエキスパートとして知られていますが、現役時代はニューウェルス・オールドボーイズでプレーした後、1959年から1969年までの10年間にわたってアトレティコ・マドリーのDFとして活躍したキャリアの持ち主で、ちょうどその時欧州で話題になっていたミケルスのアヤックスについてもよく知っていました。それから1971年までエスパニョールに在籍して母国に戻り、古巣ニューウェルスで育成部門の指導者になった時、欧州で学んだあらゆるスタイルを採用しましたが、そこでアヤックスのスタイルについても選手たちに伝えたというわけです。ビエルサは当時から戦術に強い興味を抱いていた選手だったので、グリッファは毎日質問攻めにあったそうですよ」

── それでもビエルサのスタイルにはマンツーマン守備や激しい上下動など、アヤックスと異なる部分がありますよね。

 「サッカーは進化していますし、戦術マニアのビエルサとしてもアヤックスのやり方を完全にコピーするのではなく、自らDFとしてプレーした経験も生かしながら、各ラインでよりインテンシティの高いサッカーを目指したと言えます。彼は選手としての経歴がほとんどないと思われていますが、ニューウェルスの下部組織時代には空中戦を得意とする優れたCBとしてリザーブチームでリーグ優勝を果たしています。この時の活躍がセサル・ルイス・メノッティの目に留まり、1976年モントリオール五輪の予選にU-23アルゼンチン代表として出場しました。チームは残念ながら3位に終わり五輪出場権を得られなかったのですが、ビエルサは大会のベストイレブンに選ばれています」

── 独特のパターン別反復トレーニングもグリッファ監督の影響でしょうか?

 「いいえ、それは完全にビエルサのオリジナルです。ゲームの中で起きる具体的なパターンを切り取り、コーンやテープをグラウンドに置いて、まるでオーケストラが楽譜の一部を何度もリハーサルをするように、1つのプレーを繰り返して練習するトレーニングですが、この効果はビエルサ自身の指導者としてのキャリアにおいて、最も重要な発見でした。この練習法を最初に実践したのがニューウェルスの下部組織を指導していた時で、当時同クラブに所属していたマウリシオ・ポチェッティーノやエドゥアルド・ベリッソなどは14~15歳の頃からビエルサ式の練習法を体験しています」

── 当時の教え子たちは慣れない練習にびっくりしたでしょうね。

 「ニューウェルスのユースだけでなく、それからおよそ10年後に指揮したアルゼンチン代表でも選手たちは驚いていましたよ。今となってはパターン別の練習をすることは珍しくないかもしれませんが、一昔前までは異端極まりないやり方と考えられていました。でも、練習時には気がつかなくても、試合で実際に同じシチュエーションが生まれることがわかり、有効で合理的なやり方に誰もが納得したそうです。ビエルサの練習法やプレースタイルは高く評価されていますが、その最たる証拠がペップ・グアルディオラでしょう。グアルディオラはバルセロナの監督に就任する前、故郷のロサリオにいたビエルサを訪問し、指導について話を聞いています。これはグアルディオラが現役時代にローマにいた頃、チームメイトだったガブリエル・バティストゥータから『君がもし将来監督になるのだったら絶対にビエルサの話を聞きに行きなさい』と強く勧められたからなのですが、2人の会談が11時間にも及び、グアルディオラはビエルサの言葉の一つひとつをノートに書き留めて持ち帰っています。持参したノートの全ページを使ってしまったので、新しいノートをビエルサにもらったという話は有名ですね」

左からファン・セバスティアン・ベロン、バティストゥータ、ビエルサ

教え子から尊敬を集める人柄

シメオネやガジャルドは戦術以外にもピュアな一面に共感した

── グアルディオラが訪問したのはビエルサがアテネ五輪で優勝してからチリ代表監督になるまでの間でしたが、あの頃ビエルサは何をしていたのでしょう?

 「義父が所有する田舎の別荘にこもっていました。監督としては無職でしたが、何もしていなかったわけではありません。あの期間を利用して、ビエルサは2006年W杯に出場する32チームを徹底的に研究しました。すべてのチームについて、プレースタイルからセットプレーのパターン、選手や監督の特色まで調べ上げていたそうです」

── 2002年W杯では、グループステージで敗退しながら選手たちから擁護されたのはなぜなのでしょうか?

 「ビエルサはとにかく真っ直ぐな人で、裏表がありません。そして、自分の考えを的確に伝えます。情熱的で純粋で、強い確信と信念を抱いています。当時のアルゼンチン代表選手たちは、監督のそんなところに惹かれていました。敗退した後、キャンプ地だった(福島の)Jヴィレッジで選手たちに感謝の言葉を述べながら泣き崩れ、みなが駆け寄ってビエルサを抱き締めたというエピソードがありますが、戦術以外にもビエルサのこういったピュアな一面に共感したディエゴ・シメオネやマルセロ・ガジャルドをはじめとする選手たちが、その後監督として成長・成功している事実を見ても、いかに支持され、影響を与えていたかがわかると思います。ある元代表選手が、ビエルサほどの知識と説得力を持った監督の指導を受けるためには、選手たちにも十分な準備ができていなければいけないと話していたのを聞いて、もっともだと思ったことがありました。あの時のアルゼンチン代表は、ビエルサ監督が指揮するのにふさわしいチームだったと言えます。W杯で結果を出せなかったのは本当に残念でした」

── 国外のクラブチームであまり良い成績を残していない理由は、選手たちにビエルサを迎える準備ができていなかったからだと言えますか?

 「常にサッカーのことばかり考えている情熱的でマニアックな監督と毎日顔を合わせていたら、多くの選手が心身ともに消耗してしまってもおかしくないと思います。代表チームのように1、2カ月に1度、1週間ほど集中的にトレーニングをするのが理想的かもしれません。その証拠に、ビエルサは今まで、1つのクラブチームで2年以上指導したことがありません。アスレティック・ビルバオもビエルサにとって1シーズン目の終盤にペースダウンしましたが、明らかに選手たちには疲れの色が見えました。チリ代表では当時まだ育成する余地のあった選手たちを欧州のトップクラスで活躍できるレベルに育て、世界と対等に戦えるチームを築きましたが、チリサッカー協会の新会長の方針に納得できないという理由で辞任しています。強い信念によって相手だけでなく、自分をも疲れさせてしまう。自分を騙すことができない、真面目な人なのです」

ビエルサの次なる野望

13歳から18歳までの選手を対象にした独自の育成プログラムを仕上げている

── アルゼンチンにはメノッティ派、ビラルド派がありますが、ビエルサはメノッティ派でしょうか?

 「ビエルサはビエルサ派ですね。というのも、『ビエルサ前』と『ビエルサ後』の違いが明らかだからです。ビエルサ後のアルゼンチンサッカー界では、プレッシングや守り方、ポジションチェンジ、スペースの使い方、相手陣内での攻撃展開といったゲーム構造の他、前述のトレーニングメソッドにおいて明らかな影響が見られます。新世代の指導者の多くがビエルサのサッカーを参考にしていることも関係していますが、代表監督でいえばメノッティ、ビラルドに続いて影響を及ぼした人物でしょう」

── 現在国内でビエルサの後継者と呼べる監督にはどんな人がいますか?

 「今年からボカ・ジュニオールの下部組織で総監督をしているクラウディオ・ビバスはビエルサの下でヘッドコーチをしていたこともあって、直系の後継者と言えるでしょう。実際にトップチームを指揮している監督たちは、クラブによって環境も条件も異なるためにビエルサとまったく同じスタイルを採用しているとは言えませんが、ガジャルドはプレッシングや縦の攻撃展開、選手への指示の細かさなどでビエルサの影響を受けています。

 パウロ・ディバラがイタリアに行く前に所属した2部リーグのインスティトゥート・デ・コルドバを率いていたダリオ・フランコは、昨季アルドシビの監督として攻撃的な[3-4-3]または[4-3-3]を貫いていて、ニューウェルスの下部組織でベリッソと同期だった若い頃にビエルサに感化されたことがよくわかります。あとは同じくニューウェルス出身のガブリエル・エインセですね。彼は2部のアルヘンティノス・ジュニオールの監督をしていましたが、昨シーズン1部の30チームと2部の23チームを合わせた中で最もビエルサスタイルに近いサッカーをしていました。両サイドからスピードと厚みのある攻撃を仕掛けながら2部で首位を独走し、1部のクラブに劣らない魅力的な攻撃的サッカーを展開しました。」

――ビエルサは今年7月からリールの監督に就任することが決まっていますが、名将の今後をどう予測しますか?

 「昨年10月にアスパイア・アカデミーが主催したクリニックがアヤックスのスタジアムで行われた時、ビエルサの講演がありましたが、そこで彼は『13歳の選手を選んで、その後10年から15年くらいの間ずっとその選手を育て続けてみたい』と話して受講者を驚かせていました。1人の選手を集中的に育成して成長のプロセスを研究するという画期的なプロジェクトだと思います。すでにビエルサは13歳から18歳までの選手を対象にした独自の育成プログラムを仕上げているので、おそらくいずれは原点に戻るのではないでしょうか。そう、かつて恩師グリッファとともにバティストゥータやポチェッティーノと出会ったニューウェルスの下部組織に、ね」

Román IUCHT
ロマン・イウチ
(フリージャーナリスト)
44歳。16歳の頃からラジオのサッカー専門番組でリサーチとレポートを行い、94年アメリカ大会を皮切りに6大会連続してW杯を取材。98年からはテレビでもスポーツニュースのキャスターや試合解説を担当し、ラジオのパーソナリティとしても活躍中。マルセロ・ビエルサ伝記の他、アレハンドロ・サベーラ元アルゼンチン代表監督の伝記も執筆・出版している。

Photos: Getty Images, Bongarts/Getty Images, Javier Garcia Martino

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アルゼンチンマルセロ・ビエルサ

Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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